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第99話 ユカリが考えない様にしてきたこと

「父姓が無い私が男爵に拾われたという時点で、気付いていたと思ったがな」

「でもほら、施設とかも―――」

「そんなもので全てを網羅できると思っているのか?」


 できる、と彼は思っていた。

 全くの落ち度がこの帝国の政治には無いとは思ってはいないが、しかしそのくらいのことは、きちんと行われていると思っていたのだ。

 少なくとも彼の主は、そういったことに熱心である。昔からそうだ、と聞いている。

 皇太后がまだ皇后だった頃、そんな父姓の無い子供達のための施設には、一気に監査が入り、風紀が正され、設備も良くなったと聞いていた。


「あなたの言いたいことは判る。あの方は、確かに昔、施設に関しての設備を良くした。それは知っている。だが、それだけで、全てのそんな子供を残らずすくい上げることができる訳が無い。どんな所にも子供は生まれて、そしてそれをいちいちお上に言いはしないこともあるんだ。手続きが厄介だ、手続きをするための自分の名前も書けない、役所へ行く自由が無い、色々な」

「……」

「それを今すぐどうこうしろ、なんて言えない。言ったところで、上からそれを押し付けたところで、その一番下に居る彼女達に、その恩恵が本当に回ってくるのか、それが果たして彼女達にとっていいのか、それも正直言って判らない」


 ナギは身体を起こし、既に暮れかけた空を真っ直ぐ見据えた。その視線の先には、光を放ち始めた星の姿がある。


「少なくとも、どんな大きな権力を持った人でも、たった一人が口を出したところでどうにもならない物事というのはあるんだ」

「だけど、何もしないよりは」

「無論しないのがいい、なんてことは言っていないさ」


 立てた膝に埋めた顔を、彼女はちら、とユカリの方へ向ける。


「良くないことは、いい方向へ持っていくのがいいに決まっている。だが、それは決して単純に割り切れることでもないし、単純に正せることでもない、と言ってるんだ。それが皇帝であろうがな」

「ナギ……」


 何となく、彼は不安になる。言ってはいけないことを、彼女は言っているのではないか、そんな予感が、自分の中に走る。

 そして彼女は何気なく言う。


「ユカリ、帝国は、もう長くは続かない」

「ナギ!」


 そして思わず彼はナギの肩を両手で掴んでいた。


「何故そういうことを、言うんだ?」

「では、あなたは帝国は永遠である、と思っているのか?」

「帝国の臣民であれば―――」

「それは本心か? 建て前か?」


 肩を強く掴まれたまま、彼女は鋭く問う。う、と彼はうめく。

 本心、と。言えるはずなのに。

 奇妙に、その言葉が出てこないのだ。


「迷っている」


 ナギは小さく、しかしはっきりと言う。


「ユカリは、迷っているだろう?」


 彼は首を横に振る。だが、それが嘘であることは、彼も気付いていた。自分は、迷っているのだ。既に。


「帝国は永遠じゃない」


 ナギは言い切った。


「創めた男が、ただの人間であった以上、それはいつかは終わるべきものなんだ。それは、あの方もよくご存じだ」

「カラシュ様が―――」


 口にしてしまってから、彼ははっと口を押さえた。そのすきに、彼女は掴まれていた身体を引き剥がす。


「なるほどね」


 くす、と彼女は笑った。


「ユカリは、あの方が好きなんだ」

「そんなことは……」

「あの方だって、女性だ。別にそうであったって悪くはないだろう?」

「不敬な考えだ! それは」

「ふうん」


 うなづくと、不意にナギは彼の顔に手を伸ばした。

 そして、ぐっとそれを自分の方へ引き寄せる。彼は何が起こったのか、すぐには判らなかった。

 しかし、この薄暗い中でも、相手の顔がはっきりと見えるというのは。この柔らかい感触は。


 ……


「やめてくれ!」


 ユカリは大きく顔を横に振って、彼女から逃れた。


「何を考えてるんだ、一体!」

「別に。そういうことじゃあないのか? 好きというのは。全くそういうことを考えたことは、無いというのか?」

「……やめてくれ……」


 彼は両手で顔を覆った。


「何だってあなたは、そんな風に、俺の、考えたくないことを、考えないようにしていたことを、ほじくり返すんだ……」


 うめく様に、手のすき間から声が漏れ出す。


「……そうだよ、俺はずっとあの方が好きだった。皇太后、ならば、現在の皇帝陛下の母君じゃないか。なのに、あの可愛らしいお姿とお声と…… それでいて…… あんな気さくに俺や頭に……」


 そうなのだ。ずっと。出会わされた時から、ずっと。信じられない、その容姿と共に、いつも自分をたしなめるような口調に。何かに困った様な表情に。いつもいつも。

 だから、いつか、頭の様に、あの方を、カラシュ様と、愛称で呼びたかった。だから、一生懸命、いつもずっと、仕事に励んできたというのに。


「あなたに俺の気持ちなんか、判らない」


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