城の上階には騎士や限られた者しか行けない。食事を終えた二人は、バルコニーに出て綺麗な満月を眺めた。
「古龍は、月まで行けたのでしょうか」
「そんな話は聞いた事ないですわ。もし行けたなら、その時の話を私にしてくれたはずですもの」
夜風は、まだ少しだが冷たい。ヴェンデルガルトの体が冷えないように、イザークは彼女を抱き寄せてマントで包み込んだ。ヴェンデルガルトの蜜のような香りに、イザークはうっとりと髪に綺麗な顔を埋める。
「イザーク様、どうして私の瞳の事を知っているのですか? それに、コンスタンティンが私を探していたと……」
「君とメイドが入っていた黄金の卵を見つけて、二年だよ。その二年の間、僕は古龍の住処を探していて――もう色々なものが朽ち果てて大地に還っている中から、古龍の日記を見つけたんだ。奇跡だよ――もしかしたら、魔法がかけられていたのかもしれない」
「コンスタンティンの、日記……?」
古龍は、ヴェンデルガルトと一緒にいる時は、人の姿を模していた。そんな時に、日記を書いていたのだろうか。ヴェンデルガルトには、心当たりがなかった。
「読むのは大変だった――今はもう廃れた文字ばかりで、独特の表現は龍族のものなのかな? とにかく難解だった。でも何とか構成を理解して読む事が出来た。初めの方は、『
――ああ、それで。
コンスタンティンがヴェンデルガルトを迎えに来た時、『待っていたよ――ああ、君を待っていた』と呟いた理由が、その答えだったのだろう。そうなると、その日記は間違いなく古龍のものだ。
「君と出逢う頃には、もう随分年老いていたらしい。でも、毎日君の事が書かれていた。何をしたら喜び、何処へ連れて行けば笑ってくれたか――まるで、ラブレターを読んでいる気分になったんだ」
あの、穏やかで優しい時間。古龍はそれほどまでに自分を想ってくれていたのか、とヴェンデルガルトの瞳には思わず涙が溢れてきた。
「魔法が使える間に、ヴェーとメイドを魔法で封じると書いてあった。自分の魔力を与えて。そうして甦って、また君を探すつもりだと――古龍に見つかる前でよかった」
そう言うと、イザークは彼女を抱き締めて目元の涙を指で優しく拭う。
「古龍は、絵が上手だったんだね。君の絵が何枚か日記に挟んであったよ。毎日の君の様子と絵を見ている内に分かったんだ――僕こそが、君に相応しいんだって。取り敢えずカールに世話を任せて、ずっと君を見ていた。煩わしい任務がない間、ずっと君だけを――すると、古龍の気持ちが分かる気がしたんだ。もしかしたら、僕は古龍の生まれ変わりかもしれない――そうなると、君は僕のものだ」
強く抱き締めると、彼女の額にキスをする。何度も。しかし抱き締める腕が強くて、ヴェンデルガルトはイザークの腕の中でもがいた。
「痛いです、イザーク様!」
苦しそうな声に我に返ったのか、ハッとしたようにイザークは力を緩める。その隙にヴェンデルガルトは慌てて後ろに下がり、カーテンに隠れた。
「ごめんね、ヴェー! 僕、君に触れられて嬉しくてつい……隠れてないで、出てきて?」
慌てたようにイザークはカーテンの中に隠れたヴェンデルガルトに呼びかける。
その時、遠吠えの様な獣の鳴き声が聞こえた。
「バウンド!? くそ、まだ生き残りが居たのか!」
さっきまでヴェンデルガルトに優しい声を向けていたイザークの顔が変わった。カーテンを引き千切らんばかりにヴェンデルガルトの身体を室内に入れて、テラスの窓を閉めた。
「ヴェー、僕は行ってくる。君は、絶対に外に出ちゃだめだよ、絶対に!」
そう言うと、慌ててイザークは部屋を駆け足で出て行った。
「危ないです、イザーク様!」
カーテンを自分の身体から引き離しながら、出ていくイザークの背にヴェンデルガルトは叫んだ。その声に、カリーナとビルギットが部屋に入って来る。床に倒れ込むような態勢のヴェンデルガルトに、ビルギットが慌てて駆け寄る。
「獣の声が聞こえて、騎士の方たちが慌てて外に向かいましたが……」
カリーナもヴェンデルガルトの傍に向かい、乱れた髪を慌てて撫でる。ブラシを取りに行こうとして立ち上がろうとしたカリーナとビルギットに、ヴェンデルガルトがか細く呟いた。
「魔獣が――昼間、イザーク様の部隊を襲った魔獣が出たそうよ……あんなにお怪我をなされたのに……」
昼間の大怪我を負ったイザークの姿を思い出して、ヴェンデルガルトは小さく体を震わせた。