俺はボーマンさんが注いでくれた茶を啜る。ボーマンさんは注いでくれたときに北方のものだと言っていた。
その言葉に間違いは無いのだろう。茶の水色は緑で、味にもなんとなく馴染み深いものを感じた。
前の世界では俺の知る形に近い碾茶も結構時代が下ってからだったと思うが、この世界では胡椒がさほど高価ではない――とは言っても庶民がガンガン使って問題ないような値段でもないが――のと同じで、陸続きであることで進んでいる面もあるということだろうか。
惜しむらくは、さすがにこの屋敷に湯呑みまではなかったようで、ちょっとオシャレなカップに注がれていることだが、それはさすがに望みすぎと言うものか。
日はもうかなり傾いていて、壁に掛かっているタペストリーをオレンジに染めている。
タペストリーはどうやらどこかの戦の様子を描いたものらしい。勇ましく先陣を切っている若武者(若騎士と言ったほうがいいだろうか)の面影がどことなくマリウスに似ているから、きっと彼のご先祖の誰かが武勲を立てた戦の様子なのだろう。
このご先祖様は後に家宝の剣がすり替わってしまうことなど、思いもしなかっただろうな。俺はそう思って小さく苦笑した。
と、そこへ、
「やれやれ」
そう言いながら、ガチャリとドアを開けて入ってきたのはマリウスだ、さっきまでと違って幾分ラフな格好になっている。
「おいおい、入るのに合図もなしか」
「のんびりしてるだろうと思って」
「そうだけど」
まぁ、ここは彼の屋敷だし、さっきまでのあれこれで疲れてもいるだろうから、ここで俺が目くじらを立てる筋合いもあまりないな。
「お疲れさん」
「なに、今日のはまだマシなほうさ。駄々をこねる人がいなかったからね」
マリウスはそう言って軽くウインクをしてみせるが、その姿もどこかいまいち決まっていない。
「にしては随分疲れてるみたいじゃないか」
「明日とその先を考えるとねぇ」
大きくため息をつくマリウス。明日はいよいよ〝本番〟だ。ある意味ここで彼と侯爵、ひいては俺たちエイゾウ工房の命運の一部の行く末が決まる。
帝国の人間と王国の主流派だけがいるなら明日の場に俺が同席しても問題はなさそうだが、公爵派がいるのでは〝ただの鍛冶屋〟が出る幕は無いだろう。身分的に場違いだからな。
カミロもその場にはいないだろう。なんやかやと準備や、裏であれこれするには違いないが、いざ現場となるとカミロはカミロでどれだけ力があっても〝ただの商人〟である。身分的に呼ばれることはあるまい。
つまり、俺たちが直接助けることはできないわけだ。そこがもどかしいところではあるのだが、いたずらに事態をややこしくしてしまうことを考えたら、大人しくしているのが一番だと思わざるを得ない。
ここは侯爵とマリウス、そしてアンネに頑張って貰おう。
少し重くなってきた空気を吹き飛ばそうと、俺は努めて明るい声でマリウスに言った。
「そういえば、奥さんと旅行に行ってたんだって?」
「名目上は旅行ではないよ。帝国へ今回の前段階の話をしに行った……ことになってる」
「へえ」
「まぁ、そっちは事前に諸々片がついているし、さりとて名目を考えればすぐ帰るわけにもいかないからね、もののついでだよ」
「じゃ、その辺の話を聞かせてもらおうか」
「ええ? ま、いいか。それじゃあまずは……」
こうして、マリウスの思い出3割、のろけ7割の思い出話が始まったのだった。