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第14話 甘い香り

「私に話して気が楽になるなら、どうぞお話しください――ランドルフ様」

 抱き締める腕を振りほどかず、ヴェンデルガルトは優しく自分より大きなランドルフの背中を撫でた。


 城内の一部の者しか知らない事だ。ランドルフは、気にする素振りを見せずにそれをずっと背負ってきた。ギルベルトは優しいから、責める事も言わない。


 それが返って、苦しかったのかもしれない。


「俺達が小さい頃だ――雨が降りそうな天気の日、俺とギルベルトと兄貴で中庭で遊んでいたんだ。寒い冬の日だったから、服を重ねて着ていた」

 フーゲンベルク大陸の冬は、厳しく雪が多い。子供が外で遊ぶなら、厚着にされても仕方ない。

「中庭の噴水は、今は高くなっているが昔はもっと低かった。俺が噴水の縁に乗って遊んでいると、強い風に吹かれて噴水の中に落ちてしまったんだ」

 「まぁ」と、ヴェンデルガルトが小さく声を上げた。

「兄貴は大人を呼びに行って、ギルベルトは俺を引っ張り上げようとして――暴れる俺がギルベルトの手を引っ張ってしまって、あいつまで落としてしまったんだ。俺達は厚着をしていた分、水を吸った服が重くてもがいていた。そんな時に、雨まで降って来たんだ。もう、死ぬと思っていた」

 ヴェンデルガルトを抱き締める腕は、小さく震えている。それを安心させるように、ヴェンデルガルトは優しく背中を撫でた。


「俺はそれ以降の記憶がない。多分だが――兄貴が呼んで助けに来た大人は、ギルベルトより俺の方が先に手当を受けたんだと思う。『第二皇子』と『宰相の息子』だからな。俺はすぐに意識を取り戻したが、ギルベルトは二週間熱が出て会うことも出来なかった――そうして、熱が下がって意識を取り戻した時には目が見えなくなっていた」

「高熱が出て、目が……」

「ギルベルトは、俺を責めなかった。ただ、『助かってよかった』と言ったよ。それからあいつは目が見えなくても困らないように、必死になって今のように周りのものを感じられるように頑張った。本来なら、目が見えない奴を騎士団長なんか任せて貰えない。しかし俺と兄貴はギルベルトを推した。父上も事情を知っているから、許してくれた。ただ、俺はあいつの目に巻かれた包帯を見ると――心が痛んで、辛い……」


「優しいですね、ランドルフ様は」

 意外な言葉を、ヴェンデルガルトは呟いた。ランドルフは、息を飲んだ。

「ギルベルト様を対等に思い、ギルベルト様の事をずっと心配されています。ギルベルト様がランドルフ様を責めないのはお立場もあるでしょうが、噴水に落ちた時に本当に心配されてランドルフ様を助けたのでしょう。だから、自分の判断の結果だと受け入れてらっしゃいます」

 ヴェンデルガルトは、二人がお互いを想い合っている事を言葉にして、どちらのせいではないと優しくランドルフの背中を撫でていた。

 ランドルフは、抱き締めているヴェンデルガルトから甘い――心を落ち着ける香りがするのを感じて、その香りをもっと感じたく思い優しく抱きしめてヴェンデルガルトの首筋に顔を埋めた。


「ゆっくり、二人でギルベルト様を説得しましょう。私は、出来る限りの力を使いギルベルト様の目を治せるように頑張ります――でも今は、ランドルフ様の心を少し休ませてあげてください」

 そう優しくランドルフに話しかけてから、ヴェンデルガルトは呪文を唱えた。


癒しハイルング


 ヴェンデルガルトがそう呟くと、彼女の首を飾っているネックレスが少し輝いたような気がした。そうして、その温かな光が自分を照らしているようだ。心の底が、ポカポカと温かくなる気もした。


「……ヴェンデル……」

 初めて、ランドルフは治療魔法を受けた。心の治療だ。常に精神をむしばんでいた何とも言えない棘のようなものが、ヴェンデルガルトの光に溶かされたようだ。


 同時に、強烈な睡魔がランドルフを襲う。それは、心地よい眠りで抗う気力を彼から奪った。気を失う様に、ランドルフは瞳を閉じた。

「どうぞ、少しお休みください――あなたは、お疲れ過ぎですわ」


 その優しげな声を聞きながら、ずるりとランドルフの身体が落ちてヴェンデルガルトの膝の上に倒れてしまう。そうして、しばらくすると小さな寝息が聞こえてきた。


 ヴェンデルガルトはにっこりと微笑むと、膝の上で眠るランドルフの髪を梳き撫でながら小さな声で眠り歌を歌う。何時もきつめの顔立ちのランドルフの寝顔は、安心した様に穏やかに見えた。


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