張り付けた笑顔のまま、高人が動きを止めた。
「……もしや、貴女も悪魔と契約を?」
「まさか」
契約によって願いを叶えてくれる悪魔だが、多くの場合、対価には魂が要求される。
そのため、契約するのは
しかし、高人はそのどちらにも当てはまらないように思えた。
「どうして悪魔と契約したの? 北条なら、大抵の物は手に入るはずだよね」
そんな家に生まれた人間が、悪魔と契約してまで叶えたい願いがあるとすれば──。
「大抵の物……ははっ。自分の欲しい物は、その大抵には含まれないようです」
何てことないように笑う高人は、契約がばれた驚きはあれど、焦りなどを感じている様子はなかった。
「私に声をかけてきた理由は?」
「察しのいい貴女なら、もうお気づきなのではないでしょうか」
高人が接触を図ったのは、私の存在が目的を遂行する上で利になると考えたからだ。
悪魔と契約しなければ、叶えることすら困難な願い。
そこから導き出される答えは、一つの結論に繋がっている。
「なるほど。当主の座が欲しいんだね」
微笑む高人から、沈黙という名の肯定が返ってくる。
静寂が満たす庭園で、鯉がぽちゃりと跳ねる音が響いた。
「初めから欲していた訳ではありません。本来であれば、貴女が手にするはずだった場所です。自分は、貴女が当主になるならそれでいいと思っていました」
内心を吐露する高人の顔に、影が落ちる。
「しかし、選ばれたのは貴女ではなく……あの男でした」
気に入らない。
高人の声には、そんな感情が込められていた。
「それで、陽向がなるくらいなら、自分がなろうとでも?」
「いけませんか?」
質問を質問で返され、口を閉じる。
いけないか、なんて。
誰が何を言おうと変わらない意志に、是非を答える必要があるのだろうか。
「とは言え、悪魔との契約に気づかれたのは驚きました」
理由を知りたそうな高人だったが、与えられた時間が少ないこともあり、無理に追求する気はないようだった。
本題に入るため、自ら話を中断している。
「随分、簡単に引くんだね」
「自分が最も気になっているのは、貴女の意思です。確かめる前に機嫌を損ねては、本末転倒になってしまいますから」
つまり、返答次第では身の振り方を考えるということだ。
取り繕う気もない言葉に、呆れを通り越し、いっそ面白さまで湧いてくる。
「悪魔のことはご存知のようなので、この際、率直に伺わせていただきます。以前、貴女が次期当主との婚約を拒否したという話を耳にしました」
いまいち流れが読めないが、続きを聞くため沈黙を保ち続ける。
「ですから──自分と婚約していただこうかと思いまして」
……ん?
困惑する私の背後で、冷んやりとした空気が渦巻いていく。
「次期当主の座が空けば、再び貴女にも注目が集まることでしょう。今の貴女は、自分にとって邪魔な存在でしかありません。しかし、貴女を消してしまうのは……余りにも惜しい」
婚約しておけば、排除する必要もなくなると考えたのだろう。
うっとりとこちらを見つめる高人は、私を観賞用の妻にでもしたいのかもしれない。
「提案を受けていただければ、貴女の身の安全は保証します」
当主の伴侶になるということは、当主を支える立場になるということだ。
言い換えれば、一番目を放棄する代わりに、二番目を手にするということでもある。
一族にとって、愛のない結婚は大して珍しくもない。
高人は悪くない条件を提示したつもりらしいが、あいにく私の未来は既に埋まっている。
「お断りします」
「……もう少し悩まれてはいかがですか? 貴女の将来がかかっているんですよ」
どうやら高人は、私を脅せば脅すほど、自らの首が締まっていくことには気づいていないらしい。
こちらに近寄ろうと踏み出した足が、床ごと凍り付いた。
──突如、猛烈な冷気が辺りを包み込む。
「なぜ……、庭が凍って……?」
背後に広がる庭園が、一瞬で凍土と化している。
動けない高人の目の前で、黒いローブが宙に舞った。
私を引き寄せた白い手が、始末するかと問うように高人を指す。
「ひっ……!」
ローブの効果により、高人の目には真っ黒な何かが映っていることだろう。
恐怖で震える高人だったが、足が凍りついているため、どうすることも出来ずにいる。
袖を摘んで軽く引くと、意図を察した霜月が、高人の氷を解除してくれた。
よろけながらも必死で逃げていく背中を尻目に、再び実体化を解いた霜月に視線を向ける。
「今は泳がせておこう」
悪魔と契約した以上、決して後戻りはできない。
膿を断つなら根本からだ。
背後にいる悪魔を、