――王城。
この国の王女、ソフィーは淑女らしからぬ早足で廊下を進んでいた。
丁寧に手入れされた、羽根のように軽やかな金髪。
穏やかに弧を描きながらも意志の強さを感じさせる紺碧色の目。
艶やかに、柔らかに。白磁のような肌の中にあってしっかりとその存在を主張する唇。
文句なしの美少女であった。
文句を付ける者がいれば、それはただの嫉妬であろう。
絵本に出てくるような、素敵なお姫様。
花も恥じらう16歳の美少女。
しかしながら。今のソフィーはその美貌を怒りに染めながら王城を闊歩していた。
「まったく! お兄様は何をしていらっしゃるの!? お父様を軟禁しただけでは飽き足らず、近衛騎士団長をクビにするだなんて!」
憤懣やるかたない様子を隠そうともしないソフィー。
そんな彼女に付き従うのは、一人の執事。
執事はまだ年若く、ソフィーと同じか少し年上くらいだろう。少年ではなく青年と呼んでいい年頃だ。
この国では珍しい黒髪。怜悧な目つき。人によっては『クールでカッコイイ』となるだろうし、逆に『なんだか不気味だな』となってもおかしくはなさそうな青年だった。
「姫様。そのように荒れられては……」
執事の青年が真っ当な注意をするが、今のソフィーにとっては火に油だったようだ。
「クルス! これが荒れずにいられましょうか! お父様を軟禁したときは『まぁ、お父様ですし何か考えがあるのでしょう』と考えていましたが……今日の今日まで動く気配がありません! きっと
「も、耄碌って……」
今は王太子が国王代理として振る舞っているが、国王陛下が軟禁状態から脱出して復帰される可能性は非常に高いし、対外的にはまだ陛下が国王なのだ。そんな御方に対して『耄碌』など……いくら実の娘とはいえ……。
「とにかく! ここはお兄様にガツンと言ってやらねばなりませんわ!」
「が、ガツンって……」
王女らしからぬ言葉遣いに顔が青くなる執事の青年――クルスだった。
(あぁ、あの人の悪影響が……)
ソフィーは護衛として近衛師団のアークを指名することが多い。それに関しては騎士の中でも一、二を争う実力者であることと、ソフィーの
クルスが嘆いているうちに王太子の執務室前に到着し、ソフィーは迷うことなく扉を開け放った。
「お兄様! お父様を軟禁するだけでは飽き足らず、ライラまでクビするとは何事ですか!」
いきなり怒鳴り込んできた妹を前にして、しかし王太子は落ち着き払っている。
「やれやれ、そんなことも分からないのか? あのようなバケモノに王族の守りを任せられるはずがないだろう?」
「分かってないのはお兄様ですわ!」
「……なんだと?」
「我が国最大戦力であるライラを! お父様が礼儀を尽くしてやっと国に留めた元勇者を! あんな簡単に放逐してしまうだなんて! バカとしか思えませんわ! ライラが隣国に仕官したらどうするのです!? 我が国の防衛機密を熟知し! 王城の構造まで知り尽くし! 第一騎士団を一人で半壊させたことのある女が! 我が国に攻め込んできたらどうするのです! このアホ! なぜその程度のことが分かりませんの!?」
「な、な、な……!」
真正面からバカだのアホだのと罵られたのは初めてだったのか王太子は顔を青くし――即座に赤く染めた。
「この! 妹だと思って甘やかしていればつけあがりやがって! おい! 騎士共! コイツを別宮に押し込んでおけ!」
「「「はっ!」」」
王太子の命を受けた第一騎士団――現在の王城警備を担当する騎士たちがソフィーを取り囲む。
当然、ソフィーに付いていたクルスは怒り心頭だ。
「貴様ら! 姫様に何をするつもりだ!?」
ソフィーを守るためなら武器の使用も辞さない。そんな覚悟のクルスを止めたのは――他ならぬソフィーであった。
「抑えなさい、クルス」
「しかし!」
先ほど王太子を罵った姿とは打って変わって冷静となったソフィー。怒りが頂点に達して逆に頭が冷えたのか。あるいは――
王太子に向けるあまりにも冷たすぎる視線を見て、クルスは思わず動きを止めてしまう。
そんな彼に対してソフィーが一転して微笑みかけてくる。「よくできました」とばかりに。
――美しい、紺碧の瞳だ。
しかし、その瞳を独占できる男は――クルスではない。
「クルス。一号事案です」
「…………、……承知いたしました」
一礼したクルスに対して満足げに頷いてから、ソフィーは自らを取り囲んだ騎士の中で最も位の高い者に視線をやった。
「別宮ね。お父様もそこにいるのかしら?」
「……そうなりますな」
「そう。では、案内してもらおうかしら」
「承知いたしました。では、こちらへ」
騎士が恭しく一礼してから、ソフィーをエスコートする。別宮……今は使われていない、かつての本宮に向けて。
これから軟禁されるというのにソフィーは恐れず、嘆かず、ひるみもしない。
そんな彼女を見送る人の中に――クルスはいなかった。
一号事案。
――いざというときは近衛騎士団のアークを頼るように。
事前の取り決めにあった指示に従い、すでに執務室をあとにしていたのだ。