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18、王太子と護衛騎士(2)

 聞き慣れない言葉に、アーヴェルトは首を傾げた。


「貴族の誇りを守るためのものです」


 シオンの声は低く、どこか遠くを見つめるようだった。


「いざというとき、貴族が恥を晒さぬよう、自ら命を絶つための……毒が仕込まれた指輪です」


 一瞬、空気が変わった。


 アーヴェルトは無邪気に笑っていた表情を消し、じっとシオンを見つめた。少年でありながら、すでにそのようなものを持たされているシオンの背景が、彼の幼い心にも重くのしかかった。


「……誰に持たされた?」


 シオンは、まるで教本を読み上げるような調子で説明した。


「家の者に、です。僕の家だけではなく、貴族の家では比較的当たり前なのではないでしょうか。なにかあった際に……いざというときに名誉の死を選ぶために、服毒用のポインズンリングを持つのです」

「そんなの、バカバカしい」


 アーヴェルトは腕を組み、憤ったように唇を尖らせた。


「お前にそんなもの、必要ないだろう。私がそんなことをさせるはずがない」

「……そうであってほしいです」


 シオンは微笑んだが、その笑みにはどこか影があった。


 それ以来、アーヴェルトはシオンの首に下げられた指輪を見るたび、心の奥に小さな棘が刺さるような気持ちになった。


 その指輪が使われることがないように――それが、幼い王太子の誓いだった。

 麗しい友情である。


 ところがある日、アーヴェルトはその友情に冷水を浴びせられた。


 アーヴェルトは偶然にもシオンが乳母に話しかけられているのを耳にしてしまったのだ。


「シオン、殿下の権能の様子はどう?」

「お母様。殿下の権能は、それほどお強くありません」

「お人柄はどう?」

「お母様。殿下は善良でお優しく、無邪気なお方です」


 臣下は、アーヴェルトが聞いているとは夢にも思わないだろう。

 それもそのはずで、彼らは自宅で話しているからだ。

 アーヴェルトは女神ランダの権能――普通の人間は持っていない超常の能力を持っていて、この日、イタズラ心を起こしてシオンに諜報用の花を持たせていたのだ。


 権能の使い手から離れて数時間もすれば効力を失う程度。

 臣下の日常や噂話を自室にいながら楽しめる、誰にも教えたことのない楽しい遊びだ。


「女神ランダは善悪両面を持ち、王太子が権能の使い手であった場合、過去の王国史では名君になるよりも暴君になる例の方が多い傾向があるの」

「はい、お母様……」

「いざというときは、指輪をお使いなさい」


 胸がひやりと冷たくなった。

 シオンは権能持ちの王太子の監視役で、ポイズンリングは王太子が暴君化しそうな人格だと判断された際に暗殺する用途で持たされていたのだ。



「……」 


 意識がふわりと覚醒する。


 ――目を開けると、アーヴェルトは青年姿で自室のベッドの上にいた。


 薄暗い天井を見上げ、ゆっくりと瞬きをする。


(夢……だったのか)


 幼い頃の記憶が鮮明に蘇るような夢だった。


 どこか切なく、けれど懐かしい感覚を残しながら、アーヴェルトは息をつく。

 そんな折、扉を叩く音がした。


「殿下、失礼いたします」


 低く落ち着いた声が響き、扉が開かれる。

 そこに立っていたのは、現実のシオンだった。純朴な顔で、嘘などつけなそうな人の良さそうな風情で、シオンは未だにアーヴェルトを欺いている。


「……殿下? 少しぼんやりされているようですが、大丈夫ですか? お耳に入れたほうがよさそうな案件がございまして……」

「ああ……いや、ちょっと夢を見ていたんだ」


 アーヴェルトは軽く頭を振り、ベッドから起き上がる。


「それで、案件とは?」


 夢の余韻を振り払うように、アーヴェルトは本来の王太子としての顔を取り戻し、シオンの言葉を待った。


「実は……ロザリー・サマーワルス嬢が娼館で働くようなのです」


 それは、奇妙なほど心をざわつかせる知らせだった。


『売ってもいいですか?』


 華奢なのに威勢のいい赤毛の令嬢騎士の、物おじしないまっすぐな眼差しと素直な声音が思い出される。


 駆け引きもなにもない。隠し事もしないであろう。

 ただただお金に困っている――そんな彼女を、アーヴェルトは気にかけていた。



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