霜月を見送った後、私はテーブルでパソコンを開いていた。
そろそろ朝食を摂る時間なのだが、少しも食欲が湧いてこない。
霜月が作ってくれた朝食を思い浮かべ、あれだったら食べるのにな。
なんて考えた自分に、思わずため息をつきそうになる。
もうここに霜月はいないのだ。
少なくとも、事を終えるまで会うことは難しいだろう。
別に一食くらい抜いても、どうってことはない。
そんな考えでタイピングを続ける私の耳に、チャイムの音が聞こえてきた。
こうしてチャイムを鳴らせるのは、アパートの住人くらいなはず。
もしかして、律さんだろうか。
そう思いドアを開いてみると、そこには予想した通りの人物が立っていた。
「おはよう睦月ちゃん。いきなりごめんなさいね」
「おはようございます。何かありましたか?」
「朝食でもどうかと思って誘いに来たのよ。連絡を入れようか迷ったんだけど、せっかく隣にいるんだもの。こうして聞きに行った方が早いかと思って」
優しく微笑んでいた律だが、何も答えない私を見て焦った表情に変わる。
「もしかして、もう済んだ後だったかしら?」
「いえ、まだです」
私の返事にほっとした様子の律は、「なら一緒に食べましょう」と再び誘いをかけてきた。
「
おそらく律は、私のことを霜月から頼まれていたはずだ。
外出する際は護衛を頼むつもりだったが、こうしてアパート内でも気にかけてくれる辺り、昨日の夜にかけられた言葉は紛れもなく律の本心だったのだろう。
たとえ頼まれなくとも、私のことを気にかけているのだと。
言葉以上に、伝わってくるかのようだった。
◆ ◆ ◇ ◇
「あ! 睦月ちゃん!」
律の部屋に上がると、こちらを見た燕の表情が一気に明るさを増していく。
「おはよう燕くん」
「燕でいいよ! あ、睦月ちゃんは……睦月ちゃんでもいい?」
「もう呼んでんじゃねぇか」
燕の隣では、時雨が呆れた様子で呟いている。
並んで座る二人と向かい合う形で腰掛けた。
「そのままでいいよ。それと、時雨もおはよう」
「……おはよう、ございマス」
片言気味だが、それでもしっかりと返された挨拶に、燕が嬉しそうな笑みを浮かべている。
「えー! なになに、どういうこと? あの時雨が素直に返事をするなんてさ。これは雨じゃなくて、槍でも降ってくるんじゃないの?」
キッチンの奥から、誰かが顔を
青緑色の髪と、それよりも
少し垂れ目なところが、笑うと
「うっせぇな。お前は引っ込んでろ」
「きゃー怖い! 時雨ったら、そんな言い方しちゃダメだよ。せっかく素直になれる相手と出会えたんだから、もっと紳士的にならなくちゃ……」
こちらを向いた青年と、ばっちり視線が合う。
突然動きを止めた青年は、目を見開くと、小刻みに震え出した。
「え……うそ。めちゃくちゃタイプなんですけど……!?」
もの凄い速さで近寄って来た青年は、私の手を両手で包むように握ってくる。
「初めまして、僕はリブラと言います。まさか、こんなに美しい方がアパートにいらっしゃってたなんて……。是非とも、貴女の名前を教えていただけないでしょうか」
リブラと名乗った青年は、熱烈な視線でこちらを見つめてくる。
戸惑いのあまり時雨と燕の方を向くも、二人は何故か悲劇的な表情で立ち尽くすばかりだ。
「あいつ……死んだな」
「時雨、おれ嫌だよ。リブラがいなくなっちゃうなんて……。何とかできないの?」
「諦めろ燕。もう手遅れだ……」
「そんな……っ」
聞こえてくる会話の内容が、かなり物騒なものに変わっている。
絶望的な表情で
そして、どうしたらいいか分からず硬まる私。
このまま
「ちょっとリブラ? 完成したのから先に運んでおいてって言ったじゃない。いったい何して──」
リブラの様子を見にきた律は、一瞬で事態を察したらしい。
「あんたなにしてんの!?」
「おわっ!? ちょっと律〜。今いいところだったんだよぉ」
首根っこを掴まれたリブラが、ズルズルと引き離されていく。
「あたし言っておいたわよね。今から会う死神には、くれぐれも失礼のないようにって」
「でもさ、めちゃくちゃタイプなんだよ〜。せっかく出会えたのに、この機会を逃すわけにはいかないでしょ?」
くすんくすんと半泣きで抗議するリブラに、律は頭を抱えている。
律たちのやりとりを見守っていた燕と時雨は、もう終わりだ……と言わんばかりの表情だ。
「そう、分かったわ。そこまで言うなら仕方ない。リブラ、あんたはどうしようもないギャンブル中毒だけど、一緒にいる時間は楽しいものだったわ」
リブラに向けてそう言い放つと、律は私の方を見て悲しそうに笑いかけてきた。
「睦月ちゃん。こんなやつではあるけど、どうか同じ住民のよしみで仲良くしてもらえないかしら。残された時間くらい、幸せな思いをさせてあげたいのよ……」
「はい、それくらいなら……?」
「え、僕もうすぐ消される感じ?」
律でさえも、既にリブラが消える前提で話を進めているらしい。
当のリブラはといえば、自身の処遇についてきょとんとした顔を浮かべている。
「どうしてこんな話になってるの?」
「そりゃあれだろ。やばい上司に加えて、もしあいつが戻ってきたりしたら……」
「しー! そんな話、睦月ちゃんにしたらダメだよ!」
時雨に聞いてみたものの、話の途中で燕が時雨の口を押さえ込んでいる。
「睦月ちゃんは気にしなくても大丈夫だよ! 死神たるもの、自分の責任は自分で取らせなくちゃ」
変わらない笑顔で「ね、時雨!」と話してくる燕に、時雨の表情がだんだんと無に変わっていく。
とにもかくにも、アパートの二階。
Ⅴ号室の住民との出会いは、とても
◆ ◇ ◆ ◇
【 おまけの裏事情 】
念のため上司に相談してみた睦月。
その後、上司から返ってきたメッセージがこちら ↓
「何なら戻る時、美火も付けておきましょうか?」
丁重にお断りした。