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第3話 ハルヴァスでの出会い

「う……」


 光に包まれていた零夜は、突然の衝撃で目を覚ました。顔に冷たい風が吹きつけ、耳に響くのは遠くの咆哮。辺りを見回すと、そこは見知らぬ広大な自然が広がっていた。空には翼を広げたドラゴンとロック鳥が飛び交い、鋭い爪が陽光を反射している。遠くには煙を上げる西洋風の街並み。まるでファンタジー世界そのものだ。


「これってもしかして……異世界転移なのか!?」


 零夜が驚きの表情で周囲を見渡すと、地面に倒れていた倫子と日和も目を覚ました。二人は茫然と立ち上がり、目の前の光景に息を呑む。信じがたいが、ここが異世界であることは間違いない。


「凄い……夢じゃないみたい……」

「小説やアニメで見たけど、こんな世界が本当に存在するなんて……」


 日和の声はかすれ、現実離れした景色に呆然としてしまう。倫子も見慣れない世界に放り出された恐怖と興奮が包んでいて、辺りを見回すしかなかった。三人はその非現実的な美しさに心を奪われつつも、足元の土が現実の重さを伝えているのだ。


「恐らくこの珠の光によって、俺たちは異世界転移したに違いないです。こうなると元の世界に戻る方法も見つからないでしょう」


 零夜が冷静に言うと、倫子と日和の顔が一瞬で青ざめた。突然の異世界転移。元の世界に戻れないと知れば、プロレスやアイドル活動ができないどころか、一生この危険な世界で生きることになる。その非現実的な事態が、ようやく実感として二人に襲いかかってきたのだ。


「そんなん嫌や! ウチ、元の世界に帰りたい!」

「私だって! アイドル活動もあるのに、どうすれば良いのよ!」


 倫子と日和は抱き合って泣き叫んでしまう。汗と努力で築いたキャリアが、この異世界で無意味になるなんて耐えられない。涙が頬を伝い、地面に落ちる音さえ聞こえそうなほど、静寂がその場を支配した。

 零夜は唇を噛み、考え込んだ。このまま立ち尽くしていても状況は変わらない。彼の視線は遠くの平原——ハルヴァス、ジュライ平原——を捉えた。草木が揺れ、モンスターの気配が漂う危険な場所だ。冷静さを保ちつつも、彼の胸には仲間を守らねばならないという責任感が重くのしかかっていた。


「ともかく先に急ぎま……ん?」


 倫子と日和を促そうとした瞬間、零夜の視界に異様な影が飛び込んできた。草むらに倒れた少女。ピンクの髪が風に揺れ、袖なしチャイナ服と黒いカンフーパンツ風ジーンズが目を引く。猫耳がピンと立ち、尻尾が弱々しく垂れ下がる。18歳ほどの獣人だ。


「おい、大丈夫か!?」


 零夜が叫び、倫子と日和も慌てて駆け寄る。少女のお腹が「ぐーっ」と鳴り、三人は思わず顔を見合わせた。緊迫した空気が一瞬緩み、零夜の唇に微かな笑みが浮かんだ。こんな状況でも、空腹という人間らしい一面が垣間見えたことが、妙に安心感を与えた。


「……お腹、すいたみたい……バカね、こんなとこで倒れてる私を笑う気!?」


 少女は目を細め、ツンと顔を背けた。素直になれない性格が、その仕草から滲み出ている。だが、その瞳の奥には疲労と孤独が宿っていた。零夜は彼女の態度に苛立ちよりも、共感に近いものを感じた。自分たちもまた、この世界で彷徨う者同士なのだから。


「しょうがない。ほら、これでも食べときな」


 零夜は鞄から巨大なクッキーを取り出した。「マジカルクッキー」の「ジャンボチョコチップクッキー」。チョコの甘い香りが漂い、手に持つだけでずっしり重い一品だ。クッキーを差し出すその手には、仲間を支えたいという無意識の優しさが込められていた。


「零夜君。そのクッキー、でかすぎじゃない?」


 倫子が呆れ顔で言う。こんな巨大クッキーを常備するなんて、零夜の甘党っぷりは筋金入りだ。少女は一瞬戸惑ったが、勢いよくクッキーに噛みつき、猫耳がピクピク、尻尾が嬉しそうに揺れた。彼女の表情には、飢えが満たされる喜びと、素直にそれを認められない葛藤が混在していた。


「……ふん、こんなデカいクッキー、食べなきゃ損ってだけよ!」

「嘘!? 食いついちゃった!」

「相当お腹空いてたんだね……」


 倫子が目を丸くし、日和が苦笑する。少女はツンと横を向いて誤魔化した。零夜がさらに鞄からお茶を差し出すと、彼女はそれを受け取り、ゴクッと飲んで一息ついた。


「……助かったわ! 悪鬼のモンスターから逃げ回っていて、さっき食べ物が底をついて、もう死ぬかと思ったわ……ま、君たちのおかげってだけよ、感謝なんてしないからね!」


 ツンとした態度とは裏腹に、尻尾がそっと揺れ、猫耳が微かに赤らむ。そのギャップに零夜が小さく笑った。彼は彼女の強がりを見抜きつつ、その裏にある脆さを感じ取っていた。彼女もまた、この過酷な世界で必死に生きてきたのだろう。


「素直じゃないな……ん? 左手首にバングルが付いてるぞ」

「本当だ! ウチらと同じやん!」

「まさか……仲間が増えたの!?」


 少女の左手首に輝くバングル。白い珠が埋め込まれ、「光」の文字が浮かんでいる。零夜たちの手首にも、同じく神秘的なバングルが光っていた。彼らの視線が一斉に少女に集中し、心臓が再び高鳴った。この偶然は、ただの偶然ではない——そんな予感が三人を包んだ。


「ええ。私もいつの間にかはめられていたからね。私はアイリン。ハルヴァス出身のモンクで、光の珠を持つわ」

「そうだったのか。俺は東零夜。闇の珠を持ってる」

「私は藍原倫子。水の珠を持っているの」

「私は有原日和。雷の珠を持ってるけど、アイリンも悪鬼の連中に襲われていたの?」


 自己紹介を終え、零夜たちはアイリンに尋ねた。彼女が悪鬼に追われていた理由が気になる。アイリンは俯き、寂しげな瞳で語り始めた。


「私はクローバールの街のギルドに所属してて、S級格闘家として活動してたんだから。2日前に仲間とクエストに出かけた帰り道、悪鬼の軍勢が襲いかかってきたのよ。ったく、厄介な連中だったわ」


 アイリンの声に怒りが滲む。耳をピクピク動かし、零夜たちの真剣な表情を見て、少しだけ安心したようだ。だが、その瞳の奥には深い悲しみが沈んでいた。彼女は拳を握り、爪が掌に食い込むほど力を込めた。


「剣士のゴドムは殺されちゃって、魔術師のベティと僧侶のメディは悪鬼のモンスターたちに捕まった。私は奴らから逃げ回りながら隠れていたし、散々な目に遭ったんだから!」


 アイリンの拳が震えた。彼女の心には、仲間を失った無力感と、自分だけ生き残った罪悪感が渦巻いていた。獣人の鋭い嗅覚で食料をかき集め、必死に生き延びてきたその日々が、彼女の精神をすり減らしていたのだ。


「仲間は全滅で、私だけ生き残って……ったく、なんでこんな目に遭うわけ!?」


 涙が溢れそうになるのを堪え、アイリンは顔を背けた。「泣いてなんかない!」と言わんばかりの強がりだ。だが、その声は震え、喉が詰まる音が隠せなかった。倫子がそっと近づき、アイリンを抱き寄せて背中を叩いた。彼女の手には、プロレスラーとしての力強さと優しさが宿っていた。


「元気出して。その気持ち、分かるから」

「そうそう、私たちも悪鬼の戦闘員に襲われたし、その気持ちはよく分かるよ」

「ふん、別に慰めなんか求めてないわよ」


 倫子と日和の優しさに、アイリンは鼻を鳴らしつつ涙を拭った。彼女の心は、少しだけ軽くなった。強がりながらも、誰かに寄りかかりたい気持ちが抑えきれなかったのだ。


「あなたたちも同じ目に遭ってたなんてね……でもさ、私たちが襲われなかったのは、このバングルのせいじゃないかって思うわけ。まぁ、偶然かもしれないけど、ただの飾りじゃないっぽいわね」


 アイリンはバングルをじっと見つめた。獣人の勘が、それが特別な力を持つと告げている。外そうとしても動かず、まるで身体の一部だ。


「言われてみれば、戦闘員が逃げ出した時も妙だったな。何か秘密があるのかも……」

「まぁ、私には関係ないけどね」


 零夜が呟き、アイリンは無関心を装う。全員が考え込む中、平原に不穏な風が吹き抜けた。そして――。



「そのバングルのことだが……それは、タマズサを倒せる戦士たちの証だ。君たちは選ばれた新八犬士なのだよ!」



 低い声が響き、零夜たちは息を呑んだ。アイリンが耳を立て、鋭い目で周囲を睨む。


「……は? 今の声、どこからよ?」


 草むらがガサリと動き、小型のフェンリル――ヤツフサ――が姿を現した。白色の毛並みが陽光に輝き、目に宿る知性が異様な雰囲気を放つ。


「ちょっと待って、もしかしてアンタが喋ったの?」

「その通り。俺はヤツフサ。女神フセヒメの使いであり、お前たち新八犬士のサポートを務めることになった」

「「「新八犬士!?」」」

「何!? 私がそんなのに選ばれるわけないでしょ!」


 ヤツフサの言葉に、零夜たちは目を丸くした。アイリンは声を荒げつつも、内心では複雑な感情が渦巻いていた。仲間を失った痛み、新たな仲間との出会い、そして突然突きつけられた使命——。遠くでドラゴンが咆哮を上げ、平原に緊張が走る。この出会いが彼らの運命を変えることを、今はヤツフサだけが知っていた。

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