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第34話 血縁関係のごたごた

「ナギマエナさん。あの口の軽いコルシカ夫人からいろいろ聞き出されたようですね。ですから、今この家がどういう状態にあるか貴女もよくお判りだと思います」

「相続の件ですか?」

「はい」


 うなづいた拍子に彼の前髪が一房落ちる。こんな夜遅く、しかも自分より目下の少女の所で話をするために、わざわざもう一度髪に櫛を入れたらしい。

 整髪剤を使う習慣がないのか、固められてはないから、時々ぽろん、と瞳と同じ色の巻き毛が落ちそうになっている。ナギはにおいのきつい整髪剤も香水も嫌いだったから、その様子にはなかなか好感が持てた。

 よく見てみると、仕事の服のままではあるが、それもきちんと整え直している。

 安心とか信頼とかいう言葉とは無縁だが、生理的に嫌いなタイプではないな、とナギは思う。


「ナギマエナさん、正直言えば、我々この屋敷の現在の使用人、副帝都の使用人、松芽枝及び他市の屋敷の使用人に関しては、皆基本的にはお嬢様に相続していただくことを望んでいるのです」

「基本的。と言いますと?」

「思惑はそれぞれにいろいろあります。……そうですね、判りやすい方で言うならば、得体の知れない少年よりはお嬢様の方が好き、という程度から。まあそれは副帝都の使用人達ですが」

「でも無論それだけではないですよね?」

「当然です」


 彼は言い切った。


「特に我々、帝都のこの家の人間は、お嬢様に会ったことがある者自体少ないですから。お嬢様に対し好悪の念も大して感じはしない。お嬢様についた方が自分の利益になる、と考えるのが大半でしょう」


 確かにそれはもっともだ、とナギは思う。この家においてそう思わない方がナギには不思議に思える。


「怒りませんか? そういう理由であることは。自分だけ良ければよいのかと」


 両手を膝の前で組合せ、コレファレスはややのぞき込むようにナギの方を向いた。それに対し、ふっとナギは笑う。


「そういうものでしょう? 確かに私はシラさんがとても好きだし、彼女のために、彼女が相続した方がいいとは思ってもいます。だけど。自分の立場のことだって平行して考えてますよ。彼女が安泰なら私も安泰」

「それならよかった」


 ですが、とナギは身体ごとコレファレスに向ける。


「正夫人の子供であるお嬢様だから、という御意見はないのですか? どなたにも」

「まあそういう実に道義にかなった御意見というものも、無くもないですが…… しかし、ここの奥様の亡くなったのももうずいぶん昔です。もう十年を少し越える。だいたいにおいて、ここの使用人は、あまり長くは居着かないですし」

「どうしてですか」

「まあいろいろ理由はあります。いずれにせよ、回転が早いのです。従って現在、奥様のことをよく知っている者は現在は私ぐらいなもので」


 すると少なくともこの執事は十年以上この家に居る訳である。

 コルシカ夫人は給料が良くなかったらこんな所にはいない、と言っていた。


「実際給料が高いのも、人がなかなか居着かないためでして。そういうところにくるくると入ってくるような者が、正妻だ愛妾だと建て前のことを考えはしないでしょう」

「でしょうね。よほど居心地が悪いと見えるわ」


 ナギは明らかに嫌みを込める。


「では、そんな所に居て、どういう点が利益なのかしら」

「利益というのは、降ってくるものではないですからね」


 コレファレスもまた彼女の方へ身体を向けた。


「お嬢様は、確かに賢い方ではあるが、いかんせんまだ子供に過ぎない」

「ええそうですね、まだ十七歳ですから」

「となると、後見人が必要となります」

「その場合、誰が成るのかしら」

「まあおそらくお嬢様の後見でしたら、親戚筋の…… 母方の親族でしょう。両親のいない女子の後見は、母方の親戚というのが通例ですから」


 それは初耳だった。ナギには親戚はない。したがってそういった血縁関係のごたごたというものには、さすがに弱かった。理解がし辛いのだ。


「でもそれではその母方の親戚筋に遺産をいいように使われないかしら?」

「いえそれはありません」


 コレファレスは首を横に振る。


「逆に、両親ともいない相続者の場合、その辺りの法の規定はしっかりしているはずです」

「そういうものですか」

「そういうものです。後見人の指定は…… 十二歳は越えているから当人にしかできないし、その後見人にしても、財産そのものを動かすには相続人の了解が要る訳です。まあ実際には、子供を適当な甘い言葉で言いくるめるのが普通ですが、お嬢様は結構頭が回る方ですから」

「でもそれはその男の子であっても」

「いえいえ」


 ひらひらとコレファレスは手を振る。


「確かに後見人は必要です。それに対するかの少年の権利も同様でしょう」


 ナギはうなづく。


「ですが彼には母親がいます。母親が後見人になるでしょう。片親がある場合は、その親が後見人になるはずです」

「それは法で決められているのかしら」

「成文法ではないですが、習慣として。いずれにせよ、よほど子供がその親を嫌いでない限り、子供にとって一番身近な大人と言えば親しかいないですから」


 そういえばそうかもな、とナギは思った。母親と二人で流れていた頃、確かにそういう感覚はあった。


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