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ep.10 落ちる


 椿と別れ敷地を散策していると、対面から見知った老人が歩いてきた。


「これはこれは、神楽しがらきの。奇遇ですな」


「お一人ですか?」


 髭を撫でた北条が、和やかに声をかけてくる。

 普通なら、神楽かぐらを訪れた当主は、付き人を連れて行動するものだ。


 付き人には後継者の候補が選ばれるため、人脈や学びの機会を与える目的もある。

 こちらの問いかけにため息をついた北条は、やれやれと言わんばかりの様子で口を開いた。


「会議の緊張で、腹を壊してしまったようじゃ。試しに甥を連れてきたものの、色々と未熟な子でのう」


 先が思いやられると話す北条だが、そんな甥を候補として選ぶほど、後継者に困っているのだろう。


 北条の息子は事故。

 孫も病によって亡くなっているため、そもそも選択肢がないと言った方が正しいのかもしれない。


「陽向様の件じゃが、先に西宮の娘と過ごされると聞いておる。数日ほど経ったのち、東院の娘と代わる運びになるじゃろう」


 私がまだ陽向と会っていないことを知った上で、共有してきたようだ。

 そもそも東院は、椿が廃人同然の状態で、どうやって陽向の側に置くつもりだったのか。


 どのみち、椿の番が来るまでには治療も終わっている。

 東院の真意は、それから探っても遅くないだろう。


「では、神楽しがらきの。儂はこれで」


 立ち去ろうとする北条に、気になっていたことを投げかける。


「北条さん。高人という名前に、心当たりはありませんか?」


「たかひと……いや、ないのう。何か困りごとでも?」


「いえ。知らないならいいんです」


 遠ざかっていく後ろ姿を見送り、腕の中の霜月を撫でる。

 皮肉なものだ。

 高人が手を下さずとも、北条の後継者は死ぬ運命だったらしい。


 行きすぎた欲で悪魔と契約し、多くの代償を支払った末に待っていたのが消滅とは──。

 そもそも、悪魔と取引した人間がになれるかなんて、考えるまでもないことだろう。


 ふわりと舞った桜に足を止める。

 降ってきた花弁を手のひらで受け止め、指で包み込んだ。


 再び指を開いた時、そこにはもう──何も残っていなかった。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 濃い霧を抜けた先には、夕暮れの空が広がっている。

 朧げな月と舞い散る桜を見て、睦月はふと違和感を抱いた。


「前と違う……」


「凄いね。分かるんだ」


 睦月の言葉に微笑んだ朧月は、形だけは全く同じ空間に視線を向けている。


「汚れちゃったから、創りなおしたんだ」


 何でもないことのように話す朧月に、睦月は「そっか」とだけ口にした。

 宝月が規格外なのは、とっくに分かっていたことだ。

 今更驚くようなことでもないのだろう。


「手紙、届いたよ。存在が消えるとあんな感じになるんだね」


 書き換わっていく事象に、睦月は高人が消滅したことを察していた。

 しかし、以前の記憶は残ったままの状態に、不思議な感覚だと呟いている。


死神僕たちはこの星の存在ではないからね。干渉を受けるのは、現世の存在だけだよ」


 朧月は、睦月がすでに現世とは切り離されたものだと断じた上で話しているようだ。

 霜月たちといることを選んだ時から、いずれこうなることは決まっていた。


 だからこそ、睦月は神楽かぐらへ来たのだ。

 現世で生きていた自分に、整理をつけるために──。


「睦月は、王になりたいんだよね」


 宝月は、かつての王に仕えていた側近だ。

 今の王を嫌悪している反面、新しい王が誕生することを良しとしているのかは分からない。


 それでも、睦月の意志が固いことを感じ取った朧月は、綻ぶような笑みを浮かべている。


「これは睦月の戦いゲームだから、僕たちは答えを教えられない。でも、手を貸してはいけないとも言われてないからね」


 睦月の頬に手を添えた朧月が、軽やかに身を乗り出す。

 安らぐような香りに、睦月は自然と目を伏せた。


「僕たちはこれからも、それぞれのやり方で睦月を助けるよ」


 瞼に当てられた唇が、労りに満ちている。


 朧月の目には、色々な感情が詰まっていた。

 けれど、その中に混じる寂しさは、これから起こることを知っているかのように深い。


 どうして睦月だったのだろう。

 睦月自身が、心のどこかで常に思っていることだ。

 理由の分からない優しさも愛も、現世で生きていた頃は素直に受け取るのが難しかった。


 関係を深めるのは面倒だ。

 他人に触れられるのも、あまり好きではない。

 大切なものを作るのが……少しだけ怖かった。


 その全てが、あっという間に覆されていく驚き。


 人間の頃には感じなかった生を、死神になってから実感している矛盾。

 そんな矛盾さえも好ましい状況に、睦月は思わず笑みを溢していた。


 朧月の雪のような肌が、じわじわと桜色に染まっていく。

 見開かれた目に映る睦月の表情は、誰が見ても笑っていると分かるほどに緩んでいる。


 降り注ぐ花弁の中でぽとりと落ちた花は、まるで──今の朧月を表しているかのようだった。



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