50層へと接続する迷宮の出口。
一歩一歩、丁寧に歩みを進めていくと……その階段の先にあるのは光だった。
───眩しい……な。
その光を潜り抜けると視界は眩み、真白となる。
だがそれも次第に薄れ、物の輪郭がハッキリと見えてくるようになった。
暗所から急に明所へ出る時に起こる、明順応という反応だ。
聞こえるのは鳥の囀りだった。
今の時間は早朝らしい。
寝床から飛び立つ鳥の羽音と、小鳥の奏でる恋の歌と吸い込んだ空気の味。
「暫くぶりの森だな、アルウィン」
ゼトロスは背に乗るアルウィンにそう語り掛ける。
が、「あぁ……」とだけ返した、アルウィンの表情は芳しいものではなかった。
全身に走る悪寒、そして吐き気。
それは、右脚を酷使したことによる複雑骨折の弊害である。
時間が経ち、アドレナリンはもう分泌されなくなっていた。
今まで外傷を伴った時は直ぐに
しかし、それをオトゥリアに預けてしまっている状態であり、
───完全な甘えだ。オレがオトゥリアに甘えてたんだ。あいつの
アルウィンは弱々しく前を見た。
道の先、100フィート程先にあるのはこの街の
周り全体に広がっている樹海と、その上にある、ぽつぽつと周りを照らす灯。
このエリアは殆どが樹海だが、その木々は巨大樹と呼ばれ、林冠まで150フィートはあるものだ。
この層では何故か、魔獣が1匹も出現しない。
その特徴を利用して、初めはたくさんの冒険者が野宿出来る安全な層としてこの地を利用していた。
その大きさは、規模だけで言えばダイザールの街の8割程度はあるというもの。
下層に挑戦する冒険者らが集い、唯一、魔獣に襲われるリスクがなく、安全な睡眠が約束されている場所である。
騎士団も魔獣から拠点を護る必要が無いため、働くとしても犯罪者を取り締まるだけなのが普通だ。
だが、今この場の騎士らにあったのは、ピンと張りつめた緊張だった。
何故か。
それは、魔獣が出現しない筈の第50層に上級の魔獣である
無論、それはゼトロスである。
騎士団は近付いてくる
ある者は剣の鍔に手をかけ、またある者は魔法の杖を取り出して、と警戒態勢である。
彼らはオトゥリアがゼトロスを連れていることを40層から転移して伝えに来たルチナによって知らされていた。
けれども、彼らは警戒を弛めてはいなかったのだ。
魔獣が居ないとされている50層だが、多層から特殊個体が侵入してくることも全くもって無いとは言えない。
現に、騎士団には知られていないものの、鈴蘭騎士オトゥリアが使役している
騎士たちは準備を万全に整えると、闇に向かって叫んできた。
「そこの
その声は鋭く、良く響く声である。
しかしその鋭い声は、体調の優れないアルウィンにとってはきついものであった。
ズキズキと、心臓の鼓動と同じ間隔で頭を穿つ痛み。
「我は鈴蘭騎士オトゥリアの臣下となった
騎士団の者よ、我はここで動かぬつもりだッ!ならば主の顔に免じてここまで来て、確認をしてくれないだろうか!」
本来は起きているアルウィンが言うべき内容を魔獣の身でありながら代わってくれたゼトロス。
「信頼出来ぬと言うのなら此方に来て、確かめよ!我は貴様らに傷を付けぬ。無論、貴様らに攻撃されたらその限りでは無いがな」
そう言われ、警戒を顕にしながらも騎士たちはゼトロスを見る。
彼らが確認したのは、ゼトロスの首の付け根にぐったりとした表情で座る青年と、後ろでその男に寄りかかるように眠る少女。
アルウィンとオトゥリアだ。
「後ろにいるのがオトゥリアだ。頼む……あいつを……」
そう言うか言わないかの内に、倒れ込むようにゼトロスの背から落ちたアルウィン。
担架があてがわれ、直ぐに空いている宿屋へ運ばれて行った。
それを見てホッと息を吐くゼトロス。
「我が主もアルウィンの元へ、起こさぬように注意を払いながら運んでやってくれぬか。我は適当な場所で二人が戻るのを待つ」
暫くしてアルウィンを運び終えた騎士達が戻ってくる。オトゥリアも同様に宿まで運ばれ、一筋の風がゼトロスの体毛を優しく揺らした。
「従魔殿……と呼んだ方がいいか?」
未だ警戒の手を緩めない騎士団員が一人、ゼトロスに近付いていた。
「確かに我は従魔だな。そう呼んでくれて構わぬが…
其方らが告げたいことは我の寝床の事であろう」
ゼトロスも、二人を乗せてかなり走っていた。
ある程度の休息を挟まなければ、これからの行程で不測の事態に陥ってしまう可能性は十二分に有り得ることだ。
「飲み込みが早くて助かるな。40層のルチナ・バルバロッサ少尉に従魔殿の事を伺っているが、一応の保険だ。
我々も従魔殿を信頼するには未だ足りないが、更にここには他の冒険者もいる。従魔殿の存在は、他の冒険者にとっても脅威であろう」
「で、あろうな。ならば我を森の外れの場所に案内してくれ。そして、主とアルウィンが起きて整い次第二人をそこへ案内してくれないか」
「……此方は従魔殿に対して手練の騎士を招集している。何かあったら困るのでな。
監視が付くが構わないか?」
魔獣とは思えないほどの理性と思考力による指示。
対話が出来るけれど、魔獣という本質は無視できない───というのがこの騎士の考えなのだろう。
「構わない。こちらの条件は二人を後に連れてくることだけだからな」
「成立だな」
目の前の
そしてゼトロスは、その騎兵らに先導されるように森の奥へと姿を消して行ったのであった。
………………
…………
……
オトゥリアが目を覚ました時。
それは、朝の市場が活気を帯びている時間帯であった。
窓から聴こえてくる歓声と、鼻をくすぐる肉を焼く匂い。
目を開けると、隣のベッドではアルウィンがすやすやと寝息を立てていた。
オトゥリアはむくっと立ち上がると、眠るアルウィンの隣にそっと腰掛ける。
そして、細い指でアルウィンの顎のラインをそっとなぞっていた。
───アルウィンの寝てるところ、可愛いな。
そしてそのまま指を滑らせ、アルウィンの前髪を少しだけかき上げる。
途端、顕になる彼の白い額。
その姿に、彼女は満足そうに目を細めてつんつんと触れる。
───ああっ……毎日こうやって遊べたらいいのになぁ……
頬を紅潮させ、恍惚した表情でアルウィンを見る。
彼の手を恋人繋ぎで握ってみたり、身体のあちらこちらをつんつんと触れてみたり。
彼への愛しさは溢れんばかりといっても過言ではない。
漸く会えた幼馴染が、しっかりとシュネル流で歴代最年少の免許皆伝という記録を打ち立てて自分を追いかけてきてくれていたこと。
それだけでオトゥリアの中にときめいた瞬間があったのである。
───耳も……触ってみたいな。
オトゥリアは恐る恐る手を伸ばす。
もちもちのパンさながらのアルウィンの耳たぶ。
彼女の指先に流れ出す脈動。
その指の擽ったさに気が付いたのか、アルウィンは「うぅぅぅっ……」と声を出してゆっくりと瞼を開いていた。
そして。
「……何してるんだよ、オトゥリア」
上目遣いでオトゥリアを見るアルウィン。
それは目ヤニが付いていて、寝起き特有の潤いのある眼であった。
「……っ!?なんでもないよ!!
アルウィンが遅いからちょっと起こそうと思っただけだし!」
慌てて身を翻すオトゥリア。
べたべた触っていたことを知られたらと思うと、羞恥心が収まらない。
「嘘だろ?お前っていつも、誤魔化す時に頬をピクピクさせるもんな」
そう言ったアルウィンに、反応してしまったオトゥリアの頬は紅を差す。
日は段々と高くなっていた。