「ここね。よし、覚悟を決めたわよ!」
雨がザアザアと降る暗い夜。
騎士の仕事を終えた私は、私服の上にフード付きのボロコートを羽織り、王都の南側にある花街の『
華やかな灯りが灯る花街は、華やかな飾りを施された妓楼が軒を連ねている。
その中でも『
建物は、豪奢な装飾が施された三階建ての
細かな意匠が凝らされた大窓には絹のカーテンが揺らめき、奥から微かに笑い声や琴の音が漏れ聞こえる。
仮面をつけた貴族や、派手な羽飾りをつけた商人が馬車から降り、悠々と中へと入っていく。
私は深く息を吐き、扉へと手を伸ばした。
目的はひとつ――お金を稼ぐためだ。
扉の内側には、案内役の男性がいた。
褐色の肌に白髪の男性は、カラスに似たデザインの黒い仮面をしていて、年齢不詳。所作は上流貴族のように優美で品があり、隙がない。不埒な客への対処もスムーズだろう――と思わせる有能オーラがある。
「ロザリーと申します。ここで働きたいのです」
紹介状を渡すと、案内役は心得た様子で娼館の主人が待つ部屋に案内してくれた。
さすがはジャントレット公爵家の紹介状だ。
娼館の主人は、女性だった。年齢は、30代半ばぐらいに見える。
豊かな胸元を大胆に露出した深い黒色の豪華なドレスを身にまとっていて、肩には柔らかなファーを羽織っていた。
髪は艶のあるチョコレート色で、ゆるく巻いている。
目元は深い緑色で、威厳を感じさせる。
フードを外して顔を見せ、改めて自己紹介をすると、娼館の主人は「フラウ」と名乗り、紅色のキセルを吹かした。
品定めするような緑の視線は、やがて満足げに上下した。
「公爵家からお話は承っておりますわ。
「はいっ。幼少時からしっかりと躾けを受けてまいりました!」
教育の質が一目でわかる貴族令嬢の伝統的な挨拶、カーテシーを披露すると、フラウさんは「素晴らしいですわね」と微笑んでくれた。
わーい、褒められた。
「それでは、さっそくお仕事をしていただきましょうか」
「はいっ」
着替えるように言われて渡された衣装を見ると、下着みたいな薄い布で、肌の露出が多い。フラウは銀色の鈴を鳴らして黒カラス仮面をつけた少女を呼び、私を別の場所へと案内させた。
下働きをしているらしき少女は、褐色の肌に白い髪をしていて、入り口にいた案内役の男性の妹だと教えてくれた。
「ロザリー様の一時的なお世話係を承りました、ティティです。娼妓用の入浴場がございますので、お連れいたします」
連れていかれた場所は、入浴場だった。
大理石の床を踏みしめながら、私は大きな浴槽を見上げた。
まるで王族のために作られたかのような豪華な装飾が施され、壁には金色の模様が施された大きな鏡が飾られている。
「ティティさん、お風呂掃除ですね、承知しました!」
「いえ。ロザリー様には、入浴をしていただきます」
「あれえ……?」
「ここのお風呂は、特別なものですからね。どうぞ、リラックスしておくんなさい」
世話係の少女が微笑んで、私の服を迷いなく脱がせていく。
肌が冷たい空気に触れ、私は思わず身体を震わせた。少女は慣れた様子でお湯を桶に汲み、タオルを浸したあと、私の肌を湿らせた。
そして、花の香りがする石鹸を泡だてて、私の全身を丁寧に洗ってくれた。
「あの、ティティさん。お世話はありがたいのですが、私、自分で洗えます……というか、私、洗う側のお仕事をするとばかり思っていましたが……」
「ロザリー様はお健やかなご様子で、肌も柔らかく、筋肉もついておられて、素敵ですね。真っ赤な
「あ、ありがとう……?」
ティティは私をあっという間に磨き上げ、浴槽の縁に案内した。漬かってください、と言うのだ。
「では、お邪魔します……ティティさんもご一緒に、どうですか?」
「私はお世話をするだけですので」
ティティさんは微笑みながら私の背中に手を添え、ゆっくりと私を浴槽に沈める。
お湯はまるで私の身体を包み込むようで、じんわりと全身を暖めてくれた。
うーん、あったかい。気持ちいい――身も心もほどけていく。
私はその心地よさに、思わず目を閉じて深呼吸した。
「はぁ……いいお湯ですね……」
温かい湯に包まれ、全身の力が抜けていく至福の時間。
そんな私に、ティティさんはホッとした様子だ。初対面の相手の入浴のお世話って、緊張するよね。わかる。
「湯加減はいかがですか?」
私は満ち足りた気分で頷こうとした、その瞬間――
視えた。
次の瞬間、脳裏に焼き付くような光景が突如として広がった。
――何かを横柄に命じる、商人風の男。
――申し訳なさそうに頭を下げるティティさん。
――商人風の男が機嫌を悪くしてティティさんの腕を掴む。
――仮面を剥がされ、怯えた表情のティティさん。
――客が懐から短刀を取り出し、振りかざす。
――目だ。目を狙い、刃が……。
「っ……!!」
息が詰まる。心臓が跳ね上がる。
一瞬のことだったのに、あまりにも鮮明で、恐ろしくて、私は思わず肩を震わせた。
「ロザリー様……?」
ティティさんが心配そうに私を覗き込んでくる。
私は震える指をぎゅっと握りしめ、無理やり微笑んだ。
「……ううん、なんでもないわ」
けれど、私の心はもう穏やかではいられなかった。
――あれは、私の異能が見せた、未来の幻視。
目の前の少女が破滅する未来だ――。
「ティティさん。お世話してくれてありがとう。お礼に、私、あなたを守るからね」
「……?」
不思議そうに首をかしげる彼女はあどけない気配をまとっている。
私は、この少女の不幸な未来を変えることを決意した。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――『おまけ:そのころの王太子』
「王太子殿下。今夜のお忍びはなんと花街ですか。ついに閨教育の実践をお試しになるのですね! 初めてのお相手はとびきり高級で経験豊富で健康保証付きの超上級娼婦を探しましょう!」
「シオン。お前はあの報告をしたあとでなぜそういう発想になるのだろうね。揶揄うにしても空気が全く読めていない……私の親友ともあろう者が、嘆かわしいことだ」