下生えをものともせずにこちらに向かってきた足音の主は、いよいよ俺の前に姿を表した。
虎のような被毛に覆われた獣人の女性――
「サーミャじゃないか」
俺は構えていた剣を鞘に収めた。緊張が一気に解けて、その分の疲労感がどっとやってくる。サーミャは俺に近づくとポコポコ俺の胸を殴り始めた。本気ではないのだろうが割と痛い。
「痛い痛い。なにするんだ」
「拗ねてる……というか、どうしたら良いのか分かってないのよ」
突然別の方向から声がした。ディアナだ。俺は無言で殴り続けるサーミャの拳を、手のひらで受け止める。
「狩りの途中だったのか」
「ええ。サーミャったら、“エイゾウの匂いがする”って言ったかと思うと突然走り出すんだもの」
ディアナは完全に呆れた様子である。サーミャが森を走るのについてきたにしては息がそんなにあがってない。体力がどんどんついてきているのか……。いや、それはともかくとしてだ。
「どうしたら良いかってのは?」
「結構長いこと帰ってこなかったんだもの。久方ぶりで嬉しいけど、どう甘えていいか分かんないってとこでしょ」
その言葉でサーミャは一瞬動きを止めたかと思うと、一発バシッと俺の手のひらに思い切りパンチを放った。
「痛ぇ!」
「フン。今度はもっと早く帰ってこいよな」
サーミャはそれだけ言うと、踵を返してノシノシという音が聞こえるかのように歩いていく。あの方角は家のほうだな。
「いいのか?」
どうやら、サーミャは今日の狩りを中止するつもりのようなので、俺はディアナに聞いた。
「大物はこの間仕留めたし、明日になっても十分余裕はあるから平気よ」
「それならいいか」
俺もサーミャが久方ぶりに帰ってきた、とかだったら仕事をほっぽり出して迎えに行くもんな。それじゃ、お言葉に甘えて一緒に帰るか。
「おい、そんなに速く歩くなよ!」
俺はサーミャにそう声をかけながら、4人一緒に家路を歩んでいった。
家が近づくと木々の間から煙が見えた。リケが鍛冶仕事をしてるんだろう。こうやって見ると、ある程度まで近づいたら、あとはうちまでは普通に辿り着けそうだな。あの条件を抜きにしても良からぬ輩がやってこないとも限らないし、なんらかの対策が必要だろうか。
そんなことを歩きながらサーミャとディアナに話していると、
「必要ないと思いますよ」
と、リディさんが呟く。
「そうなんですか?」
「ええ。簡単に言えば、あの家には“人避け”がかかっています。招かれた客を含むあの家の者であるか、人避けが効かないほど強い力を持つ者、あるいは人避けを認識して回避できる者以外では、あの家があることが分からなくなるはずです」
リディさんが強めの口調で断言した。あの家にそんな能力があったとはなぁ……。この世界に来た時、俺が家を認識できてなかったのはそれだったのかもな。
そういえば獣はともかく、迷い人や黒の森に住んでいる獣人が家を訪ねてきたこともないな。煙は目立つから見えれば好奇心旺盛な獣人はやってきそうなものだが、来なかったのにもそういう理由があったわけだ。
4人で森の中を進んでいく。勝手知ったる森の中、見覚えのある木を見つけるたびに、帰ってきたんだなという実感がわいてくる。久しぶりの帰宅に感傷的になっているのはサーミャだけではないらしい。
家について、玄関の扉を開けた。少しくぐもった鳴子の音が響く。パタパタと音がして、作業場に続く扉から出てきたのはリケだ。
「サー……親方!おかえりなさい!」
サーミャたちが予定外に早く帰って来たと思ったらしいリケは、びっくりした様子だったがすぐに駆け寄ってきた。流石に殴ったり抱きついたりはしてこない。
「ああ。ただいま」
俺は返事を返しながら、家に帰ってきたことを噛み締めていた。今回は多少の怪我はあるにせよ、ほぼ無傷で帰ってくることが出来たが、次やその次があった時にそう出来るとは限らない。せっかくの二度目の人生なのだ、大事にしていかないとな。
「さて、改めてということになるが」
荷物を下ろしてすぐに居間のテーブルに集合した皆を見回して俺は言う。
「リディさんがうちの家族に加わることになった。詳細はあとで話すが、どうか承知して欲しい」
そんなことはないと思うが、万が一にも嫌がられたらどうしよう。そう思って、サーミャ、リケ、ディアナの3人の表情を伺うと、呆れたようなニヤけているような表情をしている。
「絶対こうなると思ったんだよ」
「親方だもんねぇ」
「そうねぇ。エイゾウだものねぇ」
納得の仕方に引っかかるものはあるが、拒否ではないのでホッとした。
「それじゃ、リディさん、いや……」
家族になったのだから敬語はなしだ。親しき仲にも礼儀ありとは言うが、これは礼儀の範囲から外してしまおう。それがエイゾウ工房の流儀だからな。
リディ以外の4人の声が重なる。
「「「「エイゾウ工房へようこそ、リディ」」」」