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ep.8 満月


 カーテンの隙間から差し込む朝日が眩しい。

 どうやら、あのまま眠ってしまったようだ。

 寝ている場所がソファーではなくベッドなのを見る限り、霜月が運んできてくれたのだろう。


 枕元に置かれた金のリボンが、日の光に反射してきらめいている。

 リボンを手に取り、いつものように左側の髪に編み込んでいく。


 髪の間でのぞく金が、動くたびにきらりと光った。


「おはよう」


 リビングのドアを開けると、ふわりと香るコーヒーの匂いと、テーブルに並べられた朝食が見えた。


「おはよう睦月」


「昨日、霜月が運んでくれたんだよね。ありがとう」


 はにかんだ笑みの霜月が、湯気の立つカップを置いてくれる。

 綺麗に焦げ目のついたパンと、横に添えられたオムレツが美味しそうだ。


 現世での情報収集も兼ねて、律はよくデパートなどに足を運んでいるらしい。

 この食材は、律が用意してくれたものだろう。


「毎日こんなご飯だったら、ずっと健康でいられそう」


「睦月のためなら毎食でも作る」


 思わず漏れた呟きに、霜月がさらりと返事をしてくる。

 もしここで頷けば、霜月は間違いなくそうするだろう。

 何気なく発したように聞こえても、こうした場面で霜月が冗談を言ったことはないのだ。


「甘えたい気もするけど、たまには私も作るよ」


「睦月の……手料理」


 霜月の周囲にキラキラしたエフェクトが飛び散るのを眺めながら、私は朝食を黙々と口に運んでいた。




 ◆ ◇ ◇ ◇




 ソファーに腰掛け、ゆったりとした時間を過ごしている。


 綺麗に完食した私を見て、霜月は嬉しそうに微笑んでいた。

 昔から食事を抜きがちで、陽向ひなたにはきちんと食べるようせつかれていたくらいだ。

 今日の様子を陽向が見たら、驚くかもしれない。


「そのリボン……」


「これ?」


 霜月の視線が、髪に編み込まれたリボンへ向けられている。

 ただのリボンだが、何か気になることでもあったのだろうか。


 ほどいて手渡そうとすると、霜月が慌てて止めてくる。

 結ぶのは慣れているし、そこまで手間でもないのだが、そのままでいいと話す霜月の言葉に従い手を下ろした。


「これがどうかした?」


「睦月以外の気配が染みついてたから、誰のものか知りたかったんだ」


 私以外の気配──。

 心当たりは、一つしかなかった。


「前に、猫と暮らしてたって話をしたことがあったよね」


 録画された映像を巻き戻すように、記憶を呼び起こしていく。

 ぱっちりとした金色の目。

 きらきら輝くリボンの金が、目の色ともよく似ていて。


「その猫の目が金色でね。だから買ったの。首輪の代わりにでも、付けておこうかなって」


 プレゼントしてから、満月はいつもリボンを首につけていた。

 よほど気に入ったのか、解けるとわざわざ運んできて、結んでくれと強請ねだる程だった。


「猫の名前、満月って言ってね。このリボンは、満月がいなくなった日から私が使うようになったんだ」


 あの日、満月は部屋にいなかった。

 仕事から戻った私が見たのは、出迎えのない冷たい部屋と、床にぽつりと置かれたリボンだけ。


 必死になって探した。

 薄く開いたベランダの窓に、嫌な予感ばかりがつのっていく。


 窓は閉めたはずだ。

 私が記憶を間違えるわけもない。

 いや……今はそんな事、どうだっていい。


 ただ無事でいてくれたら。

 また私の元に戻ってきてくれたら。

 それ以外は何も、望みはしないのだから。


 ──けれど、その願いが叶う事はなかった。


 何かを悟ったのだろう。

 霜月は黙ってこちらを見つめていたが、頬に手を当てると、指で私の目尻に触れてきた。


「何かついてた?」


「いや、何も。ただ触れたくなっただけだ」


 そっと撫でてから手を引いていく。

 なぐさめてくれたのだろうか。

 触れられた場所に、じんわりと感触が残っている。


「睦月。一つ、伝えておくことがある」


 真剣な声に、霜月の目を見つめた。


「死界にいる時は、満月という名前を出さない方がいい。上司の空間エリア以外では、常に視られている可能性があることを覚えていてほしいんだ」


「月という言葉が禁句なのは知ってたけど、名前も危ないってこと?」


 考え込む私を見て、霜月が詳しい話をしてくれる。


「死神の言語は、神が使う共通言語のようなものなんだ。現世の言葉であれば、どれも等しく理解することができる」


 つまり、どの国の言葉であろうと、死神にとっては同じように聞こえるという話だ。

 解釈の仕方は違えど、言葉の理解という点ではあまり変わらない。


「対して、死神俺たちの言語を現世の言葉に置き換えるのは不可能だ。人間が聞き取ろうとした場合、類似する言葉や、その場に適した表現を代用して理解することになる」


「それって、聞いた人が知る中で、一番意味が近い言葉に変換されるってこと?」


「その認識で合ってる」


 問いかけに肯定した霜月は、月が禁句になっている理由についても教えてくれた。


 いわく、死界で月という言葉を出すことは、以前の王に忠誠を誓うことを意味する。

 そのため、反逆の因子いんしとして目をつけられないよう、死神たちは死界で「月」という言葉を発しないようになった。


 私の名前にも月が入っているが、これは現世の言葉で付けられたもののため、大きな問題にはならないらしい。

 ただし、死神になると新たな名を得る死界において、現世の名をそのまま使う者は、訳ありと思われることも多いようだった。


「霜月は、大丈夫なの?」


 霜月の名前は私が付けている。

 つまり、グレーということだ。

 もし、そのせいで霜月に何かあったとしたら──。


「平気だ。睦月がくれたから」


 一抹いちまつの不安さえも感じない声だった。


 答えになってない応えから、霜月の真意が伝わってくる。

 たとえ、誰に何を言われようと関係ない。

 私が贈った名であることだけが、霜月にとっては重要なことなのだと──。


「でも、満月についてはその限りじゃない」


 重みの増す空気の中、霜月の言葉に耳を傾ける。


「死界には月を冠するもの。通称、宝月ほうげつと呼ばれる存在がいる。月は全部で六つ。そして、その内の一つを表すのが──満月なんだ」



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