「お祖父様のおっしゃる通りです」
礼儀正しい青年だ。
高人を見た者なら、大抵はそう思うだろう。
丁寧な所作と、簡素だが質の高い身なり。
口元に浮かべる微笑みは、穏やかな人となりを表しているかのようだった。
「正式な婚約ではないとおっしゃいますが、
「随分な自信じゃのう。ならば、お嬢さんの意見も聞いてみてはどうかね?」
視線を向けられた依子の身体が、びくりと震える。
「……わ、私は……」
「傷心の娘に、その様な問いかけはしないでいただきたい」
西宮が庇ったことで、話が中断された。
北条はやれやれと言わんばかりの表情で、片眉を上げている。
「まあよい。後ほど集まりでも話があろう。行くぞ、高人」
「はい、お祖父様」
高人を連れて去っていく北条を、西宮は苦々しげな顔で見ていた。
北条の背中が見えなくなると、西宮は陽向に「では、我々も後ほど」と告げて、俯く依子と共に去っていった。
静寂が流れ、陽向から身体の力が抜けていく。
「ごめんね、姉さん。面倒事に巻き込んで……」
「初めから平和に済むとも思ってなかったし、陽向が気にする必要はないよ」
申し訳なさそうに謝る陽向は、睦月の返事を聞いて少し安堵したようだった。
「僕たちも家に入ろうか」
巨大な邸宅は、来客が使える場所と
睦月に声をかけた陽向は、当然のように神楽が使う入口へと睦月を連れて行った。
「陽向。婚約の話についてなんだけどね」
「えっ? あ、うん。……何かあった?」
婚約という言葉に、陽向が焦った様子を見せる。
緊張からかその場で硬まる陽向に気づき、睦月も足を止めた。
「あの人間との結婚は、お勧めできないかな」
「あの人間って……依子のこと? 急にどうしたの、姉さん」
困惑する陽向は、睦月が何故そんな事を口にしたのか、測りかねているようだった。
「ああいう人間は、いずれ周りも不幸にしていく。自らが引き起こした重さに耐え切れず、沼から抜け出すために
淡々と語られる言葉とは裏腹に、込められた意味は重く深い。
「一緒に業を背負う覚悟がないなら、他の人間を選んだ方がいいよ。陽向まで、泥舟に乗る必要はないと思うから」
──姉さんには、いったい何が視えてるの?
口から出かけた言葉を、陽向はすんでのところで呑み込んだ。
それを聞いたら、睦月との距離がさらに開いてしまうような気がして。
陽向は、ただ黙っていることしか出来なかった。
「決めるのは陽向だから、それでもあの人間を選びたいなら、私はもう止めないよ」
好きにしたらいい。
言外に伝わった意思に、陽向は痛む胸を抑えた。
家族として、心配はしてくれているのだろう。
昔から周りに興味を持たず、感情の薄かった睦月が、陽向の前ではちょっとだけ柔らかくなる。
そんな変化を、陽向はとても嬉しく思っていた。
会議では、陽向の婚約についても意見が飛び交うはずだ。
他の候補が出た際は、睦月に聞けば、良し悪しくらいは教えてくれるかもしれない。
それでも、睦月自身が相手になることだけは──絶対にないのだ。
「遅くなったけど……お帰り、姉さん」
これからも、家族として睦月の帰る場所であれるよう。
哀愁を隠すように微笑んだ陽向は、「じゃあ、また後でね」と手を振ると、そのまま来た道を戻っていった。
◆ ◆ ◇ ◇
掃除の行き届いた部屋で、飾られた写真立てを眺める。
写っているのは両親と、幼い頃の私だ。
──本当に、驚くほど似ていない。
時折ちらつく桜色が、季節外れの彩りを呼び込んでくれる。
あえて散らされた花弁は、私のために用意された道標だ。
情報通な朧月だけあって、どうやら今は神楽の敷地内に来ているらしい。
朧月と会うついでに、神楽での用事も終わらせる。
一石二鳥な状況ではあるのだが、そう易々と済むはずもなく。
予想していた通り……いや、それ以外にも幾つか気になることがあった。
神楽の敷地に漂う痕跡。
オーラとも呼べる空気の色が、
まずは会議に参加して、原因を探ることから始めよう。
やるべき事が定まり、伏せていた目を上げる。
そういえば、北条の孫を見るのは今回が初めてだった。
先ほどの光景を思い返し、微かに息を吐く。
──あれなら、レインの方が上手かったな。
なんて、比べるのも失礼だったかもしれない。
「睦月」
「どうしたの?」
霜月に呼ばれ、何かあったのかと視線を向ける。
猫から本来の姿に戻った霜月は、私と目が合うなりにこりと笑みを浮かべた。
──わあ、可愛い。
未だに、目が合うだけで嬉しそうにするのは、反則だと思います。
「俺も付いて行きたい」
「会議のこと? もちろん構わないけど、猫の姿のままだと難しいかも」
一族の中には、粗探しが得意な者も多い。
会議に猫を連れ込んだと騒いだり、議題を逸らすために利用したりなど、面倒事も起きやすくなるだろう。
「問題ない。実体化は解いていくつもりだ」
「それなら大丈夫だね」
人間に死神の姿は見えない。
むしろ、視認できなくなることで、調べ物がしやすくなるかもしれない。
「霜月、一つ頼んでもいいかな?」
「いくらでも」
間髪を入れずに答えた霜月に、自然と笑みが浮かぶ。
そろそろ時間か。
立ち上がったはずみで、大振りの袖が揺れる。
銀の蝶が舞う袖を翻し、会議という名の戦場に向かうため、部屋を後にした。