食事は毎度ながら良いものだった。
毒は入っていないようなので、とにかく体力は温存させておかなくちゃ(太るのは嫌だけど)、という訳でシラもまた、別の場所の相棒同様よく食べる。
珍しく、この夜は魚料理だった。平べったい白身魚のムニエルが香ばしく、美味である。付け合わせは青いアスパラガスととうもろこしの茹でたものである。
主食はパンの時もあるし、時には麺であることもある。
帝都は基本的に粉食地域である。南東部など、麦や米を直接調理して食べる所もあるが、帝都及びその周辺、辺境地までは粉に挽いたものを焼いたり煮たりするのが通例である。
食事に魚が出るのはこの時が初めてだった。基本的には焼かれた肉か、煮込み料理か、さもなければ豆料理が出る。
あまり肉が好きではないシラは、魚料理はちょっと嬉しい。野菜は主菜の付け合わせか、さもなくば煮込み料理にふんだんに加えられている。
そしてお茶のセットと、デザートまでつく。この日は真っ白なブラマンジェに濃い赤紫のソースが掛かっている。何のソースかはシラは判らなかったが、下の端々までつんとくる酸味が奇妙に心地よいと思えた。
これはなかなか本格的な食事の構成である。しかも魚まで。
帝都は内地である。魚は海か、川でしかとれない。
いずれにせよ帝都からは遠い。輸送手段が発達した現在だからある程度市場には出回るが、それでも魚はそうそう一般庶民の口には入らない。
とすると。
こんな客人(もしくは囚人)にそんなものを出すというのは。
そして紅はまた明日、と無表情のまま出て行った。
ちょっと待てよ。そしてシラは彼女が出て行ってから気付く。
連絡済み。ご心配なく。
心配をうちの連中がしなくともいい、ということかしら。それとも?
これは誘拐ではない、とシラは考えていた。もし誘拐だとしても、金だの物だのを目的としたものではない。どう見ても相手の方がそういったものは持っていそうである。必要がない。
だとしたら、自分をこうやって閉じこめておく理由は何だろう?
はっきり言って、今日が何日なのか、それすら現在のシラは確かめる方法がないのだ。
*
馬車が到着する音で、目が覚めた。窓を開けたら、よく晴れた陽の光が一気に部屋の中に入ってきた。
馬車が玄関に横付けになる。シラは寝間着のままで下をのぞき込む。二階の張り出しが大きいせいで、三階の様子は下からは見えない。
馬車の扉が開く。
あれ。
シラは半分眠っていた目をこする。
……
ちょっと待って!
陽の光に、きらきらと光る、無造作な髪。適当に切ったことが丸分かりで、しかも後ろに長く伸びる細かい三つ編み!
こんな頭してる奴なんてあたし一人しか知らない!
シラは目を見はる。手を伸ばす。大声を出さなくちゃ。ナギがそこにいる!
だがすぐにその姿は建物の中に消えていく。視界から消えていく。
でも中に入ったのは確かよ。
シラは大急ぎで寝間着を脱ぎ捨てる。たたんでいる暇なんてない。
寝台の上に放り投げると、短い靴を履く。長い靴の紐を結んでる暇なんて無いわ。
ばん、と音を立てて扉を開けて、廊下を走る。真っ赤なジュータンは上等なものだから、どれだけばたばたと走っても、音一つ立てない。
階段を駆け下りる。絶対に学校でこんな降り方したら、教師に舎監に怒鳴られる。だけどここは学校ではない。寮舎でもない。
誰があたしを止められるっていうの!
シラは最後の三段を一気に飛び降りる。
一階までその要領で一気に行く。何処の階も同じような作りをしていて気持ちが悪い。ややぐるぐると勢いよく手摺を使って回ったので、平衡感覚がちょっとおかしくなってる。
でも一階!
一階と言っても結構広い。シラは耳を澄ます。長いふわふわした焦げ茶の髪を耳に掛け、少しの音でも逃すまいと神経を逆立てる。
一つ二つ三つ……
四つ目のドアの前まで来た時だった。
話し声が、聞こえる。
ここだ。
「……私は黒夫人…… のご招待を受けた筈ですが……」
「ええその通りだわ」
「なのに夫人はいらっしゃらない。これはどういうことですか?」
声が聞こえる。一つはこの家の主。そしてもう一つは――― 彼女の好きな、アルトの声。
いつもだったら、最初は多少の猫をかぶるのに、どうやらそうしない程、怒っているらしい。
シラはドアの取っ手に手をかける。ひねる。がち、と止まる感触。鍵が掛かっている。入れない。
中から鍵が掛かっている。ナギは誰かと話している(でもそれは黒夫人ではない)。このままじゃ気付かれない。ナギに会えない!
どんどんどん。
シラはドアを叩く。思いきり叩く。
「ナギ! 居るんでしょ!」
会話が止まる。
「あたしよ!」
両手を握りしめて、思いきり、叩く。殴る。蹴りまで入れる。
「な……」
気配は無かった。
口がふさがれる。それだけではない。
何やら冷たい、薬品臭が鼻をつく。さほど強い力で押さえられている訳ではないのに、身動きが取れない……
がっくりと、シラは力と意識が抜けるのを感じる。感じて……何も分からなくなる。
そして紅は、その力の抜けた可愛らしい人形を、無表情のまま支え、何処にそんな力があるのか、軽々と抱き上げた。
「ご苦労様」
扉が開く。この家の主は、にこやかに微笑んで目前の光景を確かめた。