夕食を夫人と差し向かいで取っている時に、執事のクーツは高速通信が入っている、とシラに告げた。
誰から、とはシラは彼には訊ねなかった。夫人に下手に詮索されるのは嫌だったのだ。
通信のための小さな部屋の扉を閉めると、シラはヘッドフォンをかけ、丸形のマイクに口を近づけた。
「……はい、代わりました」
『シラさん?』
「ナギ?」
シラは通信機の音量を上げる。雑音がひどい。何処から掛けているのというのだろう?
耳に飛び込んでくる相棒の声。アルトの、いつでも妙に落ち着き払った、そして自分をからかうのが好きな、その声が。
ひどく気持ちいい。思わず耳に当てたヘッドフォンに両手を添える。
「あんた今何処にいるの?」
『国境近くの都市です。旦那様の遺体の保存処理があるんで、まだすぐには動けません…… ところでシラさん、あなたこそ、どうしてここに居るんですか?』
「……それはあたしが聞きたいくらいよ」
思わず顔が渋く歪む。
『……なるほど…… 誰かそこに居ます?』
「ここにはいないわ。ただこの屋敷には居るわよ。ナギあんたいい時間に掛けてきたわ。今は食事中だったから」
『ええ、一応そういう時間を見計らってましたから…… まあそれはいいです。それで、副帝都に、あなたしばらく留まるんですか?』
「ううん、帝都へ。……迎えに来てくれちゃったのよ。そうそう逃げられる相手でもないし、敵に回したくもない相手って居るでしょ?」
『そういう人ですか…… それはなかなか厄介ですね』
「あんた早く帰ってきなさいよ」
『ああ、一人じゃ辛いですか?』
「……な」
その言いぐさ。思わずシラの頭に血が上る。
『努力はしますけれどね……』
「しなさいよ」
『必要なら言われなくともしますよ。それよりシラ、あなた帝都へ行くのでしょう? 何処へ行きますか?』
「一応本宅へ。そこからはまだ判らないわ…… だからあんた帝都へ直接来てよ。いちいちこっちへ戻ることなんてないわ」
『言われなくとも』
シラは唇を噛みしめる。
ああそういう奴だもんな。
いつだってそうだ。あたしがどれだけ悔しいと思っていても、その涼しい顔で受け流してしまうんだわ。
「じゃあ早く用事なんて済ませてしまいなさいよ」
『ええ全く。私も早くあなたに会いたいですからね』
え、と思わずシラは問い返していた。胸の奥が勢いよく上下したような気がする。
だけどつとめて平静を装って。
「あらそうだったの?」
『ええ全く。私はあなたがとても好きですからね』
「嘘ばっか」
『どちらでもいいですよ。でも少なくともあなたの身体は好きですよ』
「ナギ!」
『あなたはそうではありません?』
ぐ、とシラは言葉に詰まる。あいにく非常に好きだった。
だけど、それを口に出すのはしゃくにさわる。いけしゃあしゃあと向こうが口に出すから余計に。だけど嫌いだなんて嘘もつきたくはない。
「嫌いじゃあないわ。あんたは上手いもの」
『ええそうですよね、私上手いですから。でもどうして私が上手いかとか、あなたは何にも知らないでしょ?』
「そりゃあそうよ。あんた何も言わないんだもの」
『聞きたいですか?』
「どっちでもいいわよ。でも興味がないって言ったら嘘だわ」
『それはそれは』
はぐらかすんじゃないわよ、とシラは内心つぶやく。
確かにこの相棒は自分自身のことを全く話さない。
父親に「人形」として引き取られた訳だから、何らかの事情があるのは判る。「上手い」理由もある程度想像できる。
だが結局は想像に過ぎない。本当の内容までは判らないのだ。ナギがその口から言わない限り。
興味がないと言ったら嘘になる。
シラはナギのことがとても好きだったから。
好きだから、知りたい。
知らないままでは、自分がいつまでたっても相手に振り回されているだけのように思えてしまう。
シラは基本的には、振り回されるよりは振り回す方が好きなのだ。
「じゃあ何、聞きたいとあたしが言わなくちゃ、あんたさっさと帰っては来ないって訳?」
『そういう訳ではありませんよ。ただ何をするにでも、張り合いは欲しいじゃあないですか』
「張り合い、ね。あんた今何が欲しいの? 何がしたいの?」
『私ですか? ……そうですね。まず……』
「まず?」
『あなたにキスしたい』
そうきたか、とシラは思った。
「じゃあそう想像してみなさいよ。次に何をしたい?」
『嫌ですね、その後はあなたの方が想像つくんじゃあないですか?私はいつもあなたがして欲しがってることをしてる筈ですよ?』
「嫌な奴」
だが間違ってはいない。いつでもナギはそうなのだ。それが実に的確だから、余計に腹が立つ。
『でもあなたは言えないでしょうから、私が言いましょうか?』
*
……まずいな、とシラは通信室から出た瞬間、思った。何を考えているんだあの馬鹿、と心中、大声で悪態をつく。だが。
シラは食堂へとって返した。そこには自分の未だ途中の食事と、既にデザートも食べ終え、食後のコーヒーに手をつけている黒夫人の姿があった。
「……マロン夫人、もういいわ、下げてちょうだい……」
いつもだったら、寄宿舎の食堂でそんなこと言ったら、相棒が実に冷ややかな視線で無言の抗議をするだろう。
だがもしここで彼女が居て、同じ視線を飛ばしたとしたら、間違いなくシラは反論するだろう。誰のせいだと思っているの!
「……どうしたの? 顔が真っ赤よ」
「え?」
反射的に顔に手を当てる。確かに熱を持っていた。だがそれは決して病気の熱ではない。
「……何でもありません」
「何でもないことないでしょう? ちょっといらっしゃい」
「何でもありませんってば!」
差し出す手を、思いきり払う。夫人の目が大きく開かれた。
「……あ…… すみません。失礼しました…… でも本当に、何でもありませんから……マロン夫人、あたしにもコーヒーちょうだい」
はい、と即座にマロン夫人はシラの食器を取りまとめ、食堂から下がった。
ふうん、と言った表情で夫人は腕組みをする。
「何もない、ね」
「ええ、何もないです」
「嘘ばかり」
くっくっ、と彼女は含み笑いをする。
「何を言いたいのですか?」
「誰からの高速通信だったのかしら?」
「ナギマエナからですわ。それが?」
「ううん別に。ただあなた、今妙に綺麗ね」
心臓が、飛び跳ねる。
「それだけで、済んで?」
シラは思わず黒夫人をにらみつけようとした。
ええそれだけじゃありません。だけど貴女には関係は無い。
あれはあたし達だけの―――
シラはそうだ、と内心うなづいた。自分達の関係は自分達だけのものだ。
母親とこの黒夫人のそれと重ねられてはたまらない。
口を閉じろ。下手なことは言うな。
心を強くしろ。相棒と真っ直ぐ向かい合いたかったら。
「済まないですわ。だから私、待ってるんです」
黒夫人はひゅっと肩をすくめた。
「私は私のできることをして待つだけです」
そう、そのためなら目の前に差し出されたものは何でも利用してろう、と彼女は思った。
相棒が自分のために何をしようとするのかは判らない。
それでも。
「さあ、お茶に致しましょうよ。黒夫人」