「よーし、そーれ!」
マリベルが手を振るうと、いくつか荷物から取り出した松明に一斉に火がついた。薄暗い〝黒の森〟の入り口に一気に明るさと熱がやってくる。
「おお、凄いな」
「でしょ!」
俺が褒めると、マリベルはエヘン、と胸を張った。その頭を、松明を持っていないほうの手で撫でてやる。
突然現れた炎だが、クルルもルーシーも、そしてハヤテも特にこれで驚いたりはしない。松明を「そういうもの」だと認識しているのか、うっかり顔や手を近づけたりもしないのが賢くて助かる。
「それじゃあ、行きますよ」
リケが御者台(という名の座席)からみんなに向かってそう言うと、娘たちも含めて了解の声を上げた。
〝黒の森〟はあっという間に暗くなった。家の周囲は樹木がないのでもう少し夕焼け空の明るさが続くが、樹冠に覆われているこの辺りでは少し日が傾くとすぐに夜が降りてくる。
その闇を切り裂くかのように松明の明かりで周囲を照らす竜車が進んでいく。
「結局のところ」
気の早いフクロウらしき鳥がホウホウと啼く中、ポツリとヘレンが漏らした。
「うちは警戒が必要なままってことだよな」
「そうなるな」
俺は頷いた。偽物騒ぎはいずれ収まるだろうし、しばらくはうちへ手出しをすることはできないだろうが、それはいつまでもその状態が続くということではない。
いつか、うちにちょっかいをかけてくることは充分に考えられる。
それが一ヶ月後なのか、一年後なのかは分からないが。
「どのみち森へ1人では出歩かないようにしてるし、地の利はこっちにある。備えも充分にあるんだ。それに……」
「それに?」
ヘレンが片眉を上げた。
「俺は公爵派がちょっかいをかけてくる前に、マリウス達が『解決』してくれる可能性もあると思ってるからな」
俺がそう言うと、ヘレンはニヤリと笑い、ディアナが少し困ったような顔をした。
助けて損はない価値を示してきたと思っているし、積極的に動く気がないのであれば、そもそも一介の鍛冶屋が作った品物のために隣国まで巻き込んだ芝居を打つ必要はなかったはずだ。
……親友だからその能力を信用しているというのが一番大きな理由であることは否定しないが。
「ずっと気を張って暮らしていくのも無理だし、どっかでケリはつけないといけないけど、まぁ、それは今じゃないな」
俺はそう言って天を見上げた。木々の隙間から星々が瞬いているのが僅かに見える。
「うちから離れるなら今のうちだぞ」
そんな言葉が思わず口をついて出た。これを言うのは何度目かになるように思う。
どこか自分の中に甘えがあることは自覚している。だが、それでも選択として今離れるのが最も安全であることも確かなのだ。
「まさか」
そう言って笑ったのはサーミャだった。
「アタシはまぁ、家に着いてからだけど、他のみんなはそのつもりなら森に入る前に降りてるだろ」
サーミャが言うと、他のみんなは大きく頷く。
「そうか」
俺はそれだけ言って、遠くを見た。少しだけ景色が滲んでいるような、そんな気がした。
明日から何をしようか、明日は納品はやらなくてもいいだろう、とそんなことを話していると、やがて開けた所に出た。辿り着いたのだ。
「なんだか、戻ってくるのも久しぶりな気がするな」
俺はそう言って荷車から降りる。今日は倉庫に運び込む荷物もないので、皆でクルルを荷車から外してやる。
そうして、我が工房の全員が家の前に整列した。
「それじゃあ、やりましょうか」
ディアナが言って、皆頷いた。この後何をすべきかは、説明されなくても分かった。
誰かがスウと息を吸い込み、皆それにつられるように息を吸った。
大きく息を吸わなかった1人――サーミャ――が言う。
「せーの」
そして、俺たち〝家族〟はこう言うのだ。
『ただいま!!』