「まあまあまあまあ、本当に学生さんになっちゃって。見違えちまったよ」
そして近づくと、女将は彼女の肩から腕やらを両手でぽんぽんとはたいた。
「まあまあ本当によく似合う。けどあんた、中等学校の歳だったかね?」
「遅れているから、特別に入れてもらったんだ」
あっさりと彼女はそう言ってのける。それを信じたのか、女将はほぉとかへぇ、とかいう声を繰り返した。その間も、新聞を読んでいた男は、何だかなあ、という顔をしたままで、椅子に掛けたまま、腕を組んでいる。
「……で何だい突然こんなところへ。そんな目立つ格好で来るところじゃないだろう?」
「この服は結構便利なんだ」
ナギは短く、ユカリに言ったのと同じことを言った。だが彼に言ったのとは違って、それ以上の説明はしなかった。
「それより、ちょっと頼みがあって」
「頼み? わざわざうちに聞く様なことかい? そんな、官立の学校に行ける様な身分になったお嬢さんが」
男はやや皮肉げに声を張り上げた。
「私は別にお嬢さんになった訳じゃないさ。お嬢さんについているだけだ。まあそれはいいが、親爺、アージェンが沈んだあたりの、詳しい位置とか判らないかな」
「アージェンの?」
女将は眉を寄せる。
「彼女を、探したいんだ」
「馬鹿なことを言うんじゃない」
「本気だ私は。資金はあるんだ。引き上げるために人手や機械が必要だったら、取り寄せる。ただ、彼女が船を出して、沈んだとされたあたり、をちゃんと知りたいんだ」
「ナギちゃんあんたは、時々突拍子も無いことを言う子だとは思ったけれど、また今度はとびきりだね。見つからないよ、あの子は」
「それはまだ、やってみなくては判らないでしょう?」
「お前は海の怖さを知らないんだ」
ばさ、と今度こそ男は新聞を畳んだ。
「アージェンは、あの時死にに出たんだ。今更探してどうする? まさかお前、あれが生きてるなんて思ってはいないだろうな?」
「まさか。生きているなんて思ってはいない。だけど、誰もいない海の底で眠ったままなんていうのはあまりにも可哀想だ。せめて地上できちんと葬ってあげたいと思うのは当然じゃないか?」
「あんたねえ、それはいいけれど、海なんて、そんなところをどうこうするためのお金は、何処から出ているんだい? こんな家のあたしらが言っちゃなんだが、海を洗い出そうなんて、よっぽどのお金が要るんだよ?」
「じゃあ白状しましょうか? 実は、私がついているホロベシ男爵家のご主人が、やがて東海航路線を開くらしいんで、調査に乗り出そうってことなんだ」
ひえっ、と女将の口から息を呑む声がする。
「何あんた、ホロベシ男爵さまの所に居るのかい?」
「ちょっとしたご縁って奴でね。お嬢さんと一緒に学校に行ってるんだ。会社の方に任せると、そんなとんでもない計画が、何処からどう漏れるか判らない。だから私の様なちょっと見には判らない女が動くんだったら、調査も秘密にできるだろうってことなんだ」
「何だね。じゃあアージェンのことは、口実かい?」
何故か少しがっかりした様に、女将は言う。ナギはそれに首を横に振った。
「口実はそっち。私の目的は、あくまでアージェンの遺体を見つけだしたいということだ。向こうの目的をちょっと利用させてもらおうと思うんだ。だったらどうかな? 女将、協力を頼めないかな?」
ふむ、と女将も腕を組み、考え込む。
「けどなイラ・ナギ、男爵様はちぃと前に事故で亡くなったとか新聞に出ていなかったか?」
「本当かい?」
ナギが微かに眉を動かすのをユカリは見た。
「ええそれは本当。だけど、その計画のことは前々から言われていたし、私がその件を頼まれているのも本当なんだ。嘘だと思ったら、男爵家の執事にでも聞いてみればいい」
「ふん」
男は言葉と鼻息を一度に吐き出した。
「どうだろう?」
「……あたしはいいがね。ところでナギちゃん、今夜は何処かに泊まっているのかい?」
「いや、まだ」
「だったら泊まってくがいい。ちょっとあたしも、地図が何処にあるのか忘れちまった。そこのお兄さんは、別々がいいのかい?」
「ありがとう。でも一緒でいい」
「ふうん」
とうなづくと、女将はにやにやとユカリに向かって笑い掛けた。
「こいつに女を教えようとか変なことを考えるんじゃないぞ、女将、これは私のだ」
「なるほどね」
かかかか、と女将は笑った。