父親の書斎に入った睦月は、古い紙の匂いに過去を思い返していた。
壁にずらりと並んだ本は、当主として必要な勉強本といったところだろう。
ふとその中に革で作られた背表紙を見つけ、睦月は棚へと手を伸ばしていた。
「日記……?」
鍵のかけられた本は、どうやら日記のようだった。
四桁の数字で開けられる仕組みらしく、睦月は試しに母親の誕生日を入れてみた。
開く様子のない日記に、次は父親の誕生日を入れてみる。
やはり開かない日記を見て、睦月はこれで開かなければ鍵を壊そうかと考えていた。
カチリと音が鳴った後、鍵が外れる。
四桁の数字は、睦月の誕生日だった。
壱月と同じ一月生まれ。
お揃いだと喜んだ壱月は、睦月の名前を速攻で決めたらしい。
まさか、自分の誕生日だとは思わなかったようだ。
少し驚いた様子の睦月は、日記を机に置くと、ページを捲っている。
初めの方は、睦月の母親であるいのりへの惚気だった。
しばらくページを捲っていくと、インクで汚れたページが出てくる。
感情的に書き殴られた字は、壱月にしては珍しいものだ。
妻や娘の前ではデレデレしつつも、当主としては常に冷静さを崩さない人だった。
内容を読んでいた睦月の視線が、ある一点で止まる。
『まさかいのりが、不妊だなんて』
母親が不妊だったことを、睦月は初めて知った。
見た目こそ似ていないが、睦月はいのりがお腹を痛めて生んだ、大切な一人娘だ。
『なんて言えばいい? なんて声をかけたら傷つけずに済む?』
続く内容には、壱月の葛藤が記されている。
『この事をあいつらが知ったら……いや、一族なんてどうでもいい。欲しいなら、後継者の座なんてくれてやる! けど、いのりは子供を楽しみにしてた。……ほんと、無力すぎて嫌になる』
悲痛な思いが綴られた日記は、真ん中の部分が根本から破られていた。
残ったページを捲ると、これまでとは一変して、喜ぶ壱月の心情が記されている。
『間違いなく、僕といのりの娘が世界一可愛い。同じ一月生まれなのも最高』
睦月の脳裏に、鼻の下を伸ばす父親の顔が浮かんだ。
『睦月は天才かもしれない。いや、間違いなく天才だ。いのりに似て器用だし、僕に似て賢い! ああほんと、睦月が生まれてきてくれて良かった……』
親バカ全開の内容に、ページを捲る手が早まる。
あっという間に最後のページまで読み終えた睦月は、あまり参考にならなかったなとため息をついた。
日記を戻そうと持ち上げると、カバーの隙間からひらりと何かが落ちてくる。
メモ用紙だろうか。
拾い上げた睦月は、裏面に書かれた文字を見て、思わず息を止めていた。
『あの日の選択を後悔したことは微塵もない。それでも、我儘を言うならもう少しだけ……睦月の成長を見守っていたかった』
壱月は、当主の座を睦月に継がせなかった。
あらかじめ用意されていた筋書き通り、次期当主の座には陽向が据えられている。
まるで死ぬことを分かっていたかのように、両親は全てを片付けてから逝った。
そもそも、睦月は当主の座に興味がない。
睦月にとって疑問だったのは、なぜ
霜月や上司が、睦月の元を訪れなかった世界。
分岐した未来では、そんな世界に生きる睦月もいたのかもしれないと考えていた。
けれどもし、全てが偶然ではなく──必然だったのだとしたら。
両親の死も。
睦月が死神に選ばれた訳も。
そもそも、睦月が生まれてきたこと自体、初めから仕組まれていたのだとしたら。
この状況を作り出した存在は、いったい何者なのか。
睦月に何をさせたいのか。
死界で何度か耳にした“生贄”という言葉が、睦月の脳裏を過っていく。
現在の王ではない。
彼らは睦月を排除したいと思いつつも、踏み切ることが出来ずにいた。
書斎を出た睦月の元に、黒猫が近寄ってくる。
抱え上げた黒猫を撫でながら、睦月は自室へ向かう廊下を進んだ。
空には綺麗な満月が浮かんでいる。
月と花、そして太陽。
それぞれの思惑が絡む現世で、睦月の姿は暗闇の中に消えていった。