褐色の肌に白い髪に黒カラス仮面の少女、ティティさんは、浴槽から上がった私の着替えを手伝ってくれた。
薄い生地のシュミーズドレスだ。
着心地がいい。私が家で着ている継ぎ接ぎだらけのワンピースドレスよりも、いいドレスかも。
ゆったりしたドレスの裾を摘まんでいると、ティティさんを呼ぶ声がした。
「ティティ。来てちょうだい。人手が足りないの」
「はい、お姉様」
ティティさんは忙しそうに頭を下げてドアに手をかけた。
出て行く間際に「待っていてください」と小声で言われたけど、付いていっちゃおう。
薄暗い廊下に出た瞬間、怒声が響いた。酔っぱらってるんだろうなって感じの、呂律があやしくて感情全開の怒鳴り声だ。
「おい‼ そいつも、そいつも! 俺を見て嫌そうな顔をするな! 俺は客だぞ! 金を持ってるのだ! 俺好みの返事をしろ、へりくだれ!」
恰幅のいい商人風のおじさんだ。
首には大粒の宝石がギラギラと輝くネックレスを何重にもかけていて、10本の指に余すところなく指輪をつけている。 ティティが近づこうとするので、私はその肩を後ろから掴んで止めた。
「お客様。申し訳ございません……えっ? ロザリー様?」
「ついてきちゃった」
宝石まみれの男は、私がご機嫌を取ろう。
「お客様……! 私が思いますに、あなた様はお忍びでいらした南国の王子様では?」
「なっ、なに? お、王子?」
たぶん、このおじさんは南国の王子ではない。商人だと思う。
商人は貴族にいつも頭を下げていて、その「生まれながらにして高貴」という血統由来の身分に対してコンプレックスを持ちがちだ。これ、実は貴族の間にも「序列が生まれながらに下で悔しい」という劣等感があるんだけどね。自尊心ってやつが原因だと思う。
人間は、群れの中で自分が不当に低い身分であると感じると、自尊心が傷つけられた気になる。
気持ちを楽にするためには、「自分はすごいんだぞ!」と誇示しないといけない。
なので、「自分はこれだけ金があるんだ!」と着飾ったり、自分が強く出られる相手に対して「自分を敬って気持ちよくさせろ!」と強要するんだ。
つまり、このおじさんは「あなた、とってもすごい人ですよね!」というヨイショを欲しているのである。
「ああ、殿下! 皆まで仰らなくて大丈夫です、ご事情はお察しします。ご正体は内密にですよね? ですが、どんなに身をやつしても隠し切れないのが高貴なオーラ。殿下には他の方とは違う特別な存在感が備わっておいでです! 居ても立ってもいられず、思わず声をかけてしまった私をお許しください」
「ほ、ほう。お前、いや、そなたは見る目があるのだな。ふ、ふふ。き、気に入ったぞ」
おじさんは鼻をひくつかせ、唇をにやにやとさせた。喜んでる。
まくし立てるように言って、最後はカーテシーだ。
「わたくしは、落ちぶれた男爵家の娘でございます。お金に困って働いておりますが、見る目は確か。あなた様にお会いできて光栄です」
あまり気にいられたら指名されたりするのでは?
そう思ったとき、エイミールとの会話を思い出した。
『でもお姉様。この金策本に「なりふり構わず、金になるものはなんでも売りなさい」って書いてるよ』
『エイミール! なんてことを言うの。貞操は全力で大事にして……っ』
『貞操よりお金だよ。お金がないとご飯が食べられないし、家もなくなっちゃう。最後は泥水が流れる川の近くで震えながら死ぬんだ』
ありなのでは?
嫡男でもある弟が家のために身売りするのは見過ごせないが、貴族令嬢はそもそも家のための政略で嫁ぐものだ。
しかしロザリーに縁談はない。
家が傾いていることを見抜かれたり、ドストレートに「あまり貴族令嬢っぽくない。下品」とか「街中で働いているのを見た。貴族としてありえない」とか言って、どこの家も縁結びを拒否するのだ。
貴族令嬢は純潔を守らないといけないが、今のところ嫁にもらってもらう当てがないのだから、貞操を捧げてお金をもらうのは――ありでは?
これだけ羽振りがいい商人なら、いっそ身受けしてもらって家ごと面倒見てもらえたら万々歳では?
「殿下――」
私のこと、買いません?
思い切って自分を売り込もうとしたとき、見覚えのある美青年が割り込んで来た。
さらりと流れる白銀の髪。
目元を覆う仮面から覗く
「失礼。こちらの娘は私が予約していたのです。オーナーとも話は済ませているので、連れていってもよろしいですね?」
どんなに身をやつしても隠し切れないのが高貴なオーラって、この人のためにあるような言葉だな。そういえば名前を知らない。
あんまり娼館遊びしそうな人に見えなかったけど、いるということは遊び人だったのだ。
ちょっとイメージが違ってショックかもしれない。
「お客様には、従業員が失礼をしたと聞いています。別室にて改めてお詫びいたします」
オーナーが彼の後ろから前に出て、商人(推定)のおじさんを別室に連れていく。
ティティさんはお兄さんと一緒にそれを見守っていて、騒動とは無縁の雰囲気だ。これで彼女のこと、守れたんだろうか。そうだったらいいな。
「さあ行こう。私たちの部屋は上の階だよ。それにしても、本当にいるとは思わなかったなあ」
「あれっ、なんか私、一晩買われました?」
「うんうん。買ったよ」
なんと私、お買い上げいただいたらしい。
知っている人に買ってもらうって、妙に気まずい。緊張してきたかもしれない。
「このたびはお買い上げありがとうございます、シオンさんのご主人様」
「どうしてこんな仕事をしてるんだ? お仕事は選びなさい」
「どうしてと言われましても、お金が少々」
「君、いつもお金ばかりだな」
その言いぶりにちょっとだけムッとなる。
お金に困ったことがない人特有の物言いだ。
「シオンさんのご主人様は指輪をばら撒くのが趣味ですし、娼館で遊びますし、いつもお金が有り余ってそうですね」
「君、もしかして今機嫌を悪くしたのか? 私がいつも豪遊していると思っている?」
「シオンさんのご主人様。豪遊してるご自覚がないんですね」
「君、もしかして今私への好感度をぐんぐん下げていないかい」
彼は私の背に手を当て、部屋に連れて行った。
部屋は、最上階にある。
大きな部屋で、内装は高級感があってお金持ちのお客様も満足できそうだ。
軽食が用意されたテーブルセットと、天蓋付きの大きなベッドがある。
絨毯はふかふかで、綺麗に掃除してある。窓からの眺めはいい。星空の下で点々とした明かりを灯す王都の景色が美しい。
「シオンさんのご主人様。いいお部屋ですね」
「君、もしやと思ったけど私の名前を知らないね? 私はアーヴェルトというんだ。 覚えてくれると嬉しい」
ここで私は初めて彼の名前を知った。
アーヴェルト様というらしい。
「それって王太子殿下と同じお名前ですね?」
「実は王太子なんだ」
「あはは。娼館って王子様がいっぱい来るんですね」
「信じてないのか」
絶妙なタイミングで、私のお腹がきゅうと鳴る。
彼は笑って私に椅子を勧めた。