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17、王太子と護衛騎士

 高い夜空に真っ白な月が輝く夜。


 22歳の誕生日を迎えたばかりのウィンズストン王国の王太子アーヴェルトは、茶髪の護衛騎士シオンと共に廊下を歩いていた。

 夜遊びは、10代前半からの悪癖だ。

 多忙な王太子の一日は体感時間が短く感じられ、義務としがらみでがんじがらめの窮屈な日々だ。

 自由が利く時間がないまま夜を迎えたときに「今日をこのまま終えたくない」と思うようになったのが夜遊びの始まりだった。


 長く垂らした白銀の髪は、国家の顔である王太子として、国の余裕を表すために伸ばしている。髪の長さひとつで余裕が演出できるなら、安いものだ。

 頬にかかる髪をかきあげ、アーヴェルトはシオンに浮き浮きと話しかけた。


「シオン。次は紅玉の指輪にしようと思うんだ」

「ロザリー・サマーワルス嬢ですか……ほいほい指輪をあげて売却許可を出すまでは、かろうじて理解できなくもないです。ですが、医師を名乗られて弟君を診察なさるとは……殿下はなにをお考えなのでしょうか」

「人助けが趣味なんだ」

「初耳です」


 嘘ではないのに、臣下は信じてくれない。

 日頃の行いだろうか。


 アーヴェルトは無言で頭を振った。


「乳兄弟でもあるお前に理解されていないとは。いいかいシオン。私は聖人君子だ。心根の優しき王太子だ。お前の想像を遥かに超える善良な男なのだ。人に奉仕したり贈り物をするのが好きなのだよ」

「どうも僕の存じない王太子殿下がいらっしゃるご様子で」

「当たり前ではないか。僕という人物は深いのだ。お前がびっくりするような意外性の宝庫なのだよ。毎日一緒にいるからとわかった気になってはいけない」


 くすくすと笑い声を立てていたアーヴェルトは、ふと前方に意識を向けた。


 ――誰かいる。


 待ち伏せの気配を察して、アーヴェルトは自室に向かう曲がり角の前で足を止めた。すると、曲がり角からひとりの男が姿を見せる。


「王太子殿下、こんな深夜までどちらへ?」


 曲がり角から姿を現して問いかけてきたのは、王国騎士団長リカルド・エストラーダ騎士団長だった。待ち伏せしていたのだろうか。


 リカルド・エストラーダ騎士団長は、46歳。

 白髪交じりの栗色の髪を後ろに束ねていて、深い青の瞳は温かさと威厳が共存している。


「エストラーダ騎士団長。いやあ、奇遇ですね。こんな夜更けにお会いできるとは」


 アーヴェルトは笑みを浮かべ、まるで偶然の再会を喜ぶかのように両手を広げた。


「奇遇も何も、殿下が夜な夜な城を抜け出されるのは、もはや風物詩。恒例行事でございますな」


 エストラーダ騎士団長は眉をひそめ、深々とため息をついた。説教をする目的で

 アーヴェルトは対照的ににっこりと微笑む。


「団長。風物詩というのは人々に愛されるものでは? 私の夜遊びが騎士団の皆様に楽しみを提供できているのなら、これほど光栄なことはありません」

「王太子殿下。そういう意味ではございません」

「ではどのような意味でしょう?」


 アーヴェルトは涼しい顔で問い返しながら、後ろのシオンにそっと目配せをした。シオンはこっそり後ずさり、撤退の機会を狙っている。


「……殿下、ご自身の立場をお忘れでは?」

「もちろん、存じておりますとも。私は王太子。未来の王。そして王とは、国の民を深く理解する存在でなくてはなりません。そのためには、夜の民の生態を知ることも必要ではないでしょうか?」

「それを学ぶために、酒場で腕相撲を挑み、街の菓子屋で未払いのツケを積み上げ、路地裏で詩人のように語らう必要が?」

「ええ、すべて貴重な経験でした」


 アーヴェルトは胸を張り、まるで学問の成果を誇るような口調で断言した。シオンが後ろで呆れたような視線を注いでいる。


「貴重な経験、ですか……。では、その経験を生かし、明日の朝は私の執務室で“未来の王としての自覚”について語り合うのも、また貴重な経験になりましょうな」

「ええ、ええ。よければ今からでも私の部屋へどうぞ、騎士団長。ベッドで朝まで語り合いましょう。最近、面白い子も見つけたのですよ。寝物語代わりに私が直々に言葉を尽くして語りましょう」

「謹んでご遠慮申し上げます、殿下。常日頃から私が申しているではありませんか。女性との浮名に乏しいあなた様は男色の疑いを囁かれているので言動にくれぐれもご注意くだされと……」

「だから言ったのですよ。私の不名誉な噂を増やすような真似をあなたはなさらないでしょう?」


 アーヴェルトは肩をすくめ、冗談の通じない騎士団長を置いて自室に入った。

 忠実なる護衛騎士にして乳兄弟のシオンがドアの外に立ち、代わりに説教を受けてくれる。持つべきものは代わりに面倒事を任されてくれる臣下だ。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 アーヴェルトがシオンと初めて出会ったのは、3歳の頃だった。


 生まれたときから側にいた乳母が、ある日、ひとりの幼い少年を連れてきたのだ。

 そのころ、アーヴェルトは庭園の花々や自室に置かれた鉢植えの緑を「トモダチ」を呼び、なにかと話していたので、心配されたのかもしれない。

 少年は2歳年上で、乳母によく似た栗色の髪と、アーヴェルトにとって親しみを感じやすい「トモダチ」の色――瑞々しい緑色の瞳をしていた。

 よくよく大人たちに立ち居振る舞いを仕込まれてきたのだろう。少年シオンは年齢の割りにしっかりと洗練された所作で膝をつき、挨拶をして頭を下げた。

 そうすることで優しげな緑の瞳が見えなくなってしまったので、アーヴェルトは寂しくなった。


「こうべをあげよ」


 思わず声をかけて、相手が顔を上げると、ホッとした。

 アーヴェルトはそのとき思ったものだ。

 この少年の瞳は、いつも見えるようにしていたい。そうだ、お嫁にしたらどうだろ。


「アーヴェルト殿下。この子はシオンといい、殿下のお付きの者となります。どうぞ、仲良くしてやってくださいませ」

「あい。おまえは、しょうがい、ぼくのそばにいるように」


 シオンは一瞬、不思議な表情を見せた。

 こいつ、親に命じられて嫌々ぼくに挨拶してるのかも――アーヴェルトにそう思わせる顔だった。


 そうか、じゃあ、およめにしてあげない。


「きがかわった。おまえはかえれ。いらない」

「殿下⁉︎」


 アーヴェルトは大人たちに丁重に扱われることに慣れていた。一方で、三歳ながら血統による身分の差や権力社会構造を理解していた。

 大人たちのいやらしい媚びへつらいや野心、命令する人と命令に従うしかない人の理不尽な関係、自分に好意的で善良な者がいる一方でそうでない者もいる――そんな現実を知っていた。


「シオンに不満はないが、やっぱり、にんげんはめんどうだ。みどりのほうがいい」


 その日、アーヴェルトは初めてのにんげんのトモダチ候補を帰した。

 ホッとするのと同時に、少し残念だった。


 ぼくのことを嫌そうにしなければよかったのに。

 あいつ、もう来ないだろう。

 ぼくは気に入ったのに。


 けれど翌日、シオンは再び姿を見せて挨拶し、アーヴェルトの侍従の座に収まった。


 遠慮深く大人しいシオンは、過ごしやすい相手だった。 

 アーヴェルトはシオンに懐いた。


「シオンは親友だ」


 アーヴェルトがそんな言葉を当たり前のように公言するようになったころ、ふたりは城の庭で遊んでいた。


 その日は風が穏やかで、庭園の花々が静かに揺れていた。

 昼の義務から解放され、アーヴェルトは久しぶりに気楽な時間を楽しんでいた。シオンもまた、無邪気に王太子と遊ぶ時間を喜んでいるようだった。


「シオン、こっちに来てみろ!」


 アーヴェルトが声をかけると、シオンはすぐに駆け寄った。

 そのとき、シオンの懐から、何かが音を立てて芝生の上に落ちた。


「ん? 何か落ちたぞ」


 アーヴェルトがそれに気づき、しゃがみ込んで拾おうとした瞬間、


「――これはいけません、殿下!」


 シオンの声が、普段の彼からは想像もつかないほど強く響いた。

 驚いたアーヴェルトが顔を上げると、シオンは血相を変えてすぐにそれを拾い上げ、強く握りしめた。


「な、なんだよ、大げさだな」


 アーヴェルトは笑って誤魔化そうとしたが、シオンの表情は真剣だった。

 いつもは落ち着いていて、アーヴェルトの悪戯や無茶な行動にも苦笑いで応じるシオンが、ここまで取り乱すのは珍しい。


「それ……何なんだ?」


 アーヴェルトが問うと、シオンはしばらく逡巡した後、小さく息をついた。


「……これは、ポイズンリングです」

「ポイズンリング?」



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