目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

ep.5 餌


 張り付けた笑顔のまま、高人が動きを止めた。


「……もしや、貴女も悪魔と契約を?」


「まさか」


 契約によって願いを叶えてくれる悪魔だが、多くの場合、対価には魂が要求される。

 そのため、契約するのは困窮こんきゅうした人間か、追い詰められた状態の者がほとんどだ。


 しかし、高人はそのどちらにも当てはまらないように思えた。


「どうして悪魔と契約したの? 北条なら、大抵の物は手に入るはずだよね」


 神楽かぐらの陰に隠れがちだが、分家も世間一般と比べれば、裕福で権力を備えた家ばかりだ。

 そんな家に生まれた人間が、悪魔と契約してまで叶えたい願いがあるとすれば──。


「大抵の物……ははっ。自分の欲しい物は、その大抵には含まれないようです」


 何てことないように笑う高人は、契約がばれた驚きはあれど、焦りなどを感じている様子はなかった。


「私に声をかけてきた理由は?」


「察しのいい貴女なら、もうお気づきなのではないでしょうか」


 高人が接触を図ったのは、私の存在が目的を遂行する上で利になると考えたからだ。

 悪魔と契約しなければ、叶えることすら困難な願い。

 神楽しがらきである私を選び、近寄ってきた訳。


 そこから導き出される答えは、一つの結論に繋がっている。


「なるほど。当主の座が欲しいんだね」


 微笑む高人から、沈黙という名の肯定が返ってくる。

 静寂が満たす庭園で、鯉がぽちゃりと跳ねる音が響いた。


「初めから欲していた訳ではありません。本来であれば、貴女が手にするはずだった場所です。自分は、貴女が当主になるならそれでいいと思っていました」


 内心を吐露する高人の顔に、影が落ちる。


「しかし、選ばれたのは貴女ではなく……あの男でした」


 気に入らない。

 高人の声には、そんな感情が込められていた。


「それで、陽向がなるくらいなら、自分がなろうとでも?」


「いけませんか?」


 質問を質問で返され、口を閉じる。

 いけないか、なんて。

 誰が何を言おうと変わらない意志に、是非を答える必要があるのだろうか。


「とは言え、悪魔との契約に気づかれたのは驚きました」


 理由を知りたそうな高人だったが、与えられた時間が少ないこともあり、無理に追求する気はないようだった。

 本題に入るため、自ら話を中断している。


「随分、簡単に引くんだね」


「自分が最も気になっているのは、貴女の意思です。確かめる前に機嫌を損ねては、本末転倒になってしまいますから」


 つまり、返答次第では身の振り方を考えるということだ。

 取り繕う気もない言葉に、呆れを通り越し、いっそ面白さまで湧いてくる。


「悪魔のことはご存知のようなので、この際、率直に伺わせていただきます。以前、貴女が次期当主との婚約を拒否したという話を耳にしました」


 いまいち流れが読めないが、続きを聞くため沈黙を保ち続ける。


「ですから──自分と婚約していただこうかと思いまして」


 ……ん?

 困惑する私の背後で、冷んやりとした空気が渦巻いていく。


「次期当主の座が空けば、再び貴女にも注目が集まることでしょう。今の貴女は、自分にとって邪魔な存在でしかありません。しかし、貴女を消してしまうのは……余りにも惜しい」


 婚約しておけば、排除する必要もなくなると考えたのだろう。

 うっとりとこちらを見つめる高人は、私を観賞用の妻にでもしたいのかもしれない。


「提案を受けていただければ、貴女の身の安全は保証します」


 当主の伴侶になるということは、当主を支える立場になるということだ。

 言い換えれば、一番目を放棄する代わりに、二番目を手にするということでもある。


 一族にとって、愛のない結婚は大して珍しくもない。

 高人は悪くない条件を提示したつもりらしいが、あいにく私の未来は既に埋まっている。


「お断りします」


「……もう少し悩まれてはいかがですか? 貴女の将来がかかっているんですよ」


 どうやら高人は、私を脅せば脅すほど、自らの首が締まっていくことには気づいていないらしい。

 こちらに近寄ろうと踏み出した足が、床ごと凍り付いた。


 ──突如、猛烈な冷気が辺りを包み込む。


「なぜ……、庭が凍って……?」


 背後に広がる庭園が、一瞬で凍土と化している。

 動けない高人の目の前で、黒いローブが宙に舞った。

 私を引き寄せた白い手が、始末するかと問うように高人を指す。


「ひっ……!」


 ローブの効果により、高人の目には真っ黒な何かが映っていることだろう。

 恐怖で震える高人だったが、足が凍りついているため、どうすることも出来ずにいる。


 袖を摘んで軽く引くと、意図を察した霜月が、高人の氷を解除してくれた。

 よろけながらも必死で逃げていく背中を尻目に、再び実体化を解いた霜月に視線を向ける。


「今は泳がせておこう」


 悪魔と契約した以上、決して後戻りはできない。


 膿を断つなら根本からだ。

 背後にいる悪魔を、表舞台現世へ引き摺り出すためにも。


 高人えさは、必要なのだから──。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?