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第100話 「目の前にある危機には、死力を尽くして立ち向かえ。それが私達の約束だ」

「それはそうだ」


 ナギは容赦なく言う。


「だけど私にあなたの気持ちが判らないように、あなたにも私の気持ちなど判らないだろうよ。私が早くこの厄介な『お願い』を済ませて帰りたいこともな」


 彼は顔を上げる。そういえば、そうだった。彼女は急いでいるのだ。


「聞いていい? ナギ」

「何だ?」

「何で、あなたはそのシラ嬢のために、急ごうとする? あの方の命令…… いや『お願い』より、それは大切なんだろう?」

「当然だ。私にとって、あの方は別に関係無い。関係したくないんだ。……いやいつか、関係してしまうとは思ってはいたが、できるだけ遠ざけておきたかったことは事実だ」


 そしてぽん、と彼女はユカリの肩を叩く。


「悪かった。ついあなたに八つ当たりしていた。ただ私は私で、シラさんに早く会って、手助けをしたいんだ。まあ彼女が捕らえられているのが、あの方の元だとしたら、私を動かせている以上、彼女の立場を悪いものにはなさらないだろう。だが、時間がもったいないのは確かだし、彼女もまあ、一人でも何かしらするだろうが……」

「それは男爵の令嬢だから?」


 珍しくくどくどしくなりそうだった言葉を、彼は遮った。


「いや、そんなことはどうでもいい。私は、彼女が彼女だから、とても……」

「彼女が、彼女だから?」


 そうだ、とナギはうなづいた。


「私は色んな土地を回っていたんだが、まあある『春の家』で、男爵と再会してしまったんだな。その時に、彼は私を連れてそこを出て…… それから学問の特訓の後、私を彼女に会わせたのだが…… 出会って第一声、彼女が何と言ったと思う?」

「何と言ったんだ?」

「『あなた綺麗ね』」


 彼はふと眉をひそめた。それは決してナギにとって、誉め言葉ではなかったはずではないのか。

 その表情が既に暗くなったこの場所で、読みとれたかどうかは判らないが、ナギは付け足した。


「今と同じ髪型をしていたのだがな?」

「あ」


 それでは、と彼もうなづいた。


「冗談でしょう、と私も言ったさ。だけどむきになって彼女も言い返すんだ。『あたしはあたしの目が確かだって信じるわ』どうだすごいだろう?」


 なるほど、と彼は思った。貴族の令嬢で、そんな風に初対面の人間に言うことはまず無い。 


「俺の知っている『御令嬢』達は、そんな言い方は、確かにしないな」

「だろう?」


 くくく、と彼女は笑う。本当に楽しそうだ、と彼は思った。


「彼女は、そういうひとなんだよ」

「好きなんだ?」


 何気なく――― 本当に何気なく言ったつもりだった。

 だがその時、ナギはほんの少し動揺した様に彼には思えた。


「なるほど、やっぱり判ってしまうのだな」

「え」


 本当にそうなのか、と彼は驚いた。


「不思議なものだ。最初のその一言で、ああこのひとは、私が何であっても、その第一印象の方を取るだろうな、と私は思ってしまったんだよ」

「そんなものか?」

「そんなものだ。だいたい好きになるとはそういうものだ。違うのか?」


 ぐ、と彼は詰まった。違いない。


「だから、私は彼女を出来る限りは助けたい。彼女が私を必要としているかどうか、は別としてな」

「必要とはしていない?」

「まあ、何とか目の前にある危機には立ち向かえるだろうとは思うが」


 あっさりとナギは言う。


「目の前にある危機には、死力を尽くして立ち向かえ。それが私達の約束だ。離れてしまうことがあった時には、必ず再会するまでに自分の目の前にある事態を少しでもいい方向へ持っていくこと。それが私達の約束なんだ」


 何だか凄い関係だ、と彼は感心した。


「これから、何が起こるのか判らない。自分の身は自分で守らなくてはならない。他の令嬢達のことなんか知らん。だが彼女にはそれができる。できると思ったから私は彼女を信じる。彼女は私を信じるだろう。そしてその信用に対し私は私の為すべきことしなくてはならない、ということなんだ」

「それはすごい」

「そうかな? 私は至極当然のことだと思うがな」


 それができないのが、普通なんだ、と彼は口に出さずにつぶやく。


「でも、それと帝国が終わるというのは」


 するり、と言葉は滑り出た。口にしてみて彼は驚いた。そして繰り返す。


「終わるというのは、どういうことなんだ? そしてどうしてあなたが、ナギ、動かなくてはならない?」


 そうそれは、ずっと疑問だったのだ。何故彼女が。

 確かにシラ嬢を人質に取られているというのはあるだろう。しかしそれは何故ナギが、という疑問の答えにはならない。

 確かにナギは、「ただの女子中等学校生」ではないのは確かな様だ。そうでなくて、こんな場所で、いともあっさりと、族長と話はできない。カラ・ハンの族長と懇意というのも判らない。「春の家」に、そんな子供の頃から居たのか。

 彼女は、一番大切な何かを、言わずにいるのだ。


「聞きたいか?」


 満天の星の下で、彼女の手が再び彼の頬に触れた。

 だが彼は今度は避けなかった。ここで逃げたら、彼女は決して話してはくれない。そんな気がした。彼はうなづいた。


「理由は簡単だ。私には『落ちてきた場所』の気配が判るから」

「何故?」

「あれの気配が判るのは、今五人しかいない。しかしその中で、居場所が判って、そして自由に動きが取れるのが私しかいないから」

「五人?」

「私。カラシュ様と、イチヤ様と、ダリヤ様。それに皇帝陛下」


 声をひそめて、彼女は囁く。


「ちょっと待ってそれは」

「それは? 言ってごらん? 私が誰だか」


 それは。信じたくない言葉が頭に浮かぶ。それが証明できるものは確かに何もない。だけど。


「あなたが」


 何かが、背を押す。その声が、自分の喉を操る。


「―――あなたが当代の皇后なんだ!」

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