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ep.53 魔王の楽しみ


 地を隙間なく埋め尽くしていた槍が、徐々に形を失っていく。

 そこら中にクレーターのような凹凸が出来上がった場所で、転幽は誰もいない空間に向けて口を開いた。


「まだ続けるかい?」


「いんや。あまりにもが悪ぃんでな。止めとくわ」


 何処からか聞こえた声に合わせて、けた空間の一部から腕が現れた。

 そのまま外へと出てきたアヴァリーは、拒否を示すように手を振っている。


「それによ、お前ほどのやつと現世ここでやり合えば、ルール違反になっちまうだろ?」


「賢明な判断だね」


「お、そこは愚かな判断って言わねぇんだな」


 揶揄からかい混じりの笑みを浮かべたアヴァリーに対し、転幽は微笑みをたたえたまま首をかしげた。


「言葉でも返して欲しいのかい? 君はあまり、舌戦ぜっせんが得意なようには見えなかったけれど」


「……いい性格してるぜまったく」


 げんなりした顔で呟いたアヴァリーは、一転、真剣な表情で転幽の方を見た。


「もう少し探れるかと思ってたんだがな。やっぱ現世ここじゃそうもいかねぇわ」


 口惜くちおしそうな声だ。

 現世で相対した以上、仕方がないことだと分かっていた。

 けれど、アヴァリーのような存在にとって、それはとてもつまらないことでもあったのだ。


 三界の存在は、現世において力を大幅に制限されている。

 というより、制限するよう規則ルールとして定められているのだ。


 かつて、一つの星を破壊するほどの戦いがあった。


 今より七代前、野心にあふれていた当時の魔王は、自身の側近──今で言う暗黒将を引き連れ、死神王に宣戦布告を行った。


 しかし、死神王が相手にしなかったことに腹を立てた魔王は、側近たちへ現世にいる死神を片っ端から襲うよう指示を出したのだ。


 結果的に、死神王の不興ふきょうを買った魔王と側近たちは、宝月によって一掃いっそうされることとなる。

 魔界のトップは大きく入れ替わり、戦いの地であった星はほぼ壊滅状態となった。


 その後、あらゆる星を管理していた天界と死界の王は、魔界に対し初めて警告を発した。

 新しい魔王がこの事態を重く受け止めたため、結果的に三界で規則ルールが設けられる形となったのだ。


 王の管理する世界では、星に損害を与えるような行いをしてはならない。


 これは、主に悪魔たちへ向けての規則ルールだったが、現世に訪れる死神や天使も、それぞれの王による許しがない限りはこの規則を守るようにしている。


 三界の干渉する星──現世において、それは今も変わらない規則ルールとして効力を発揮はっきしていた。


「いっそ魔界でやり合いてぇくらいだよ。お前、こっちに来る気はねぇよな?」


「元も子もない話だね。わたしも、これ以上待つつもりはないよ。早く魔界へ帰った方がいい」


「へーへー。分かりましたよっと」


 アヴァリーは空間を割くと、再び中に体を沈めていく。

 不意に空を見上げたアヴァリーは、急速に近づいてくる気配に目を細めると、転幽の方を振り向いた。


「お前の名付け主とやらは、随分と大事にされてるみてぇだな。そいつのことも気になるが、まあどっちにしろこれじゃ終われねぇからよ。また会いに来るぜ」


 転幽に向けて「じゃあな」と声をかけたアヴァリーは、そのまま空間の先へと消えていった。


 清涼な風が吹き、さらさらと髪を揺らしている。


 人気の感じられない山のふもと

 魂の少ない場所には、死神もあまり訪れない。

 おそらく、ここから魔界へのゲートを繋ごうとしていたのだろう。


「そろそろ呼び戻しに行かないとね」


 転幽の目が伏せられ、紺碧がまぶたの下に隠れる。

 睦月の髪に編まれたリボンが風に舞い、きらりと光を反射していた。




 ◆ ◇ ◇ ◇




「アヴァリーが退却しただと!? そんな馬鹿な!」


「相手はまだ死神になったばかりの存在らしいよ」


「……」


「その死神を、魔王様がお望みだと聞いたわ。まさかルールを破るおつもりなのかしら」


「なんとまあ。これは再び、死界の王に宣戦布告を行うための余興でしょうか」


 魔王城。

 魔界にある最も巨大な建造物の中で、暗黒将の悪魔たちは口々に声を上げていた。


静粛せいしゅくに。魔王様がいらっしゃった」


 両開きの扉が、音を立てて開かれていく。

 一気に張り詰めた空気の中、玉座に相応しい椅子へと座った魔王は、将たちの予想に反して機嫌が良さそうに見えた。


「魔王様。今回のアヴァリーの件ですが……」


「ああ、それはもう良い。知りたいことは知れたからな」


「左様でしたか……」


 黒い眼帯が、魔王の片目を隠している。

 もう片方の目から覗く赤紫色の瞳は、まるでここではない何処かを視ているようだった。


「鍵か、生贄いけにえか。それとも──」


「魔王様……?」


「悪魔たちに通達しろ。しばらくの間、あの死神に危害を加えることを禁ずると」


 ──楽しみは熟成させるほど、喜びもひとしおになるだろう。

 もしかすると、とんでもないものが見られるかもしれない。


「何故そのような……いえ、ただちに行って参ります」


 将の一人が席を立ったのを視界の端でとらえながら、魔王はいつか分かるであろう楽しみの答えに思いをせていた。



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