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ep.38 好きな人


「改めまして、Ⅴ号室に住んでいるリブラです。睦月さんがⅡ号室なので、ちょうど上の階に当たりますね」


 ぽーっとした表情で話しかけてくるリブラは、周りに花でも舞っていそうな雰囲気だ。

 リブラの要望により、急遽きゅうきょ行われた席替え。


 真っ先に正面を希望したリブラに対し、時雨しぐれが選んだのは私の隣だった。

 意外な選択に時雨の方を見るも、「リブラの横だけは嫌なんで……」と言いながら目を逸らした時雨の姿に、つばめが小さく笑みを溢していた。


 リブラの隣には燕が座り、律は私とリブラの間、いわば上座の部分に座っている。


「ほら、冷める前に食べるわよ」


「はーい」


 燕が元気よく声を上げる。

 温かい手料理に、先程まではなかったはずの食欲が湧いてくるのを感じた。


「そういえばリブラ。今回はいつまで居るつもりなの?」


「んー。とりあえず、しばらくは居ようかなぁと思ってるよ」


「決まった期間はないってことね」


 こちらを見たリブラと目が合う。

 にっこりと笑いかけてきたリブラは、「そういうことになるかな〜」なんて返事をしている。


「ほんと、一度決めたら譲らないんだから。困ったものだわ」


「どの道、あいつが帰ってくるまでの話だろ」


「まあまあ、その話は後でもいいじゃない! 食事は美味しく食べなくちゃ」


 リブラの言葉に、時雨は誰のせいだと言わんばかりの顔をしていたが、律は折れることにしたようだった。


「そうね、この話はまた後でにしましょう。せっかく睦月ちゃんが来てくれたんだもの。色々とお話しするチャンスだわ」


「はいはい! おれ、睦月ちゃんに聞きたい事があります!」


 勢いよく手を上げた燕が、こちらを見てキラキラと目を輝かせている。

 期待に満ちた輝きに、答えられることならと返すと、燕は嬉しそうに口を開いた。


「睦月ちゃんは、好きな人がいますか?」


「ぶっ」


 唐突な質問に、時雨の口から水が吹き出した。

 向かいでは、リブラが固唾をんで見守っている。


「好きな人……っていうのは、恋愛としてってこと?」


 もしかしたら意味合いが違うかもしれない。

 そう思い確認してみるも、燕はその通りだと言うように、大きく頷いている。


 好きな人、か。

 正直、誰かに恋愛感情を抱いたことがないため分からない、と言うのが答えだ。


 いや、そもそも人に特別な感情を抱いたこと自体ないのかもしれない。

 両親に対する思いはあったし、陽向ひなたにも少なからず情と呼ばれるものは持っているのだろう。


 だけど、それだけだ。

 ──恋愛感情が何かさえ、私はよく分かっていない。


「睦月ちゃん?」


 思考が現実へと引き戻されていく。

 心配そうにこちらを見る燕が、柔らかく色付いている。

 いつからだろう。

 こんなにも視界が、色鮮やかに戻ったのは──。


「好きな人は、いないかな」


 あの日からだ。

 上司が突然、やってきた日。

 死神かれらと出会ったあの日から、私の世界は急速に色を取り戻し始めた。


「そうなんだ!」


 嬉しそうに笑う燕の横で、リブラがほっと息を吐くのが見えた。

 隣では時雨が、何か言いたそうな顔でこちらを見ている。


「じゃあさ、一つお願いがあるんだけど……」


「お願い?」


 躊躇ためらう燕の姿に、どんなお願いかと首を傾げる。

 意を決した様子でこちらを見た燕は、はっきりした声で願いを口にした。


「おれと時雨と三人で、デートしてほしいんだ!」



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