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ep.3 交わらない世界


「お祖父様のおっしゃる通りです」


 礼儀正しい青年だ。

 高人を見た者なら、大抵はそう思うだろう。

 丁寧な所作と、簡素だが質の高い身なり。


 口元に浮かべる微笑みは、穏やかな人となりを表しているかのようだった。


「正式な婚約ではないとおっしゃいますが、西宮うちの娘ほど陽向様のお相手に見合う者もいないと思いますがね」


「随分な自信じゃのう。ならば、お嬢さんの意見も聞いてみてはどうかね?」


 視線を向けられた依子の身体が、びくりと震える。


「……わ、私は……」


「傷心の娘に、その様な問いかけはしないでいただきたい」


 西宮が庇ったことで、話が中断された。

 北条はやれやれと言わんばかりの表情で、片眉を上げている。


「まあよい。後ほど集まりでも話があろう。行くぞ、高人」


「はい、お祖父様」


 高人を連れて去っていく北条を、西宮は苦々しげな顔で見ていた。

 北条の背中が見えなくなると、西宮は陽向に「では、我々も後ほど」と告げて、俯く依子と共に去っていった。


 静寂が流れ、陽向から身体の力が抜けていく。


「ごめんね、姉さん。面倒事に巻き込んで……」


「初めから平和に済むとも思ってなかったし、陽向が気にする必要はないよ」


 申し訳なさそうに謝る陽向は、睦月の返事を聞いて少し安堵したようだった。


「僕たちも家に入ろうか」


 巨大な邸宅は、来客が使える場所と神楽かぐらだけが住まう場所によって、別に入口を設けている。

 睦月に声をかけた陽向は、当然のように神楽が使う入口へと睦月を連れて行った。


「陽向。婚約の話についてなんだけどね」


「えっ? あ、うん。……何かあった?」


 婚約という言葉に、陽向が焦った様子を見せる。

 緊張からかその場で硬まる陽向に気づき、睦月も足を止めた。


「あの人間との結婚は、お勧めできないかな」


「あの人間って……依子のこと? 急にどうしたの、姉さん」


 困惑する陽向は、睦月が何故そんな事を口にしたのか、測りかねているようだった。


「ああいう人間は、いずれ周りも不幸にしていく。自らが引き起こした重さに耐え切れず、沼から抜け出すために生贄みがわりを捧げることも厭わない」


 淡々と語られる言葉とは裏腹に、込められた意味は重く深い。


「一緒に業を背負う覚悟がないなら、他の人間を選んだ方がいいよ。陽向まで、泥舟に乗る必要はないと思うから」


 ──姉さんには、いったい何が視えてるの?


 口から出かけた言葉を、陽向はすんでのところで呑み込んだ。

 それを聞いたら、睦月との距離がさらに開いてしまうような気がして。


 陽向は、ただ黙っていることしか出来なかった。


「決めるのは陽向だから、それでもあの人間を選びたいなら、私はもう止めないよ」


 好きにしたらいい。

 言外に伝わった意思に、陽向は痛む胸を抑えた。


 家族として、心配はしてくれているのだろう。

 昔から周りに興味を持たず、感情の薄かった睦月が、陽向の前ではちょっとだけ柔らかくなる。

 そんな変化を、陽向はとても嬉しく思っていた。


 会議では、陽向の婚約についても意見が飛び交うはずだ。

 他の候補が出た際は、睦月に聞けば、良し悪しくらいは教えてくれるかもしれない。


 それでも、睦月自身が相手になることだけは──絶対にないのだ。


「遅くなったけど……お帰り、姉さん」


 これからも、家族として睦月の帰る場所であれるよう。

 哀愁を隠すように微笑んだ陽向は、「じゃあ、また後でね」と手を振ると、そのまま来た道を戻っていった。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 掃除の行き届いた部屋で、飾られた写真立てを眺める。

 写っているのは両親と、幼い頃の私だ。

 ──本当に、驚くほど似ていない。


 神楽かぐらの集まりということで参加したが、私の目的は他にもあった。

 時折ちらつく桜色が、季節外れの彩りを呼び込んでくれる。


 あえて散らされた花弁は、私のために用意された道標だ。

 情報通な朧月だけあって、どうやら今は神楽の敷地内に来ているらしい。


 朧月と会うついでに、神楽での用事も終わらせる。

 一石二鳥な状況ではあるのだが、そう易々と済むはずもなく。


 予想していた通り……いや、それ以外にも幾つか気になることがあった。

 神楽の敷地に漂う痕跡。

 オーラとも呼べる空気の色が、のだ。


 まずは会議に参加して、原因を探ることから始めよう。

 やるべき事が定まり、伏せていた目を上げる。

 そういえば、北条の孫を見るのは今回が初めてだった。

 先ほどの光景を思い返し、微かに息を吐く。


 ──あれなら、レインの方が上手かったな。

 なんて、比べるのも失礼だったかもしれない。


「睦月」


「どうしたの?」


 霜月に呼ばれ、何かあったのかと視線を向ける。

 猫から本来の姿に戻った霜月は、私と目が合うなりにこりと笑みを浮かべた。


 ──わあ、可愛い。

 未だに、目が合うだけで嬉しそうにするのは、反則だと思います。


「俺も付いて行きたい」


「会議のこと? もちろん構わないけど、猫の姿のままだと難しいかも」


 一族の中には、粗探しが得意な者も多い。

 会議に猫を連れ込んだと騒いだり、議題を逸らすために利用したりなど、面倒事も起きやすくなるだろう。


「問題ない。実体化は解いていくつもりだ」


「それなら大丈夫だね」


 人間に死神の姿は見えない。

 むしろ、視認できなくなることで、調べ物がしやすくなるかもしれない。


「霜月、一つ頼んでもいいかな?」


「いくらでも」


 間髪を入れずに答えた霜月に、自然と笑みが浮かぶ。

 そろそろ時間か。

 立ち上がったはずみで、大振りの袖が揺れる。


 銀の蝶が舞う袖を翻し、会議という名の戦場に向かうため、部屋を後にした。



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