ああら可愛い。
失礼します、とその隙を狙って少女は手早く仕事を済ませると扉の外に消えた。
そしてその時シラは一つの楽しみを見つけた。
彼女は追ってくる者は手ひどくぴしゃりとはねのけるのが好きだが、逃げていく者はとても興味がある。
まあつまりは「来る者は拒まず、去る者は追わず」の逆である。来る者は拒み、去る者を追う。かなりそれが力技であったとしても、である。
ちなみにナギは放っておくと確実に自分をも見捨てそうな雰囲気がある。実はそのへんも彼女は好きだった。
少女は「去る」側、もしくは「来ない」側の人間らしい。だが見かけはなかなか可愛らしく、ここの所そういったものとご無沙汰している身とすれば、引っかかるものがあるのだ。
それにもう一つシラには算段があった。
少女には主人がいる筈である。その主人を引っぱり出せば、ここが何処か、どうして自分がここに居るのか、その理由が掴めるとシラは思う。
だとしてら、せいぜい可愛がって困らせてやりましょ。
くすくすくす、とシラは笑う。
*
「あら、どうしたの?」
入ってきた少女を見て、彼女の主人は訊ねた。
「目が真っ赤よ」
「な、なんでもありません」
少女は慌てて目を主人から逸らす。主人はそれまで手紙を書いていたのだが、その手を止めて立ち上がる。栗色の長い髪が揺れる。そしてゆっくりと少女に近付く。
「何でもないじゃあないでしょ。藍。……ああ、あの娘ね。そうでしょ?」
藍と呼ばれた少女はこくんとうなづく。
「何か意地悪されたの? 閉じこめてどうのとか」
「いえ、そういうことではないんですが」
どうしていいものか、と藍はため息をつく。藍の主人…… 言わずと知れた皇太后エファ・カラシェイナ、通称カラシュであるが、これはただ事ではないな、と気付いた。
「まあそこへお座りなさい」
藍は素直に示されたカウチに掛ける。掛けてからも、なるべく目を見せないようにしよう、しようとうつむいて前掛けの端ばかりをいじっている。
カラシュはその横に掛けると、何をされたの、と訊ねた。
「……あ、あの……」
「言いにくいことだとは思うわ。でも言わなくては判らないでしょう? 彼女は大切な客人だし、あなたもあなたで大切な一人よ。ね?」
「……あの……」
「ん?」
にっこりとカラシュは笑う。
「……こんなこと言ってもいいのでしょうか…… あの…… 私」
もの凄く言いにくそうなことか。何となくカラシュは想像がつく。伊達に長く生きている訳ではない。まるでこの反応は、男からの性的嫌がらせに遭った少女のものなのである。
だがしかし。
「いいわよ。何であっても。あなた身体に、何をあの娘にされたの?」
藍はぱっと顔を上げる。
「……皇太后さま」
「別にあなたが悪いんじゃないし、それは私が断言するわ。だから言ってちょうだい」
「……私…… 私…… あの…… 犯されたんです」
は?
さすがの彼女も、その言葉には驚いた。
皇太后カラシュは長い時間生きてきたし、その間にいろいろなことをしてきた。
「賢帝」と呼ばれたかの六代帝の最後にして最高の配偶者であり、現在の七代帝の母君。
開明的な六代帝の後押しもあってか、彼女はそれまで低かった女性の地位を少しでも引き上げることに力を尽くした。現在でもその関係者がサロンには集う。
そういった中で、不当な暴力を夫だの父親だの兄弟だのから振るわれてきた少女も沢山見てきた。だから藍が入ってきた時の反応がそれによく似ていたから訊ねたのだ。
とはいえ、同じくらいの少女相手に「犯された」とは尋常ではない。アヤカ・シラ・ホロベシ男爵令嬢は、特にそういう風には見えないが。
「……あ…… と、答えたくなかったら、じゃあその後はいいわ。ただ一つこれは答えて。その『犯された』というのは、男の人がそうするみたいに、という意味? それとも別の意味なの?」
「私、わかりません」
とうとう藍はわっと泣き出した。
「だって私、まだ好きな男のひとだっていないんですよ。誰かと寝たことなんてないんですよ。それであの、比べろなんて、あの……」
「ああごめんなさいごめんなさい、私が悪かったわ」
そう言いながらぽんぽんとカラシュは藍の背中を叩いてやる。
よほどショックを受けているのだろう。この実直生真面目を絵に描いたような少女は、自分が皇太后に口ごたえしていることすら気付いていない。
それでもその言葉を使うんだから。
彼女は予定をやや変更することにした。