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ep.7 イレギュラーな死神


 簡素だが質が高い室内だ。

 畳の清々すがすがしい香りが、幼い頃の記憶をよみがえらせてくる。

 三日月が用意してくれた座布団に座り、テーブルを挟んで向かい合った。


「話を整理しましょう。貴女は死神として、今よりも強くなりたいと思っている。ひいては、位をあげたいとも」


「そうだね」


 視線を逸らさず、はっきりと肯定する。


「ご意志はわかりました。──では睦月、ここから先の話をよく覚えておいてください」


 背筋が伸びるような声だ。

 いきなり名前を呼ばれた驚きよりも、三日月の雰囲気に意識が引っ張られていく。


 全身に行き渡る美しい所作。

 エメラルドのように鮮やかな瞳には、静かな炎が揺らめいていた。


愚神やつが王である限り、睦月が死界に居続けることは困難です。睦月は人としての側面を残したまま死神になりました。つまり、イレギュラーなんです。さらに新月の連れてきた存在とあっては、危険視されるのも無理はないでしょう」


 たしかに、今の私は人でもあり死神でもある。

 これまでこの状況を不思議に思わなかったかと聞かれれば、答えは否だ。

 くすぶり続ける違和感に、幾度も自問した。


 私はいったい、何者なのだろうと。


「私が死神として特殊な立場にいるのは分かってる。でも、上司が連れて来ただけで、どうして危険視されることに繋がるの?」


「新月は、あの愚神に仕えている気など毛頭ないはずです。いつそむくかも分からない仮の側近。この関係が変わらない限り、新月の空間エリアにいる死神たちは排除対象にすらなりえます」


 つまり、私だけでなく霜月や美火たちも対象に入っているということだ。


「中でも睦月は、新月が自ら現世に行き、部下として引き入れた存在です。愚神やつもとうに、睦月が特別な存在だと気づいているはず。睦月を現世で過ごさせているのは、そうしたいざこざから遠ざけるためでもあるんですよ」


 常に飄々とした様子で物事を進めてくるから、初めはなんだこいつとばかり思っていたけれど。

 上司はたぶん──。


「素直じゃないだけか」


「ふっ。そうかもしれませんね。新月は俺たちの中でも、特に苦痛の多い道を選びました。とても一途なんですよ。……もし月が残っていなければ、死界の有様はさらに大きく変化していたはずです。主の創った世界を守るためにも、誰かは残る必要がありましたから」


 軽く吹き出した三日月が、懐かしむような表情で語っている。


「これを受け取ってください」


「……お守り?」


 テーブルに置かれた物は、お守りに似た形をしていた。

 夜空色の袋には三日月が描かれており、「封」という一文字が添えてある。


「必ず役に立つ時が来ます。それまでは、見つからないよう仕舞っておいてください」


「分かった」


 受け取ったお守りを扉の空間へ送ると、立ち上がった三日月が手を差し出してきた。

 そろそろ時間なのだろう。

 三日月に連れられるまま、家の外へと歩いていく。


「どうして、私の願いを叶えようとしてくれるの?」


愚神やつを玉座から降ろすことは、俺たちの総意でもあります。睦月が望む先にある障害と、俺たちが取り除きたい障害は同じ。それなら、協力した方が早く片付くと思いませんか?」


「それもそうだね」


 ゆっくりと離れる手は、三日月の抑えきれなかった気持ち──名残を表している。


「どうかご健勝で」


「うん。ありがとう三日月」


 振り向かず、来た道を進んでいく。

 蛍の光が案内するように揺らめく中、私は木々に姿が隠れるまで、夜空に浮かぶ三日月を眺めていた。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 美しすぎる容姿も、静かなように見えて鮮やかな内面も。

 思い出すだけで、ぽっかり空いた傷口をなだらかにしてくれる。


「残り少ない時間を、貴女が楽しめますように」


 口にした願いは、夏の風ににじんで溶けた。


「俺たちの願いを叶えるためには──睦月に死んでいただかなくてはならないのですから」


 蛍の舞い遊ぶ森を眺めながら。

 ぽつりと呟いた三日月の姿は、家の中へと消えていった。



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