母の視線は私の方を向いているが、見ているのは私じゃない。
気がつくと、隣に少女が立っていた。
少女は足音を鳴らしながら、母の方へと近寄っていく。
「またお話ししてたの?」
そう問いかけながら、母は少女の頭を優しく撫でている。
幼い日の自分と母の姿に、思わず立ち尽くしてしまった。
とうの昔に失われたはずの光景。
なぜ、扉の先にこんな光景が広がっているのだろうか。
呆然と眺めていた私の足を、満月がぐいぐいと押してくる。
二人の方に目を向けると、母が幼い私の手を取って、家の中へと戻って行くところだった。
満月を腕に抱き上げ、二人の後を追っていく。
家の中に足を踏み入れた途端、その場の光景ががらりと変化した。
次に見えた場所は居間だった。
父と母と私。
三人しか使えない居間の空間は、家族で
いつのまにか父の姿も増えており、幼い私を優しく見つめている。
「睦月はまた妖精さんを見てたのか?」
「うん」
「そっかぁ〜。睦月は綺麗なものが好きだもんなぁ」
デレデレと顔が緩んでいく父だが、母はいつものことだと気にした素振りもない。
「そう言えば睦月、妖精さんが見えること、誰にも言ってないよな?」
「うん。だれにも言ってないよ」
年齢の割にしっかりとした受け答えをする娘の姿に、両親はうちの子賢い……と言わんばかりの表情だ。
「妖精さんたちは何処で見かけるんだ?」
「色んなところ」
「色んなところかぁ」
娘の言葉に、父は考え込む仕草をした。
随分と不思議な話をしている。
二人の話から推測するに、幼い頃の私には
けれど、私が
そして何より、私が過去に
私の記憶は薄れることがない。
生まれてこの方、一度見たものは決して色褪せることなく、いつまでも思い出すことができた。
それこそ、生まれてすぐに見た光景であっても、私は鮮明に思い出すことができる。
だからだろう。
今の私には、この光景が過去なのかさえ分からなくなってきていた。
あの扉は何の扉で、いったい私に何を伝えようとしているのだろうか。
「ここは霊山も多いですし、悪いものが寄り付くことは少ないはずです。何より、この子は守られているんでしょう?」
「いのり……。そうだな。その通りだ」
母の言葉に気を取り直した様子の父は、何度も頷いている。
「睦月。念のために言っておくが、もし相手が綺麗な外見をしていたとしても、付いて行くのだけは絶対に駄目だ。それだけは守るようにしてほしい」
「……わかった」
「まてまてまて、今の間はなんだ」
さすが父親とでも言えばいいのだろうか。
娘の微細な変化に気づき、慌てたように問い
「まさか睦月、もう既に……?」
一見どころか、何見しようが分からないほどの無表情だが、両親には関係なかったらしい。
肯定だと確信した父の顔が、みるみる絶望に染まっていく。
「怪我は!? 何もされなかったか!?」
娘の周りをウロウロと観察しだす父を、母は落ち着いた雰囲気で静観し続けている。
「なにもされてないよ」
「そ、そうか……」
安心した顔で息をついた父は、一転、不思議そうに娘の方を見た。
「それにしても、睦月がついて行くなんてな……。珍しいこともあるもんだ」
周囲の人間曰く、私は幼少期から大人びた性格の子供だったようだ。
おそらく父も、念押しのつもりで言ってみただけだったのだろう。
「すごくきれいだったから」
「えっ」
「あらまぁ」
石化したように硬まる父と、おかしそうに笑い声をあげる母。
へなへなと崩れ落ちた父の口からは、「まさか恋か……? いや、睦月に限ってそんな……」なんて声が漏れている。
「やっぱり睦月は私の子ね。お母さんも綺麗なものには目がないのよ」
「そうなの?」
「もちろん。お父さんのことも、顔で選んだくらいだもの」
この話には覚えがあった。
美しい容姿と器量を兼ね備えた母は、何人もの男性からアピールを受けていたらしい。
強すぎるライバルたちの存在に、自分は選ばれないだろうと落ち込む父の手を取り、二人は見事ゴールインしたという話なのだが──。
「ご先祖様……代々我が一族をイケメンに生んでくださりありがとうございます。お陰で僕の代までイケメンに生まれることができました」
まああの父の様子を見る限り、お似合いの夫婦だったと言えよう。
そして、そんな夫婦の間に生まれた私の容姿を、両親はとても気に入っているようだった。
たとえ私の容姿が、二人には似ていなくとも。