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ep.7 黄昏と桜 ー Ⅱ / Ⅱ


 青年が死神か天使であれば、悪魔の核を破壊することは可能だ。

 しかし、中位の悪魔を相手にするには、それなりの力を持っている必要がある。


 ──核を破壊するなど、舐めているとしか思えない。


 不快感を滲ませた悪魔だったが、瞬きの直後に見えたのは、バラバラに崩れ去っていく自分の体だった。


「……は?」


 選択を後悔する暇もなく、悪魔の姿は砂のように吹かれて飛んでいく。

 いつだったか、憧れの悪魔そんざいが言っていた。

 真の強者とは、測るのも不可能なほど──圧倒的に格が違う存在を言うのだと。


 やり直しなんて出来るはずもない。

 強大な存在を前に選択を間違えるのは、致命傷にも等しい行為だ。


 体と共に砕け散った核の気配を感じ、悪魔は本当の終わりというものを悟った。


 悪魔が消滅したことで、契約も破棄されていく。

 目の前の光景を呆然と眺めていた高人は、向けられた視線にびくりと身体を震わせた。


「空間が汚れちゃったな」


 呟かれた言葉に、硬直していた身体が動き出す。

 じりじりと退がっていく高人を見て、朧月は優しげな笑みを浮かべた。


「あまり手間を取らせないで。睦月は今、忙しいんだ」


「な、何を……言って……」


 黄昏色の空を背に、無垢な白が染まっていく。

 それはまるで、血染めのように赤いあかい紅で──。


「どのみち、もう直ぐ終わる命だからね。最後くらい潔く消えたらどうかな?」


「だから、何を言って……!」


「後継者になるために、何人か殺しただろう? 悪魔との契約が破棄されても、既に回収されたものは戻らない。残された寿命は、あと半年もないみたいだよ」


 北条には息子がいた。

 そして、孫も二人いた。

 いわゆる三番目の候補として生まれた高人だったが、今や残っているのは高人だけである。


 神楽かぐらの座を手に入れると決めた時、まずは北条の後継者になるのが手っ取り早いと考えた。

 そのためなら、高人はどんな手段も厭わなかった。


 欲しい物が一つしかないなら、邪魔な者を排除するしかない。

 正直者が馬鹿を見る世界で、譲り合いなど偽善者のすることだ。


 高人にとって世界とは、“自分”か“それ以外”かだった。

 あと少し、もう一歩で届きそうな距離にいる。

 それなのに、自分がもうじき死ぬなど、到底受け入れられることではなかった。


「……どうして……何でこんなことに……。こんなのは間違ってる。あくまも……、そうさ悪魔だって! 同じ悪魔を殺したりするじゃないか! 人間が人間を殺すことの、何が悪いって言うんだ……っ!」


 悪魔と契約した際、高人はこうも簡単に人が始末できるのかと驚いた。

 綺麗に消された痕跡は、完全犯罪と言えるほど自然で、ほんの僅かな違和感もない。


 現代の技術を以てしても、犯人を見つけることなど不可能だろう。

 どうしてこんな方法を思いつくのかと問いかける高人に、悪魔はこう答えた。


 慣れているから──と。

 悪魔は常日頃から、悪魔同士の諍いが絶えない。

 中には、上位の存在との確執を防ぐため、痕跡を消すことさえあるのだ。


 そう話す悪魔を見て、高人はこう思った。

 何だ、世界が変われば普通のことだったのかと。

 人間が人間を殺してはいけない理由など、その程度に過ぎなかったのだ。


 なのに何故、こんな仕打ちを受けなければならないのか。

 子供のように駄々をこねる高人の前で、朧月は足を止めた。


「悪魔は悪魔を殺すのに、どうして人は人を殺してはいけないのか……ね」


 おかしな事を言うものだと微笑む様は、幼子を諭す親のようで。

 その実──全く異なる性質を含んでいる。


「確かに、悪魔は同族を殺すし、それを悪とは捉えていない。どうしてか分かるかい? たとえ個であっても、悪魔は勝手に育つことができるからだよ。でも、人間は違う。君たちは一人として、他の人間の手を借りず大人になれた者はいない」


 怒りでも、悲しみでも、不快感でもない。

 淡々と語られる言葉は、高人を正気へと引き戻していく。


「人間は、人間という存在自体に借りがあるんだよ。悪魔でも借りは返すのに、人間が仇で返すことが許されるとでも? お前はもっと、身の程を知った方がいい」


 見上げた先の純白と、紅の滲む桜色に、呼吸が止まるほどの衝撃を覚える。

 こんなにも、美しい容姿をしていたのか。


 睦月を初めて見た日と同じ、脳を突き抜けるような感覚。

 それと同時に、心が空っぽになるような虚無感が走った。

 崩れていく身体を眺めながら、高人は漠然と、自分には二度と次が訪れないことを理解していた。


 最後に見た光景は天国のようで。

 伸ばそうとした手がさらさらと消えていくのを最後に、高人の意識は果てのない暗闇に堕ちていった──。


「さようなら」


 呟いた言葉は、別れを惜しむものではない。

 を失くす高人への、宣言のようなものだった。


「彼女が心を割く相手は、僕たちだけで充分だからね」


 舞い落ちた花弁を手のひらに乗せ、ふわりと微笑む。


 先ほどまでとは真逆の笑みを浮かべ、朧月は桜が降る夕暮れの中へと溶け込んでいった。



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