見慣れたアパートの外観に、小さく息をこぼす。
「あら! 帰って来てたのね」
アパートの前で足を止めていた私の後ろから、ハイヒールの音が響いた。
ちょうど帰りが重なったのだろう。
私を見た律が、嬉しそうに話しかけてくる。
「こんばんは、律さん」
「こんばんは睦月ちゃん。それと、お帰りなさい」
優しく微笑む律に、持っていたお土産を手渡す。
「ただいま帰りました。これ、京都で買ったものです。良ければもらってください」
「八ツ橋じゃない。しかも詰め合わせ! あたし、ほうじ茶味の八ツ橋が特に好きなの」
目を輝かせて喜ぶ律に、ほっとした気持ちが湧いてくる。
お土産屋で色々と見ていたものの、律の好きな物が分からず、なかなか決められずにいたのだ。
霜月にも相談してみたが、律たちの個人的な情報には興味がないらしく、分からないとのことだった。
何となくそうだろうなとは思っていたし、気にしてもいなかったのだが、霜月は私の期待に応えられなかったと落ち込んでしまったらしい。
ぺたんと垂れた耳が、まるで八ツ橋のように見えてきて──。
あれだけ悩んでいた手土産が、速攻で決まった瞬間だった。
アパートの敷地内に入ると、塀を伝い霜月も中に入ってくる。
地面に降り立つと同時に、猫から人型へと変わった霜月は、当然のように私が持っていた荷物を代わりに運んでいく。
「長い間ありがとね、霜月」
「睦月の傍にいられるなら、他は大したことじゃない」
いつだって私を優先する霜月に、くすぐったい気持ちが湧いてくる。
「良い関係が築けてるようで良かったわ。お土産、ありがたくいただくわね」
一足早くドアを開けた律だったが、何故か部屋に入る直前で足を止めている。
「睦月ちゃん。これからはあたしたちに遠慮せず、いつでも頼ってきてちょうだいね。睦月ちゃんはもう、ここの
そう言って微笑んだ律は、「それじゃ、また明日ね」と手を振りながら、ドアの向こう側に消えていった。
◆ ◆ ◇ ◇
「睦月」
霜月に呼ばれ、パソコンから目を離す。
家に帰ってきてからは、いつも通り並びの椅子に座って、各々のことを片付けていた。
どこか暗い表情の霜月に、何かあったのかと心配になる。
「どうしたの?」
「今後のことで、話しておくことがある」
様子を見る限り、霜月にとって良くない話のようだ。
「睦月……?」
驚いた顔の霜月が可愛くて、そのまま何度か突ついてしまう。
されるがままの霜月は、私が指を離すまで、何も言わず好きなようにさせてくれた。
相変わらず私のすることに無抵抗な霜月だが、いったいどこまで許してくれるのか。
少しだけ、試してみたくなった。
「それで、どんな話?」
先ほどもよりも和んだ空気の中、私を見る霜月の表情も随分と落ち着いている。
「少しの間、死界に戻ることになった」
「何かあったの?」
死界からすればけっこうな時間が経っているはずだが、現世にいるとあまり実感が湧かない。
「
「悪魔のことだよね」
護衛の目的もあり、霜月は私と共に現世へきた。
だとすれば、一人になった私を、悪魔たちが好機と捉えないはずがない。
「俺がいない間は、ここのやつらが代わりになる。だから、戻ってくるまでは傍に置くようにしてほしい」
ここのやつらとは、律や
霜月は不服そうな顔をしている。
けれど、そんな霜月が
「分かった。死界にはいつ戻るの?」
「明日の朝には」
「そっか」
霜月が傍から離れることを、寂しいと思う日が来るなんて。
あの時の私には、きっと想像もつかなかっただろう。
「待ってるね。霜月が戻ってくるのを」
ちゃんと待ってるから大丈夫。
そんな気持ちを込めて返した言葉に、霜月の白い頬がじわじわと色付いていく。
まるで雪が溶けるように笑った霜月の姿を、私はしっかりと記憶に焼き付けておいた。