お風呂からあがった私はのぼせた身体を冷ますため、お気に入りの場所である縁側に腰をおろした。
風が体を撫でていき、のぼせた体を冷やしていく。
何気なく空を見上げると、ほんのりと明るい空に、一番星が光り輝いているのが見える。
「お嬢、お水をどうぞ」
私の目の前に、そっとコップが差し出される。
振り向くと、優しい眼差しを向ける龍と目が合った。
欲しいと思うものを先回りして用意してくれる龍。
こういうところも、当たり前で何も思っていなかったけど、本当にありがたいことなんだよね。としみじみ感じる。
「ありがと」
龍からコップを受け取ると、私は水を一気に飲み干す。
のぼせたせいか、結構喉が渇いていたらしい。
「もう一杯持ってきましょうか? 今日はいつもより喉が渇いておられるようですね」
「え、ええ。そうね、お願い」
「かしこまりました」
水を取りに戻る龍の背中を見つめる。
その大きく
はっ、何を!
やだ、いったい私どうなっちゃったの?
これじゃあ恋する乙女モードの思考みたいじゃない!
私は恥ずかしくなってきて、手で顔を覆い、俯いた。
しばらくして、龍が水を持って戻って来た。
「隣、いいですか?」
「うん……いいよ」
龍はそっと私の隣に腰を下ろす。
さりげなく間を空けて。
これも龍が徹底して守っている私との距離。彼の心遣いが感じられる。
龍が何かを思い出したようにクスッと笑い、私に尋ねてきた。
「先ほど、お風呂で何を叫んでいたのですか?」
「え!? えーと、別に、なんでもいいでしょっ」
私は誤魔化すように、龍からコップを奪い水を飲み干した。
龍のことで悩んでたなんて、言えるわけがない。
私がそっぽ向くと、小さな笑い声が聞こえた。
「お嬢は面白いですね、一緒にいるとあきません」
ん? このフレーズどこかで聞いたような……。
「な、何よ。それ、褒めてる?」
「はい。褒めております」
嬉しそうに笑いながら龍がこちらへ視線を向ける。
ドキッ。
視線が重なった瞬間、心臓が鳴った。
何? 今までそんなことなかったじゃない。
やっぱり私、おかしい。
龍のこと意識しすぎでしょ。
すぐに龍から視線を逸らす。
「お嬢?」
龍が私の顔を覗き込んでくる。
近づく気配に、私は慌てて立ち上がった。
「もう、寝る。おやすみ」
龍に背を向け、逃げるように歩き出した。
「お嬢、辛くありませんか?」
思いもよらないその言葉に、私は立ち止まり振り返る。
龍は静かに立ち上がると、ゆっくりと私に近付いてくる。
そして、触れ合う程の距離からそっと見下ろされた。
彼の背は高く、近くで見つめ合うとどうしても身長差が
私はぐっと顔を上げ、龍のことを見つめた。
すると、彼の切ない表情と揺れる瞳が、私の心を
「私がこのことでとやかく言うのはどうかと思い、ずっと我慢しておりました。
しかし……お嬢が辛そうにしている姿を見るのは、辛いです。
私にできることは、お嬢の本心をお聞きし、心のままを受け止めること。
泣き言や愚痴など、溜まっている感情は私にぶつけてください。溜め込むのはよくありません。
私ならいくらでも受け止めます。何を聞いても受け止めますし、誰にも言いません。私の心に留めます。
好きなだけ私にぶつけてくださって構わないので。
……だから、我慢しないでください」
その真剣な眼差しから、彼の想いがひしひしと伝わってくるようだった。
すごく心配してくれている……それは、きっとヘンリーのこと。
ヘンリーの態度の変化に、私が傷ついていると思っているのだ。
それは確かにそうだが……今悩んでいるのは別のこと。
龍、あなたのことだよ。
私がこれだけ悩んでいるのに、あなたは私のことで悩んでないの?
いったい私のことはどう思っているの?
あなたの気持ちが知りたいよ……。
「どうされました? そんな恐い顔をなさって」
そう言われはっとする。
私、恐い顔してた? い、いかん……。
「……なんでもない。あんたのせいよ」
私が龍をじとっと見つめた。
なんのことか自覚のない龍は、ただ戸惑うだけ。
「は? 私ですか? 私がお嬢に何か失礼をしてしまったのでしょうか?」
急にオロオロと慌て出した龍が、私を心配そうに見つめてくる。
もう、何もわかってないんだから……。
ねえ、龍……あなたは私のこと、どう思ってるの?
前の私と同じで、家族としか思ってない、のかな? 妹みたいなもの?
あなたの気持ちが知りたい。
「お嬢、いったいどうされたのですか?」
龍を見つめたまま動かなくなってしまった私。
その様子に動揺した龍が、目をクルクルと泳がせている。
なんだか……可愛い。
ここら一帯を取り仕切っているヤクザの組の若頭で、たくさんの人たちから恐れられているとは到底思えない。
こんな姿を皆が知ったら、きっと威厳がなくなっちゃうね。
「ふふっ……」
「え? お嬢? なぜ笑うのですか?」
「なんでもないっ」
私は龍に意地悪したくなって、そのまま背を向け歩き出す。
「ちょ、お嬢! 何ですか? 今の笑いはっ」
焦った声で、私のあとを追ってくる龍。
「さあね、自分で考えなさい」
私はそのまま階段を駆け上がり、自分の部屋へ入ると扉を閉めた。
扉の向こうに龍の気配を感じる。
どうしたものかと思案しているに違いない。
私はそっと扉を開け、少しの隙間から龍の様子を覗いた。
「お嬢!」
困った表情の龍が私の顔を見るなり笑顔になった。
「私のことで悩みなさい、おやすみ」
私は無情にも扉を閉める。
扉の向こうから龍の嘆きが聞こえてきていたが、私はそのままベッドに潜り込んだ。
今日は、いろいろあったしなかなか眠れないかと思っていた。しかし、私は龍の声を子守唄にしながら、いつの間にか眠ってしまっていた。
龍には悪いけれど、とても心地よく気持ちのいい眠りだった。