アーヴェルト様はニコニコと笑って食事を示した。
置かれていた果実酒の瓶を開けて、小ぶりのゴブレットに注いで差し出してくれる姿は、あまり偉そうじゃない。
「私はね、君と男女の営みをしたいわけではないんだ。妙なことはしないので、安心してくれたまえ。ご飯食べる?」
「食べたいなと思ってたところでした」
「君がそう思ってるんじゃないかと思ってた。ふふっ、私たちは名前を教え合って同じ部屋で食事するのだから、もう友人だね」
なんか嬉しそうにニマニマしてる。実はご友人がいないとか?
じゃあ、遠慮なくロースト肉をいただこう。
「いただきますね」
表面の香ばしい焼き目からじゅわっと肉汁が溢れ、口に入れると濃厚な旨味が広がる。美味しい。
好奇心いっぱいの顔でこっちを見ている。吸い込まれそうな紫水晶の瞳が、すごく綺麗だ。
何を言ってもわかってくれそう。
「アーヴェルト様は召し上がらないんですか?」
「お腹空いてないんだ。君はどうしてそんなにお金が必要なんだい」
問いかけながら指輪を取り出して目の前で揺らしてくる。
餌付けされてる? 燭台に照らされて、緑色の光がキラキラしている。
不思議。なんでも言える気分になってくる。
「私、――」
自分の声が遠く感じる。
いつしか、緑色の光は舞い踊る葉っぱみたいにくるくると私の周りを回っていた。
見ていると目が回る。
綺麗。とてもいい気分。
自分のことを話せるって気持ちいい。
目を瞑ると、意識が闇に堕ちて言った。
ああ、疲れてたんだ。眠かったんだ。
「……」
「…………」
「…………あれ?」
目を開けると、私はベッドにいた。
服は着ている。お腹も空いていない。
「アーヴェルト様?」
アーヴェルト様はいなかった。
乱れた髪を直しながら身を起こしてベッドから出ると、テーブルにカードと指輪が置いてある……。
『もっと割りのいい仕事をあげるから、自分を大事にするように』
緑柱石めいた宝石が輝く指輪を手に取ると、なんだか温かい感じがした。
指輪はくれるという解釈でいいのだろうか。だめとは言わないだろうけど、置いてあるだけだと躊躇ってしまう。
しかし、ここに置いていくわけにもいかない。
次会ったときに「これ、売っていいんですか?」と尋ねよう、と思いながら懐に入れて部屋の外に出ると、私は仕事を失っていた。
「昨夜のお客様のご要望でね」
娼館のオーナーは右手の人差し指と親指で金貨の形を作り、想定の倍額の報酬をくれた。
なんだか、お風呂に入って美味しいものを食べて寝ただけなのにお金をもらってしまった。いいのだろうか。
●月△日。
いつも指輪をくれる方が名乗ってくださった。
私が名前を知らないことに気付いたらしい。お名前はアーヴェルト様。王太子殿下と同じお名前で紫の瞳を持っているって、なんだか人違いされて襲われやすそう。
そうか、それで先日は夜道で襲われていたのかな。護衛のシオンさん、大変だね。
また指輪をいただいたので、いつもお世話になっている質屋さんに売りにいった。質屋のおじさんはいい人だ。小さい頃からの常連なので、ほとんど何も聞かない。
でも、王太子殿下のお名前が掘られている指輪はさすがに怪しすぎると思ったので「贈って人が売っていいって許可してくれたんです」と言ってみた。
すると、おじさんは指輪をしげしげと眺めて「名前なんてどこにも掘ってないけど?」って言うんだ。変だよね。
彫ってあるのに。とりあえず買い取ってもらえるし、問題はない……と、思っておこう。
――ロザリー・サマーワルスの日記より。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
公爵家では、リセリアが耳を疑う報告を受けてベッドから転がり落ちていた。
「王太子殿下に買われたですって?」
ロザリー・サマーワルス。
あの、落ちぶれた男爵令嬢が、王太子アーヴェルト殿下と一夜を共にした?
そんな馬鹿な!
私の胸が、嫉妬と怒りで煮え滾る。
どうしてあの女が! どうして殿下が!
「リセリアお嬢様、この話が広まれば、ロザリー様だけでなく王太子殿下の名誉にも関わります。すでにオーナーに命じて、事実を揉み消す手配をしております」
メイドの冷静な声に、リセリアはハッとした。
確かに、この話が貴族たちの間に広まる事態は回避したい。
わたくしのアーヴェルト殿下があの赤毛の男爵令嬢と一夜を共にしたなんて、そんな事実がみんなに知られてしまうの、やだやだ。
……なかったことにしてしまうのが一番だ。
「なかった、なかった、なかったの。そんな事実は、ありませーん!」
こうしてリセリアは涙目になり、全力で事実の揉み消しに奔走する羽目になったのである。