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ep.37 最後の住民


 霜月を見送った後、私はテーブルでパソコンを開いていた。

 そろそろ朝食を摂る時間なのだが、少しも食欲が湧いてこない。


 霜月が作ってくれた朝食を思い浮かべ、あれだったら食べるのにな。

 なんて考えた自分に、思わずため息をつきそうになる。


 もうここに霜月はいないのだ。

 少なくとも、事を終えるまで会うことは難しいだろう。

 別に一食くらい抜いても、どうってことはない。


 そんな考えでタイピングを続ける私の耳に、チャイムの音が聞こえてきた。

 こうしてチャイムを鳴らせるのは、アパートの住人くらいなはず。


 もしかして、律さんだろうか。

 そう思いドアを開いてみると、そこには予想した通りの人物が立っていた。


「おはよう睦月ちゃん。いきなりごめんなさいね」


「おはようございます。何かありましたか?」


「朝食でもどうかと思って誘いに来たのよ。連絡を入れようか迷ったんだけど、せっかく隣にいるんだもの。こうして聞きに行った方が早いかと思って」


 優しく微笑んでいた律だが、何も答えない私を見て焦った表情に変わる。


「もしかして、もう済んだ後だったかしら?」


「いえ、まだです」


 私の返事にほっとした様子の律は、「なら一緒に食べましょう」と再び誘いをかけてきた。


つばめ時雨しぐれも来てるのよ。それともう一人、紹介したい死神がいるの」


 おそらく律は、私のことを霜月から頼まれていたはずだ。

 外出する際は護衛を頼むつもりだったが、こうしてアパート内でも気にかけてくれる辺り、昨日の夜にかけられた言葉は紛れもなく律の本心だったのだろう。


 たとえ頼まれなくとも、私のことを気にかけているのだと。

 言葉以上に、伝わってくるかのようだった。




 ◆ ◆ ◇ ◇




「あ! 睦月ちゃん!」


 律の部屋に上がると、こちらを見た燕の表情が一気に明るさを増していく。


「おはよう燕くん」


「燕でいいよ! あ、睦月ちゃんは……睦月ちゃんでもいい?」


「もう呼んでんじゃねぇか」


 燕の隣では、時雨が呆れた様子で呟いている。

 並んで座る二人と向かい合う形で腰掛けた。


「そのままでいいよ。それと、時雨もおはよう」


「……おはよう、ございマス」


 片言気味だが、それでもしっかりと返された挨拶に、燕が嬉しそうな笑みを浮かべている。


「えー! なになに、どういうこと? あの時雨が素直に返事をするなんてさ。これは雨じゃなくて、槍でも降ってくるんじゃないの?」


 キッチンの奥から、誰かが顔をのぞかせた。

 青緑色の髪と、それよりもわずかに明るい色の瞳が印象的な青年だ。


 少し垂れ目なところが、笑うと愛嬌あいきょうを感じさせる。


「うっせぇな。お前は引っ込んでろ」


「きゃー怖い! 時雨ったら、そんな言い方しちゃダメだよ。せっかく素直になれる相手と出会えたんだから、もっと紳士的にならなくちゃ……」


 こちらを向いた青年と、ばっちり視線が合う。

 突然動きを止めた青年は、目を見開くと、小刻みに震え出した。


「え……うそ。めちゃくちゃタイプなんですけど……!?」


 もの凄い速さで近寄って来た青年は、私の手を両手で包むように握ってくる。


「初めまして、僕はリブラと言います。まさか、こんなに美しい方がアパートにいらっしゃってたなんて……。是非とも、貴女の名前を教えていただけないでしょうか」


 リブラと名乗った青年は、熱烈な視線でこちらを見つめてくる。

 戸惑いのあまり時雨と燕の方を向くも、二人は何故か悲劇的な表情で立ち尽くすばかりだ。


「あいつ……死んだな」


「時雨、おれ嫌だよ。リブラがいなくなっちゃうなんて……。何とかできないの?」


「諦めろ燕。もう手遅れだ……」


「そんな……っ」


 聞こえてくる会話の内容が、かなり物騒なものに変わっている。

 絶望的な表情でたたずむ二人と、目の前で手を握る一人。


 そして、どうしたらいいか分からず硬まる私。

 このまま膠着こうちゃく状態が続くと思われたリビングに、救いの声が響き渡った。


「ちょっとリブラ? 完成したのから先に運んでおいてって言ったじゃない。いったい何して──」


 リブラの様子を見にきた律は、一瞬で事態を察したらしい。


「あんたなにしてんの!?」


「おわっ!? ちょっと律〜。今いいところだったんだよぉ」


 首根っこを掴まれたリブラが、ズルズルと引き離されていく。


「あたし言っておいたわよね。今から会う死神には、くれぐれも失礼のないようにって」


「でもさ、めちゃくちゃタイプなんだよ〜。せっかく出会えたのに、この機会を逃すわけにはいかないでしょ?」


 くすんくすんと半泣きで抗議するリブラに、律は頭を抱えている。

 律たちのやりとりを見守っていた燕と時雨は、もう終わりだ……と言わんばかりの表情だ。


「そう、分かったわ。そこまで言うなら仕方ない。リブラ、あんたはどうしようもないギャンブル中毒だけど、一緒にいる時間は楽しいものだったわ」


 リブラに向けてそう言い放つと、律は私の方を見て悲しそうに笑いかけてきた。


「睦月ちゃん。こんなやつではあるけど、どうか同じ住民のよしみで仲良くしてもらえないかしら。残された時間くらい、幸せな思いをさせてあげたいのよ……」


「はい、それくらいなら……?」


「え、僕もうすぐ消される感じ?」


 律でさえも、既にリブラが消える前提で話を進めているらしい。

 当のリブラはといえば、自身の処遇についてきょとんとした顔を浮かべている。


「どうしてこんな話になってるの?」


「そりゃあれだろ。やばい上司に加えて、もしあいつが戻ってきたりしたら……」


「しー! そんな話、睦月ちゃんにしたらダメだよ!」


 時雨に聞いてみたものの、話の途中で燕が時雨の口を押さえ込んでいる。


「睦月ちゃんは気にしなくても大丈夫だよ! 死神たるもの、自分の責任は自分で取らせなくちゃ」


 変わらない笑顔で「ね、時雨!」と話してくる燕に、時雨の表情がだんだんと無に変わっていく。

 とにもかくにも、アパートの二階。


 Ⅴ号室の住民との出会いは、とてもにぎやかなものとなった。




 ◆ ◇ ◆ ◇




【 おまけの裏事情 】



 念のため上司に相談してみた睦月。

 その後、上司から返ってきたメッセージがこちら ↓


「何なら戻る時、美火も付けておきましょうか?」


 丁重にお断りした。



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