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ep.2 花と月


「まさか、自力で戻ってくるとはのう」


 鮮やかな扇子が開く。

 口元を隠したヘデラは、他の花たちに意味ありげな視線を投げかけている。


「予想より早くはありますが、全くの想定外という訳でもありません。それに、特別警備課が人員を割いたため、こちらも部下を動かしやすくなりました」


「死局内の治安を保つのも、あやつらの役目じゃからのう。うろちょろされぬ分、むしろ僥倖ぎょうこうだったくらいよ」


「だが、目障りなことに変わりはない。独立した組織は、いずれ王の邪魔になる」


 警備課とは違い、特別警備課は上層部からの束縛を受けない。

 独自の判断による調査が可能であり、王以外の命令は拒否することができるのだ。


 しかし、王が変わったのを機に、特別警備課はへと至った。

 そのため、睦月が消えた際も静観する課をよそに、特別警備課だけは捜索に当たっていた。


 問題の件について、王からのめいは下っていない。

 特別警備課ともあろう組織が、沈黙の意図に気づいていなかったはずもなく。


 死局内に広がる暗黙の了解を破ってなお、たった一人の死神のために部隊を動かしてみせたのだ。

 その事実は、王の花たちが、彼らを目障りな存在だと認識するには十分なものだった。


「紫花の考えは理解できますが、今は手を出すべきではないかと。特別警備課には、宝月と繋がりのあった死神も残っていますから」


 王の側近と直に関われる死神は、限られている。

 無花果いちじくの言いたいことを察し、ロベリアは険しい表情のまま黙り込んだ。


「下手に刺激すれば、計画にずれが生じる可能性もあります。私たちの目的は、王の願いを確実に叶えること。大成を遂げるためにも、時が来るのを待つべきです」


「赤花の言う通りじゃな」


 同意を口にしたヘデラは、隣でうつらうつらと首を傾ける睡蓮すいれんの方を見た。


「我と紫花は再び現世へ向かうゆえ、黄花は赤花を手伝うようにの」


「……うん……」


 不安定ながら戻ってきた返事に、ヘデラが笑みを浮かべている。


「何か手がかりは掴めましたか?」


「そうじゃな……」


 難航している月の捜索だが、無花果の問いかけに唇の端を持ち上げたヘデラは、扇子をぱたりと閉じている。


「例の死神が生まれた場所とやらに、行ってみようかと思ってのう。僅かだが、あの場所には朧月の気配が漂っておった」


「鉢合わせる可能性もあるのでは?」


「……あいつは、危険……」


 睦月の話が出たことで、睡蓮が微かに瞼を開けた。


「心配せずとも、直接乗り込んだりはせぬよ」


「緑花殿であれば、いくらでも駒は作れるからな」


 ヘデラは内側を弄るのが巧い。

 ロベリアの言葉に、無花果も納得した様子で声をかけている。


「天界による不審な動きも増えています。くれぐれもお気をつけて」


「うむ。死界こちらのことは任せたぞ」


 一瞬で空間を去っていったヘデラとロベリアを見送り、まだ眠たげな睡蓮の背を優しく撫でる。

 穏やかな眼差しから一変。


 冷ややかな表情で何処かを見つめた無花果は、次の仕事に取り掛かるべく部屋を後にした。




 ◆ ◆ ◆ ◇




 本家の集まりには正装で。

 古くから続く神楽かぐらのしきたりにより、睦月はいつぶりかの和装をしていた。


 黒を基調とした着物には、銀の蝶が舞っている。

 精巧な刺繍によって彩られた着物は一級品であり、睦月の母が残した遺品でもあった。


「ねえ、あの方ってもしかして……」


「今回は神楽しがらきも参加するようだな」


「相変わらず、ゾッとするほど美しい容姿だこと」


 周囲がひそひそと会話を交わす中、当の睦月は気にした様子もなく、邸宅に向かって歩を進めている。


「姉さん!」


 玄関口に立っていた陽向が、睦月を見るなり嬉しそうな声を上げた。

 駆け寄り手を握ろうとした陽向は、睦月の腕が既に埋まっていることに気づき、目を瞬いている。


「霜月も来てたんだね。いらっしゃい」


 月のような金が陽向を映し、すぐに背けられた。


「今回は、少し長めの滞在になると思う。部屋を借りてもいいかな?」


「姉さんの部屋なんだから、どれだけいてくれたって構わないよ!」


 陽向の表情が、花火のように輝いている。

 そのまま睦月を家の中へ案内しようとする陽向を、突然、中年の男が呼び止めた。


「陽向様。いくら幼馴染といえど、婚約者を差し置いて、他の女性を優先されるのは感心しませんね」


 西宮の当主である男は、背後に娘を連れている。

 腹黒さを押し込めたような作り笑顔に、陽向の雰囲気も硬さを増していく。


 娘の依子よりこは感情の起伏が激しいことで知られていたが、睦月の──正確には、霜月の方を見るなり、青ざめた顔で口を噤んでいる。


「ああ、可哀想に……。娘も落ち込んでしまっております」


 父親として大袈裟に哀れむ西宮の姿に、陽向が拳を握った。

 ひりついた空気が流れる中、睦月が口を開くよりも早く、その場に呆れを含んだ声が響いた。


「西宮の。次期当主と神楽しがらきの当主は、姉弟同然に育った仲ですぞ。正式な婚約でもあるまいに、その言い分はどうかと思うがのう」


「北条……」


 西宮の顔が苦々しげに歪む。

 白い髭を撫でながら現れた老人──北条は、背後の孫に向かって「のう? 高人」と話しかけている。



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