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第101話 「皇太子を孕むことができる女が、皇后にさせられるんだ」

 がたがた、と車体が揺れ、窓が揺れる。

 斜め前で、ナギはまた同じように窓の外を眺めている。

 ユカリはその姿を眺めながら、ついそっとため息をついてしまう自分を感じていた。

 さすがに、彼女から聞かされた「事実」は、彼が突然受け止めるには大きかった。

 言われてみればそうかもしれない。彼女があれから彼に告げたのは、そんな内容だった。それは彼女と行動することで少し視界が開けたユカリだからこそ、「そうかもしれない」と思うことができるものであって、出かける前の自分だったら、絵空事だと決めつけ、耳を貸しもしないことだろう。

 実際、その時自分の口から出た言葉に、彼自身驚いていた。

 当代の皇后。

 当代――― 七代目の皇帝には、夫人は何人も居ても、皇后は居ない。

 皇太子を生んだ女性が居ないからだ、とは彼も聞いている。そうだろうな、とも思っていた。皇太子を生むこと自体が、その女性を最も高い地位にするのだ、と。

 そして、現在の皇太后の様に、長い時間を生きていても、若くみずみずしいままの身体を保つことのできる存在になるのだ、と。

 だがナギの言うことは違っていた。


「皇太子を生む女が皇后なんじゃない」


 彼女はそう言った。


「皇太子を孕むことができる女が、皇后にさせられるんだ」


 平然と、彼女は言った。


「神がどうとか、特別な存在とか、そんなお偉いものではないんだ。ただ単に、皇帝という化け物を、その身体にたまたま宿すことができる女は、その化け物を十月十日の間、その身体の中に置いておける身体に、変えられるんだ。その孕んだものによって」


 そして彼女はふらりと指を立てた。


「つまりは、あの方もそうだ、ということさ」


 その言い方は、自分の敬愛なる皇太后を侮辱している様に、思えもした。だがユカリは不思議とその時、怒る気にはならなかった。

 代わってその口から漏れたのは、こんな質問だった。


「それじゃナギ、あなたは次の皇帝陛下を…… 宿したというのか? じゃあ、その方は今何処に居るというんだ?」

「いないさ」


 彼女は短く答えた。


「いないって」

「『春の家』に居たと言ったろう? たまたま来た客に仕込まれた種がたまたま芽を出した場合、そういう場所ではどうすると思う?」

 はっ、と彼は息を呑んだ。まさか。

「それじゃナギ、もう……」

「そのまさかさ」


 そんな馬鹿な、と彼は思わずつぶやいていた。そんなおそれ多いことが。


「でもそういうことなんだよ、ユカリ。だが私の身体は、既に変わり初めていた。私が十四の時だ。―――二十年も前のことだよ」


 思わず彼は足し算をしていた。


「でも、あなたは十四のままではないじゃないか」

「あの方の様に、きっちりと宿したものを産み落とすまで、それが居た訳ではないから、不完全だったんだろうな。私は十年に一つくらいの割合で歳はとっていくらしい。中途半端なものだ」


 くっ、と彼女は笑った。


「私を、気味悪いと思うか? ユカリ」


 彼は黙った。


「私だったら、こんな生き物は、気持ち悪いと思うよ。実際、それを知った時には、冗談じゃない、と思った。カラ・ハンに居た頃だ」

「鏡を」

「そう。叩き割った。私自身も知らない私の正体を、ご丁寧に教えて下さった方々がいらして。わざわざ人を死ぬかと思うような目に合わせて、ほら見ろこれが現実だ、と突き付けた」

「どんな風に……」

「聞きたいか?」


 彼はうなづいた。


「ここをな」


 彼女はあまり大きくはない胸の、左側をぐっと持ち上げる。


「短刀で、思い切り貫かれたのさ」

「それでは、死んでしまう……」

「それで死なないから、化け物なのさ。聞いたことはあるだろう? 皇帝陛下は、どんな敵に対しても勇敢で、決して傷つくことはなく無敵で、というくんだり」


 それは聞いたことがある。歴史の講義の中で。


「あれもまた、間違いじゃないんだ。どんな人間でも、傷を受けたら、自然に治ろうとするだろう?」

「ああ」

「あれが、普通の人間より異様に強いんだ。何故だと思う?」

「……何故?」

「歴史はどんな風に言っている? そういう化け物が、皇帝だ、ということは。化け物は、いつからそうなったんだ?」

「まさか」


 彼は少しの間ためらってから、言った。


「『落ちてきた場所』が関係して?」


 そうだ、とナギは言った。


   *


 要するに自分達は、その「落ちてきた場所」を探しに回っているのだ、ということが、彼にはようやく判ったのである。

 彼らは現在、大陸横断列車に揺られ、遠い東海に面した都市へと向かっていた。

 東の終点である海南市までは、ただ乗っているだけで四日掛かる。しかし二等の個室を取った彼らは、乗ってからというもの、ひどく言葉少なだった。

 ナギの方から話しかけるということは、必要の無い限り殆ど無かった。

 自身の素性や過去を話したことを後悔しているのか、と思いもしたが、そうでもないらしい。元々よほど気を許している状態ではないと、無口なのだ、と彼も気付いた。

 そしてまた、ユカリ自身、自分の中で、彼女の話をまとめ直すのには時間が必要だった。

 実際、混乱はしていた。あまりにも、一度に新しいことが、身体にも頭にも襲いかかってきたので、なかなか収拾がつかない。

 だが何かしら自分の中で、それらをとりまとめ納得しようという動きが見えたのも事実だった。それは何か背を押す風にも似て、首筋に微かに寒さを覚えはしたものの、何処かすがすがしさすら感じさせるものであった。

 車窓から入り込んでくる日射しと、空の色が次第に明るいものになっていくせいもあったかもしれない。空の青は、北の地方の濃い色から、何処か浮き立つ様な明るさを増してくる。光も強くなり、温みを増してくる。

 車窓から眺める景色の中には、緑の木々や、白い塗り壁が見えてくる。


「ナギは……」


 そんな明るい日射しに誘われたのであろうか、彼はつい口を開いていた。


「何だ?」


 ぶっきらぼうだが、変わらない調子がそこにはあった。自分のあれだけの秘密を話したとは思えないほど、その口調は変わらない。


「ナギは、海を見たことがあるんだっけ?」

「ああ」


 彼女は短く答える。だが意外にもそれだけでは終わらなかった。


「我々が向かおうとする海南市に、昔少しの間、住んでいた」

「住んでいた?」

「まあ海南市はそのまま海に面している訳ではないが…… それでも近いことは近かったから、私は時々自分で休みと決めた日を作ると、出かけたことはある。あれは、面白い場所だ。ユカリは見たことが無いのだったな」

「無いけど。湖とはどう違うのだろう?」

「湖は、いくら大きくても、向こう側が見えるだろう? 遠い山や、街が見える。だが、海は、そうではない。海は向こう側が見えない」

「それはたとえば、この平地みたいなもの?」


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