待機を命じられた私がとりあえず筋トレに励んでいると、唐突に衛兵が自由を告げた。
「ロザリー・サマーワルス男爵令嬢。大変失礼いたしました。誤解は解けましたので、解放させていただきます」
「えっ」
私が軟禁の身から解き放たれたのは、わずか二時間足らずの後のことだった。
「誤解、解けたんですか? 罪に問われなくて済みます? お仕事ってどうなりますか? 今日このあとは……?」
思わず衛兵を質問攻めにしていると、迎えが来た。
茶髪に緑の瞳――シオンさんだ。
今日は騎士の隊服に身を包んでいる。
この隊服、王国所属の騎士の中でも要人の警護をするような上級騎士の隊服だ……。
「シオンさん。もしかして私、今までのご無礼をお詫びしたほうがいいです?」
「特に無礼はなかったと思います」
シオンさんは人が良さそうでちょっと気弱そうな笑みを浮かべ、私を安心させてくれた。
連れて行かれた場所は広すぎる応接室だ。
私が案内されて入ったドア以外に、壁にもうひとつドアがある。続き部屋があるんだな。
ここ、身分の高い人が使う部屋では?
お座りください、と促されたソファセットは、ファブリックの手触りがよすぎて座るのが怖いくらいだ。
体重を受け止めて沈む柔らかさは極上で、ずっと座っていたくなる。
テーブルに運ばれた紅茶とスコーンも美味しそう。
じーっと眺めていると、続き部屋のドアが開いた。
「やあ、お待たせ」
なんとなく予想していたけど、現れたのはシオンさんのご主人様、アーヴェルト様だった。
今日は一段と高貴な装いだ。
ここは王城で、シオンさんは上級騎士だ。つまり、そういうことなんだろう。
「王太子殿下……」
「はい」
答え合わせは妙に折り目正しい「はい」のお返事で終わった。
アーヴェルト様は本物の王太子殿下だったのだ。なんか楽しそうにニマニマしてて気持ち悪いんだけど。
「指輪がね」
「あっ、はい」
指輪がテーブルに置かれる。
私が以前彼にもらって売った紫の指輪だ。
「盗まれたのだが、君が取り戻してくれたのだ」
「はい?」
「私はそれを売っていいよと言って君は売ったのだが、悪い騎士が指輪の所有権を主張して君を罪人に仕立て上げようとした」
「ふ、ふむ……?」
それは私が先ほどまでされていたことではないか。
事の次第を説明してくれているらしい、と気づいて話の続きを促すと、彼は得意げに肩をそびやかした。
「しかし、私は君の潔白を証明し、指輪を取り返したよ!」
紫水晶の瞳はまっすぐに私を見つめて、きらきらしていた。
なぜかバロンを思い出す。この王太子殿下に尻尾があったら、今はちきれんばかりに振ってるんだろうな。
高貴な王太子殿下を犬扱いしたらだめだよね。不敬罪だ。
でも心の中でなら許されるかな……。
「ロザリー嬢? 今、私のことを犬だと思ったのかい? 大型犬が懐いてくるのは可愛いよね。私は犬になりたいな」
微笑みながら言われ、私は思わず身を引いた。
まるで心を見透かされたようではないか!
しかもニコニコしながら言ってる中身、やっぱりちょっと気味悪い。
「そんなに硬くならないでおくれ。私は君をびっくりさせたいと思ったことはあるけど、恐縮させたいとか怯えさせたいとは思っていないのだ。取り返した指輪は君のものだ。はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます。売っていいですか?」
ああ、身に沁みついた習慣って恐ろしい。思わずいつもみたいにするっと「売っていいですか?」が出てしまった。
「くっ……ふふっ、いいよ……! 売りなさい」
王太子殿下は一瞬、目を瞠ったが、すぐにその口元に愉悦の笑みを浮かべ、気前よく売却の許しを下さった。
ありがたき幸せである。
「ありがとうございます、アーヴェルト殿下!」
「そうそう、君の新しい仕事を用意したんだ」
しかもこの人、仕事の斡旋もしてくださるらしい。神様か。
私は思わず拝んでしまった。
すると、アーヴェルト殿下は首をかしげた。
「もしかして、今君は私に感謝しているのかな?」
「さようですが」
それ以外の何に見えるというのだろう。
この人、なんか独特だな……。
殿下は少し思案気な顔になり、片手で私を手招きした。近くに寄れ、というのである。
なんだ、なんだ。
いつ暴れ出すかわからない猛獣を警戒するように慎重に接近すると、殿下は右肩にぽんっと手を置いた。
うん?
視線を肩に向けた瞬間。
「ちゅっ」
「ぎゃあっ!?」
彼は不意打ちのように私に顔を近づけ、左頬にキスをした。
「なにをなさるんですかっ? そういうのは親しい方やご家族になさってください!」
勢いよく後退り、頬をハンカチで押さえて睨むと、なぜかちょっとショックを受けた顔をされた。
ショックを受けたのはこっちなんだけど。
「そんなに嫌がらなくてもよくないか? 私は感謝の気持ちを受け取っただけだよ」
えっ。この人、感謝されるたびにキスするの?
迷惑な王太子だな……。
「キス魔ってやつでしょうか。あのう、王族として、それも次期国王になるご予定の王太子として、直した方がいい悪癖だと思います」
不敬罪を覚悟で進言すると、王太子殿下は神妙な顔で「そんなつもりではなかった」と視線を逸らして言い訳をしていた。それがちょっと子どもっぽく見えて、私はこの国の将来が不安になった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――『ロザリーのひとことメモ』
アーヴェルト王太子殿下はキス魔。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
「リセリア! お前は何をしているのだ……!」
ジャントレット公爵家では、嫡男から報告されたジャントレット公爵が烈火のごとき怒りを娘に注いでいた。
「家門の面汚しめ。危うく建国以来の公爵家の歴史が潰えるところなのだぞ。自分の行いを恥じよ」
「お、お父様! 申し訳ございませんお父様……」
当然の叱責だが、リセリアはひとしきり説教されたのちに許されるだろう。
兄であるシーディスは壁際で空気のように存在感を薄め、公爵家の力関係を思った。
女神ランダの権能は、彼女が加護を与えし王族の血に宿る。権能を使いこなす素質のある者はごく稀だ。
公爵家は元を辿れば臣籍に降った王族であり、王族との婚姻も過去に何度も行われている王族の親戚筋だ。
今代の王位継承者は少なく、継承権一位の王太子は権能持ち。
『王太子が権能を持っていると、暴君になりやすい』
上位貴族は王太子にまつわる言い伝えを代々子孫に語り継いでいて知っていて、アーヴェルトという王太子の王位継承に反対する者は第二王子や第三王子、はたまた権能持ちで王族の親戚筋であるリセリア・ジャントレットを対抗候補として掲げているのだ。
「お前が愚かなせいで我が家は信用を落とし、王太子に土地を献上しなければならないのだぞ……!」
今回の件でリセリアを次期女王にしようという動きは確実に弱まるだろう。
ジャントレット公爵家としては領地も失い、大貴族としての名声にも傷が付く大打撃を喰らう形になる。
しかし、一方でシーディスは胸が空く思いだった。
幼少期から権能持ちとして持て囃され、生涯頭が上がらない存在だと思っていた妹令嬢が失墜する事態は、なかなかの快感だった。
それに――以前、パーティ会場で見かけた女騎士ロザリー・サマーワルス男爵令嬢は、可憐だった。
赤薔薇のような髪と柑橘系の果実めいた瞳は存在感があって……なかなか好みだったのだ。
調べによると、家が傾いて苦労しているらしい。
あの可愛らしい令嬢騎士が妹に陥れられるのは可哀想だったので、あの子が助かってよかった。