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第45話 思い出

 ビルギットは、皿を落としたままである事に気が付いていないようで、口元に手を当てたままじっとロルフを見つめていた。


「ビルギット、ビルギット!」


 何度かヴェンデルガルトが彼女を呼ぶと、ようやくビルギットがハッとしたように我に返ってヴェンデルガルトに顔を向けた。

「しっかりして、ビルギット。彼は、ルーカスじゃないの」

「違う……のですか?」

 ビルギットは、泣きそうな顔になる。ヴェンデルガルトは、そんな彼女を労わる様にロルフを紹介した。


「彼は、赤薔薇騎士団の方で私の専属護衛をしてくれるの」

「ロルフ・ザシャ・バッハマンと申します。どうぞよろしくお願いします」

 ロルフはそう言って、ビルギットとカリーナに頭を下げた。カリーナが頭を下げると、ビルギットもぎこちなく頭を下げた。そうして、自分がパイの皿を落とした事にようやく気が付いた。慌てて、割れた皿の破片や潰れたパイを片付ける。「私も」と、カリーナが手伝った。


「新しいお茶菓子を持ってきます。ビルギットは、お茶をお願いできる?」

 カリーナの言葉に頷いて、メイドの二人は部屋を出ていく。

「ごめんなさい、驚かせて」

 ヴェンデルガルトがそう詫びると、ロルフが困った顔をした。

「そんなに、ルーカスという方に似ているのでしょうか? もしかして、二百年前の方ですか?」

 正面の椅子を勧めるヴェンデルガルトに従い、腰を下ろしながらロルフは尋ねた。

「そうなの――ビルギットが好意を寄せていた人よ。あ、ビルギットには秘密ね? 私のせいで、二人の仲を引き裂いてしまったから」

 ルーカスは、ヴェンデルガルトの兄の執事だった。ヴェンデルガルトが古龍の生贄になると決まった時、一緒に付いて来ると決めたビルギットはルーカスと結ばれるのを諦めた。だが、古龍との生活は穏やかだった。ルーカスも連れて来て欲しいと古龍に願おうとした時に、古龍は寿命がないと悟った。間が悪かったのだ。


「複雑ですが――彼女には、普通に接したらよいのでしょうか?」

「ええ、お願い。あなたがこれから側にいれば、ルーカスと違うと彼女自身で分かるはずだから。賢くて自慢の子よ、ビルギットは」

 ロルフが頷くと、丁度二人が帰って来た。パイの代わりに、クッキーになっている。

「まずは、お茶にしましょう。ビルギットもカリーナも座って」

 メイドが、主人とお茶? と、ロルフは不思議そうな顔になる。しかし二人は、「失礼します」と頭を下げてから椅子に座った。

「ビルギットもカリーナも、私のメイドで友人だから」

 そう笑うヴェンデルガルトの横で、ビルギットは切なそうな顔でロルフを見ていた。

「分かりました、では俺も遠慮なく一緒にお茶を頂きます」

 ロルフは笑顔を浮かべて、焼き立てのクッキーに手を伸ばした。

「ギルベルト様とランドルフ様が行っていた国で、何かあったのかしら?」

 お茶を一口飲み、ヴェンデルガルトは遠い南の国から気を失うほど馬を走らせて帰って来た、白薔薇騎士を思い出した。

 ジークハルトもカールもイザークも、怖い顔をしていた。それで、馬が気になったヴェンデルガルトはこっそり彼らがいる部屋を出られたのだ。

「もしかして、南の国で戦が起こるかもしれないそうです。我が国もその争いに関わるのか、またどの国を支援するのか――難しい政治の話になります。俺達赤薔薇騎士団は関わる事ないと思いますが――代表としてランドルフ様の紫薔薇騎士団とカール様の黄薔薇騎士団は、戦に行くことになるかもしれません」

「まあ……戦争が」

 カリーナの顔色が悪くなる。それが気になるが、良くしてくれている騎士団の騎士たちが戦争に行くのは、ヴェンデルガルトには心配だった。

「しばらくは話し合いになると思います。ヴェンデルガルト様は、騎士団の無事を祈っていてください。それが、騎士団にとっては勇気になりますから」

「そうね……私は、戦争になれば役に立たないものね」

「それより、我が国はヴェンデルガルト様の事が他の国に知られないか心配なのです」

 突然自分の話になったので、ヴェンデルガルトは首を横に傾げた。

「魔法を――しかも治癒魔法が使えるヴェンデルガルト様は、国の宝です。南の国にも何人か魔法が使える人がいるそうですが、治癒魔法は多分ヴェンデルガルト様だけらしいです。一瞬で怪我を治せるのは、奇跡ですから誰もが欲しがります」

 戦をしないヴェンデルガルトには、ピンとこない。しかし確かに戦い中一瞬で怪我が治るなら、恐怖なく敵陣へ向かえるだろう。

「十年前の戦では、結構な人が亡くなって怪我を負った人も多かった――孤児が増えた原因です。その時にヴェンデルガルト様がいらっしゃったら――なんて、今話しても仕方ないですね」

「十年前に、戦があったの?」

 ヴェンデルガルトがそう尋ねると、カリーナが涙を零して頷いた。



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