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ep.32 夜の攻防


 降りしきる雨の中、細長い影が空を飛んでいく。

 ぐねぐねとした形のそれは、とある家屋の庭園へと降り立った。


「ふう、やっと着きましたか」


 黒い体は雨に濡れ、艶々とした光沢を帯びている。

 蛇の悪魔──ビベレは、舌をチロチロと出しながら、家屋の方を見てため息をいた。


「プーパ様は雨で外出を嫌がりますし、ここはわたくしが頑張るしかありませんね」


 例の娘が死界から戻った気配に、ビベレとプーパは喜びいさんでいた。

 ビベレはさっそく娘の所へ行こうとプーパを誘ったが、外の天気を見たプーパが、やっぱり今日は止めておこうと態度を一変させたのだ。


 説得をこころみたものの、一度ごね始めたプーパを相手にするのはかなり難しい。

 人形の悪魔であるプーパは、もともと体が濡れるのを極度に嫌がるため、それを知るビベレとしても早々に諦めるよりほかなかった。


 まあとにかく、ビベレは一匹でこの場所へやって来たという訳だ。

 家の方から、人の動く気配は全く感じられない。

 現世に住んでいる以上、娘は実体化しているはずだ。


 もしかして、寝ているのだろうか。

 そう考えたビベレは、じわじわと家の方へ近寄っていく。

 本来、三界の存在に睡眠は必要ないのだが、死神や天使は眠ることで枯渇こかつした力を迅速に補うことができる。


 特に、下位の存在であればなおさらだとも。

 娘が新人の死神だと聞いていたビベレは、喜びからシューシューと音を鳴らす。


 これは好機だ。

 いくら死神が天敵といえど、ビベレは悪魔伯爵レインの優秀な部下である。

 それなりの地位にいる自分が、新人の死神ごときに負けるはずがないのだ。


 とは言え、今回はあくまで視察のようなもの。

 主人が交わした誓約により、ビベレも例に漏れず、娘との関わりを禁じられていた。


 この場合の関わりとは、対象への直接的な接触や、間接的な危害を含んでいる。

 つまりビベレは、娘と遭遇することなく、この視察を終えなければならないのだ。


 寝ているならば好都合。

 壁に体を這わせたビベレは、ぴったりと閉じられた窓の向こうを覗こうとした。


 はたから見れば、窓に張り付いた蛇が、頭を懸命に擦り付けている光景だ。

 ビベレが留意している悪魔の威厳というものは、今の姿から微塵みじんも感じられなかった。


「ふうむ。これはまるで、窓の向こうに別の領域でもあるかのような──」


 悩むビベレが、再び窓に頭を近づけた瞬間。

 何かが降ってきた。


「ぐえっ!」


 押し潰されたビベレの口から、苦しそうな声が上がる。

 上にいる何かへ視線を向けたビベレの目に、月のように輝く金が映り込んだ。


「ねっ、猫!? さっきまでそんな気配は……!」


 慌てるビベレの体に、鋭い爪が食い込んでいく。

 逃れようにも逃れられない状況。

 ビベレの表情かおに、焦りが浮かんできた。


「そこのおまえ! 無礼ですよ! わたくしは伯爵に使えし悪魔です。今すぐそこを退きなさ──」


 ビベレの言葉が不意に止まる。

 そう、ビベレは悪魔だ。

 実体化を取らない悪魔は、現世の生き物には見えない。

 そして、触れられない。


 しかし、ビベレは己の力を以ってしても、自身の上に乗る存在を退かすことができないでいた。

 つまり、それが意味するところは──。


「まさかおまえ……死神!?」



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