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ep.29 誓約書


 誓約書?

 悪魔?

 いきなり出てきた爆弾発言に、頭の中がぐるぐると渦巻いている。


 今まで悪魔と聞いて、良い事が起きた試しがない。

 それに加え、身に覚えのない誓約書ときた。

 複雑な気持ちで誓約書を見つめる私に、上司が詳しいことを教えてくれる。


誓約書それは睦月に対して、悪魔が記入したものです」


「悪魔が私に、ですか?」


「読んでみれば分かりますよ」


 意味深な言葉に戸惑いつつも、誓約書に目を通していく。

 内容を簡潔にまとめるとこうだ。


 この誓約書は一方的に破棄できず、誓いを破ったものには相応の罰が与えられる。 

 誓約者は今後一切、私に関わることが出来なくなる。

 禁止の対象には誓約者の部下や配下も含まれ、破れば当人と誓約者、双方へ罰が与えられる。


 ただし、私が許可を出した場合のみ、その範囲の効力は無効化される。


 誓約者の署名欄には、レインと記されていた。

 おそらくこれが、誓約した悪魔の名前なのだろう。


「とんでもない内容ですね。こんな一方的な誓約書で、サインに応じた悪魔がいるなんて驚きです」


「自らが最も大切にするものをはかりにかけられた時、たとえもう片方が二番目であろうと、選択は既に決まっているようなものです。加えて、悪魔は合理的ですからね」


「悪魔が合理的? どちらかと言えば、欲望に忠実で自由な存在だと思ってました」


 現世における常識や、それに伴うイメージは、あくまで想像に過ぎない部分が多いのかもしれない。

 実際、私も死界に来るまでは、もっと殺伐とした光景を想像していた。


 けれど、四季折々の風景やさまざまな建造物、出会った死神たちの姿に、想像はくつがえされていった。


「欲望を満たすという目的に対して、悪魔はかなり合理的ですよ。そういった意味で言えば、死神や天使の方がよほど非合理に当たるでしょうね」


「死神や天使のどこが非合理なんですか?」


 悪魔が合理的で、死神や天使が非合理的なんて、考えたこともなかった。

 悪魔は対価を受け取る代わりに、契約者の願いを叶える存在だ。


 死神や天使と違い、悪魔は人間と関わることで欲しいものを手に入れる。

 他よりも関わりが深いからこそ、合理的になるのだろうか。


「神とは往々おうおうにして、そういう存在ものなんですよ。神としての力が強いほど、人の道理からはかけ離れていきますからね」


 死神や天使は神よりで、悪魔はそうではないと聞こえる言い方だ。


「さて、そろそろ戻りましょうか」


 椅子から立ち上がった上司が、視線を向けてくる。

 何となく意図を察し、上司の傍へと近寄った。

 服がしわにならないよう、捕まる場所を探して手を彷徨さまよわせる。


 来る時はいきなりだったし、真っ暗で何も見えていなかった。

 上着の裾を思い切り掴んでしまったが、それもあの状況では仕方なかったと言えるだろう。


 見た限り、服には皺一つ残っていない。

 死神のローブといい、自動で修正する効果でも付いているのかもしれない。


「どうぞ」


 隣から差し出された手に、驚きで硬直する。


「えっと、何でしょうか」


「随分と悩んでいるようでしたので、こちらから手助けしたまでですよ」


 どうやら、私が迷っているのに気づき配慮してくれたらしい。

 茶化すような雰囲気もなく、こちらに手のひらを向ける上司を見て、自分の手を被せるように乗せた。


「今後はそれが必要になるはずです。きちんと仕舞っておいてくださいね」


 反対側の手に持った誓約書を見て、上司が注意を促してくる。

 扉の空間に送り込むイメージを浮かべると、誓約書は黒い霧に変わり消え去っていった。


 上司は特に驚いた様子もなく、誓約書が消えたのを確認すると、軽く手を動かしている。

 来た時と同じ、暗闇の空間。

 違うのは、私の手が繋がれていることだけだ。


 ──それなのに、比べ物にならないほど安心するのは何故だろう。


 悪魔との誓約書。

 クリスティーナの魂。

 悪魔に狙われていることも含めれば、自ずと答えは分かってくる。


 このタイミングで渡したのも、何か考えがあってのことだろう。

 本当に……ずるい上司だ。



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