「私が?」
ビルギットの言葉に意図が分からず、ヴェンデルガルトは首を横に傾げた。
「まずは、水を汲んできましょう」
ビルギットが言うと、騎士たちは不思議そうな顔をしながらも横に流れている川から水を汲んできて、二つの馬車の分の水瓶を一杯にした。
「ヴェンデルガルト様、治癒魔法をお願いします」
「そう言う事ね!」
ようやく、ビルギットも言葉の意味が分かった。治癒魔法を使い、水を綺麗にするのだ。水瓶二つを浄化するのにそんなに力は必要ではないし、何度か停まって行えばいい。
「
ぽわっとした光が現れると、その光は二つの水瓶を包み込んだ。
「なんだか、少し甘い。砂糖の甘さではなく、落ち着く感じがしてまろやかです」
ディルクが水瓶の水を口にして、ほっとした顔になる。
「では、急いで戻りましょう。ランドルフ様は、横になりやすいこちらの荷馬車へ。こちらの
ランドルフの血が乗車室を汚していたので、川の水で手早く洗った。そうして念の為、乗車室に乗っていたグルベルトや騎士たち、馬たちにもヴェンデルガルトは治癒魔法をかけた。そうして、出来る限り血を拭った乗車室にも魔法をかける。荷馬車にはランドルフと医者、ビルギット。そして騎士三名。ギルベルトの方の馬車に、ヴェンデルガルトと残りの騎士が乗る事になった。
火を消し、ギルベルトはヴェンデルガルトが乗るのを助ける様に、腕を伸ばした。ヴェンデルガルトがその手を取ろうとした時だ。
何かが勢いよく走り寄ってきてヴェンデルガルトの身体を抱き、その場から
「ヴェンデル!」
ギルベルトの声が上がる。その声にみんなが、ヴェンデルガルトの姿を探した。少し離れた所に、青年がヴェンデルガルトを抱き締めて立っていた。
白に近い銀髪に、赤い瞳。肌は浅黒く整った顔立ちだが、険しい顔をしている。その彼を見たギルベルトは、ハッとして声を上げた。
「あなたは、バーチュ王国の第三王子、アロイス様! 彼女をお放しください、そのお方は――!」
「治癒魔法を使う、二百年前の王女らしいな。この戦で、活躍して貰う」
そう言うと、彼は指を口に当てて甲高い指笛を吹いた。すると、十余名の戦士と
「ヴェンデルガルト様!」
ビルギットが悲鳴に似た声を上げる。その言葉にようやく状況を理解して、ヴェンデルガルトは
「ヴェンデルガルト様を離せ!」
商人姿の黄薔薇騎士が刀を構えてアロイスに向かうが、彼はそれを避けると腰に下げていた僅かに曲がった細身の片刃剣で逆に切りつける。ヴェンデルガルトを抱いたままなので反撃しないだろうと思っていた騎士は、不意を突かれて腕を大きく斬られた。
「
反射的に、ヴェンデルガルトはその騎士に治癒魔法をかけた。怪我は、瞬時に治る。その様子を見て、アロイスは唇を歪めて笑った。
「そうだ、この力だ。皇国の貴族にこの話を聞いて、手に入れられないかと様子を窺っていた。申し訳ないが、戦が終わるまで王女は俺たちと一緒にいて貰う」
彼の部下が駱駝を連れてくると、アロイスはヴェンデルガルトを抱いたまま綺麗な姿勢で駱駝の背に乗った。ヴェンデルガルトが捕まっているため、騎士たちは手が出せない。
「あなた、目が赤い――龍の血を引いているの?」
ようやく真っ直ぐアロイスを正面から見たヴェンデルガルトが、驚いた声を上げた。そう声をかけられたアロイスも、驚いた顔になる。ビルギットもその言葉に彼をまじまじと見る。
「コンスタンティンが言っていたわ――龍の血を引く者は、目が赤いと……」
コンスタンティンも、人間の姿になると金の髪に赤い目をしていた。
「行くぞ!」
アロイスはその言葉に何も言わず、部下に指示する声を上げた。
「いいか? もし追ってくるのであれば――王女の命はないと思え」
それが脅しではないと、その場にいたバルシュミーデ皇国の騎士たちには分かった。南の国の者は、気性が荒い者が多い。下手をすれは、今ここで戦いが起こっても不思議ではない。
「ヴェンデルガルト様!」
ビルギットの言葉を背に、ヴェンデルガルトは攫われてしまった。残った騎士団は、それを見送るしかなかった。
「馬鹿ども……早く、国、へ……ヴェンデルを、救いに……準備、を……」
荷台の中から、ランドルフの弱弱しいが凛とした叱咤する声が聞こえた。
「バルシュミーデ皇国に急ぎ戻り、ヴェンデル奪還作戦を立てましょう! 皆早く!」
珍しく取り乱したギルベルトの声に、全員が慌てて馬車に乗り込んだ。そうして、急いで国へと戻った。