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第113話 暗い海辺

「はいご苦労さま」


 そんな言葉を聞くか聞かずか、というぐらいに、車の扉は閉ざされた。

 三人を降ろすと、自動車の運転手は少し多めにもらった代金にも何も言わずに、いちもくさんにその場から離れていった。


「……やだねえ、何か悪いものでも見たかのように」


 コヴァンは腰に手を当てると、あきれた様に言う。どう見ても自分たちは悪いものだと思うのだが、とユカリは考えるが、ナギもまた何も気にしていない様に見えるので、何も言わなかった。

 それよりも、彼の関心は、やはり前方に広がる海にあった。運転手は三人を、車が通ることができるぎりぎりの道まで乗せてきてはくれた。彼らが歩く地面は、既に砂混じりのものなのだ。

 既に辺りは暗く、人里離れたこの場所には、灯りの一つも無い。月明かりはあるので、踏み分けられる道の存在は判るが、足下の石の見分けはつかない程である。

 ちょっと待ってくれ、と言ってコヴァンは薬カバンの中から、小型のランプを取り出した。小型と言っても、燃料が何を使っているのか、ひどく明るい。


「ありがたい」

「なあに、薬品の調合に灯りが無かったら危険だし」


 確かにそうだった。調合しても、取り扱いが非常に危険なものなのだ。灯りが無ければ手も足も出ないだろう。


「それでナギ、海にどうやって出るつもり?」

「船は必要だな。だけど、アージェンの乗った程度でいいんだ」

「アージェンっていうと、数年前に亡くなった娘だね?」

「知っているのか?」

「結構あの事件は有名だったからね。そう、私はお嬢ちゃんの姿も時々見かけていたけど」

「ではお嬢ちゃんという歳ではないことくらい知っているだろう?」

「見かけがお嬢ちゃんなら、お嬢ちゃんなのよ」


 ナギは黙って肩をすくめた。


「要するに、手漕ぎの船で充分、ってことなんだよね?」

 コヴァンはそう結論を急いだ。そうだ、とナギは答える。

「この辺りは、ちょっと出れば、私の探しているものは見つかると思うんだが」

「だけどナギ、それは海の上に浮いている訳じゃないんだろう?」

「わからん」


 ナギは腕を組んできっぱりと言う。


「わからん、ってあなた」

「気配は、あるんだ」

「気配、って…… 俺はそんなもの感じないけど」

「そんなものがあるんですかね?」


 男達は顔を見合わせた。


「気配と言うか…… ああ、そうだな。例えばユカリ、あなたは背後から敵が襲ってきたりする時に、何か感じることはないか?」

「……襲って…… 殺気の様なもの、ってことか?」

「それとも、誰もいない墓地で感じる何か、のほうですかね?」

「どっちも、近いな」


 ナギは歩きながらあちこちを見渡した。


「あれは、船に見えるが」

「船というよりは、小舟だよね」


 海岸に一本杭が打ち据えてあった。そこに縛られた綱の向こうに……小さな船が、確かにあった。


「ほら、あの縄は長い奴を、上の方でぐるぐる巻きにしているんだけど、見える?」


 コヴァンは灯りを掲げる。ああ、と二人はうなづいた。


「あれはたぶんかなり長いはずだよ」

「何故だ?」

「お嬢ちゃんは聞いたことないかな? 一応海だし、ここいらはこうやって人の足が入りやすいところだから、海草とかを採るにはいい場所なんだ」

「そういえば、向こうに何か干すための場所もあったな」

「やけに潮の匂いがきついと思ったら」


 そう、とコヴァンはうなづく。


「だから、そのための船。この縄を一杯にのばした範囲までが、出ても安全、ということなんでしょ」

「なるほど」


 ナギは感心したようにうなづく。そしてそのまま、その船へと近づいていった。ユカリは慌ててその後を追う。


「ナギ! どうするの!」

「行って来る。アレを取って来なくてはならないからな。だから待っていてくれないか?」

「待って、って……ナギ、あなた」

「私は大丈夫だ。だがあなたまで大丈夫とは限らないだろう」


 ユカリは首を横に振った。


「俺は、あなたを手助けするように、と頼まれてるんだ」


 杭に巻かれた縄を解く手を止め、彼女はユカリの顔を見上げた。ちょうど月明かりが彼女の顔を彼の目にはっきりと映し出す。


「なーに見つめ合ってるの、青少年」


 緊張を一度に崩す勢いで、コヴァンは声を張り上げた。


「行きたいなら行かせてやればいいじゃない。二人くらい乗れるでしょう。待つのは私が待つけれど?」

「そう彼も言ってることだし」

「あなたなあ……」


 ナギは苦笑する。

 実際、何が起こるのかユカリにはさっぱり判らなかった。それにナギが自分は大丈夫、と言ったところで、それでも自分は彼女の手助けをするために来たのだし……

 することに、自分で決めたのである。

だとしたら、ナギがどう言おうと、彼女が危険になりそうだったら、少しでもそばに居て何かできれば、と彼は思わずには居られないのだ。


「ではコヴァン、薬品を調合して待っていてほしい」

「いいけど。だけど調合したら、すぐにでも使わないと危険だよ」


 コヴァンはカバンの中から何か小さいものを出して、ナギに手渡した。


「何だ?」

「これで合図して。そこを押すと、勝手に点火する」


 言われた通りに、ぐっとナギは渡された小さな箱状のものの突き出た部分を押した。するとぼっ、と音がして、火がついた。


「なかなかこれは便利だ」

「だろう? 連合ではこういういいものがあるんだよ」

「では今度、何処ぞのどら息子にねだっておこう」


 ナギはそれをユカリに渡した。

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