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第91話 「殺しはしないだろう」

 ナギはそう言うと、トランクを掴み、駈けだした。細い銀に近い金の三つ編みが、揺れる。

 彼もまた、荷物を握ると、その場から駆け出す。ちら、と後ろに視線をやると、確かに、居た。三人だった。

 ああそうだ、と彼は思う。確かに、あの時店に居た、作業服を着た者がその中には混じっている。

 彼は足を早め、ナギの横に並ぶと、呼吸を乱さない様に注意しながら声を掛ける。


「……居た」

「ああ」

「何処まで走るつもり?」


 ナギは時々呼吸を整えながら、そうだな、と言葉を入れる。


「上手く行けば、もうじき……」


 彼女がそう言った時だった。ユカリははっとして彼女の腕を強く下に引いた。


「伏せろ!」


 ひゅん、と頭上を、何かが通っていく。

 気配を感じて、ユカリはとっさに彼女を避けさせた。

 砂ぼこりが舞う。

 ぷ、と彼女は口の中に入ったらしい砂と一緒に、大地に唾を吐く。すぐに体勢を立て直す。

 それはユカリも同様だった。幾らかか離れている相手は、銃を手にしている。


「……あの銃は」

「見たことがあるのか?」


 ナギは彼に問いかけた。ああ、とユカリはつぶやく。そういう訓練は、されているのだ。現在帝国内で使われている携帯兵器の種類は、一瞬で見極めることはできる。


「応戦は可能か?」


 ナギは短く、かつ重要なことを問いかける。どうだろう、とユカリは思う。向こうの意図が、自分達をどうしたいのか、どうにもよく判らないのだ。


「心配するな。殺しはしないだろう」

「そうなのか?」

「たぶん」


 彼女にしては歯切れの悪い言葉に、ユカリはやや不安を覚える。だが、かと言って立ち止まっている訳にもいかない。この広い、ただ広いばかりの大地の上で、逃げも隠れもできないとなれば。

 三人。若すぎもせず、歳をとってもいない。作業服は動きやすいだろう。何よりも、銃を持っている。しかも、それは拳銃だ。

 しかし、それは決して遠距離における精度を目的としたものではない。実弾をそのまま輪胴に込める方式のものだ。この方式は、素早く連続して発射することを目的としているので、精度は二の次となる。そして、込められている弾丸数もそう多くはないはずだった。少なくとも、正規軍の新型よりは。

 となると。

 帝国内で銃はまず滅多に出回ることが無い。武器として決してそれは一般的ではないのだ。内乱を抑える意味で成立しているこの国の正規軍には、あまり必要も開発も行われないものだった。


「むしろ、あれは……」


 軍よりは。


「警察機関?」


 彼はつぶやいてみる。もしくは、それに近いもの。内務省の管轄の…… 可能性はある。

 しかし殺さないと言ったところで、そういった機関に、何故追われて、そして反撃するのかの理由を問われるとまた厄介である。彼の主にとって、決してそれは良い事態ではない。


「どうする!」

「どうするって!」


 問われたナギの方も、どうしたものか、という表情をしている。隠れる所も無いこの場所で。

 ち、と舌打ちをすると、ユカリは自分の服のボタンを素早く二つ三つと引きちぎる。そして指でそれを鋭くはじき出した。

 お、という声が上がり、一人が手を押さえる。そしてもう一人が顔を。

 そしてそのスキをつくように、彼は三人の方へと駈けだした。

 ナギは大きく辺りを見渡す。そして何かを探す様に、ぐるりと首を動かした。

 ユカリは迷わずに顔を押さえている方の男に駆け寄る。

 そして鋭い一撃を、その押さえた手の上からくらわせた。

 ふらり、と男はその場に砂ぼこりを立てて倒れた。

 だが。


「動くな」


 重い、冷たい金属の感触が首に当たっているのを彼は感じた。押し付けられているものが何なのか、それはすぐに判った。

 しかし次の瞬間、背後の男はおっと目を広げた。

 身をかがめ、ユカリは足を後ろにぐるりと回す。頭を下げる。頭上で、大きな音が響いた。うわ、と声がした。目の前に赤が弾けた。

 そして、そのままその銃を持った手を空に勢いよく向けさせ、手を開かせた。ぽろり、と銃が落ちる。何だ、案外筋肉が無い、と彼は思う。


「ナギ!」


 彼は離れた場所に居た彼女に合図を送った。トランクを置いて、彼女は近づいてくる。そして落ちた銃を拾うと、慣れた手つきで、ユカリが手を押さえている男に向かって突き付けた。


「強いな、ユカリ」

「どういたしまして」


 彼はあっさりと答える。こういうことだったら、と彼は思うのだ。こういうことなら、自分は何も考えずに、ただ、相手を倒すことだけを頭に置いて動けるのだ。

 そして気絶している一人、間違って肩を打たれた一人の両方に視線をやりながら、ナギはうなづく。


「あなた達にはちょっとつきあってもらおう」


 え、と手を掴まれている男とユカリが同時に彼女の方を向いた。


「このひとの傷の手当もせんといかんしな。ほら」


 彼女はぐるり、と先の見えない平地の方へとあごをしゃくる。あ、とユカリは思わず声を立てた。

 いつの間にだろう。ずらり、と馬に乗った人々がその平地にちは並んでいた。


「何とか、間に合ったようだ」


 ナギはそう言って、空に向けて拳銃を一発、打った。


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