俺たちは特に何事もなく2回ほどいつもの納品を済ませていた。伯爵閣下も相当に忙しいようで、夫婦共に大事はないことだけをカミロに言付けていて、まぁ、元気ならいいことだなと思った。
そして、午後をのんびりと過ごした夕食の時である。
「〝黒の森〟を探検?」
「うん。獣人たちが暮らしているところを『探検』と言っちゃ失礼かも知れないけどな」
ディアナに言われて、俺は頷いた。その後サーミャの方を見ると、木葉鳥にかぶりついていた彼女はそれを呑み込むと、小さく肩をすくめた。
「別に気にはしないなあ。アタシたちも知らないところはいっぱいあるし」
「そうなのか」
「前に魔物を退治しに行っただろ」
「ああ、
「そうそう。ああいう洞窟とかは普通入らないから」
「なるほど、必要最低限って感じか」
「そうだなぁ。獲物を追っかけたときは別だけど、それでも皆知らないところの方が多いはず」
そう言ってサーミャは木葉鳥に再びかぶりつく。
〝黒の森〟はこの世界の一般には「とにかく広い森」であると知られている。一応外周がどこまであるかは分かっているのだが、その中がどうなっているのかは未知数だ。
我がエイゾウ工房は〝黒の森〟で言えば東から南東方面に位置している。つまり、街と都は黒の森の中心を基準にすれば東の外れにある。
なので、街道は〝黒の森〟の東側を通るようになっている。西の方にも道はあるらしいが、整備されていないし巡回もほぼしていないのだと、ディアナが説明してくれた。
「またなんで急に『探検』なんて言い出したんだ?」
木葉鳥を片付けて、鹿肉に取りかかっているサーミャが言った。俺はそれに答える。
「率直に言って、うちは今一応狙われている……と
俺の言葉に場が一瞬緊張した。ここ2回の納品では何も起きていないし、日々の暮らしも相変わらずのんびり出来ているが、まだ全ての不安が消えたわけではない。
「周囲に罠を巡らせたり、武器を設置したりと手を打ってはいるし、俺たちなら少々の相手は撃退出来るとは思う」
本当にちょっとした部隊くらいなら壊滅させることが出来るだろうと、俺は踏んでいる。それも、こちらに犠牲は出さずに、だ。
「とは言え、万が一を考えれば、ここに籠もることが常に上策である保証もない、とも俺は思っている」
ため息も、息を呑む声もルーシーやマリベルを含む家族からは聞こえてこない。
「いざと言うときはここを捨てて脱出する。でも、その時にいつものルートは多分使えないだろ?」
「バレてるだろうし、兵をびっしり張り付けてるだろうな」
ヘレンが言って、俺は頷いた。
「うん。かと言ってバカ正直に俺たちが知っている街道に出るのも、これはこれで厳しいだろうな。どう考えてもそっちから来るだろうし」
そう思わせておいて……という手段もあるだろうが、今はそれを考えているとキリがないので一旦は考えないでおく。
「そんなわけで、〝黒の森〟の中を突っ切って逃げるにはどのルートがいいかを探るための『探検』だな」
「なるほど」
リディが目を輝かせる。〝黒の森〟にはリディ曰く珍しい植物や薬草、キノコの類が多いらしいのでそれが楽しみなのだろう。
「あの……」
おずおずと、アンネが手を挙げた。身体が大きいので縮こまらせていても充分に認識できる。
「私はいいのかしら……」
普段の快活な感じはどこへ行ったのか、消え入りそうというほどではないが、それに近い大きさの声だ。
彼女は帝国の皇女である。〝黒の森〟がある王国とは隣国のお姫様なわけだが、そんな彼女に王国の秘密かも知れないものを見せていいのか、ということである。
「構わないと思うわよ。そもそもダメだったらここに来させないでしょ」
ディアナが優しい表情で言って、アンネは「それもそうね」とすぐに納得してくれた。
リケが火酒のカップを飲み干して言った。
「期間はどれくらいなんです?」
「往復で3週間くらいかなぁ。実はそれだけぶんの納期延長と生活用品の仕入れはカミロに言っておいた」
カミロは少し眉間に皺が寄ってはいたが、俺の目的をすぐに察してそれ以上は何も言わずに諸々準備してくれたのである。充分儲けさせてはいるはずだが、そのうち何かお礼でも考えるか。
「まぁ、そんなわけで明日を準備に使うとして、明後日から出かけよう」
「あたいもいっていいの?」
マリベルが小首を傾げる。俺はまた頷いた。
「もちろん」
「やった!」
妖精さんの病気を考えると、3週間は長いような気もするが、俺にはちょっとした秘策がある。
「妖精さん達にはリュイサさんから伝えておいて貰うよ」
この森の主のリュイサさんであれば、俺たちがどの辺りにいるかは把握できるだろう。緊急時にはそれで知らせて貰うか、連れてきて貰えれば「治療」が出来るようにしておくつもりである。
街や都では魔力が少なくて魔宝石を作るに至らないが、今回はずっと〝黒の森〟を行くわけなので、魔力についての心配は全くない。
「じゃあ、明日は準備ってことで」
俺がそう言うと、ほとんど片付いている夕食のダイニングに、皆の了解の声が響くのだった。