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第36話 変化


 何かわたしにできることないかな。

 猫の体はちょっと大きくなった。少しは自由に動けるようになった。

 魔物に襲われて親を失くした子どもたちに、何かできること。


 って言ってもねぇ、猫だしね……。


 何度目かの養護院の訪問。

 エドモンドさんが絵本を読んであげている隙に、わたしは部屋からこっそり抜け出した。


 養護院の建物は古かったが、掃除もされているし補修が必要そうなところもない。

 ちゃんとレイルース様が差配しているんだな。

 渡り廊下から外を見ると、洗濯をしている人たちがいる。

 結構なお年の人たちばかりだ。

 わたしは近づいていき、すぐうしろの草むらからそっと見た。

 洗ったものを入れた桶を、よっこらせと持ち上げる時。

 少しだけ結界を下から張って持ち上げるのを手伝った。

 がっちり持ち上げることもできるけど、いきなり軽くなったら勢い余って転びそうだから、ほんの少しだけ。


「おや、ちょっと楽に持ち上がったね。ワシ若返ったかい」


「何言ってんだい、相変わらずのシワシワ婆だよ」


 となりのおばあさんも桶を持ち上げようとするので、少しだけお手伝い。


「ありゃ! ワッチもスッといったよ! 若返ったわ」


「あんただって白髪婆だわ」

「まぁねぇ。でも、今日は膝が痛いからよかったわ」

「ああ、雨がくるかね」

「この膝の痛みじゃくるね。その前に乾いてくれりゃいいけどねぇ」


 おばあちゃんたちはおしゃべりしながら干し場へ行った。

 もちろんこっそり草むらを歩いてついていくよ。


 物干し台の竿にかける時もお手伝いしようかと思ったけど、なかなか繊細な動きでパンと干しているので、見学だけにした。

 その代わり、おばあちゃんたちがいなくなった後、魔法を使った。


 土に魔法図を描き、トンと前足で踏んで魔力をこめる。

 弱い風魔法と、回転を組み合わせた魔法。微風渦と名付けよう。

 弱い竜巻が物干し竿の下でくるくると回っている。

 そんなに長い時間は保たない。ちょっとだけ込めた魔力がなくなるまで動き続けるだろう。

 雨の前にちゃんと乾くといいのだけど。

 直接じゃないけど、子どもたちのためになるよね。


 そうだ、裏方で魔法を使ってお手伝いしよう。魔法を使うおかしな猫がいるとバレないように、さりげなくちょっとだけ。

 それならできないことはないよね。


 次は調理場に行ってみようかな。

 時間が悪かったのか、誰もいない。

 浄化くらいかけておこうかと思ったけど、この床には描けないか。

 わたしは結界魔法なら魔法図も詠唱もいらないけど、普通の魔法は魔法図を描かないと使えない。


 他の部屋も見たけど、家の中で描けそうな場所はなかった。

 汚れているっていうほどじゃないけど、掃除が行き届いていないところもある。

 あのおばあちゃんふたりだけでこの中の掃除とかもしているなら、それは無理があるというものだ。

 院長も人手が足りないって言っていたし。

 清潔な場所なら病気にもかかりづらいし、かかった時の治りだって早い。

 ベッドが置いてある部屋は特に浄化をかけてあげたいのに。

 人の姿なら詠唱ひとつで解決なのになぁ……。


「ニャゥア(浄化)」


 あ、惜しい気がする。

 音が出せれば、魔法は成る。

 がんばればいけそうな気がした。


「ニョウア」


「ニ”ョウア”」


 ああ、もうちょっと!


「——浄化」


 枷が外れたように解き放たれた音が、部屋を渡る。

 清浄な空気が部屋を満たしていく。


「え……え?」


 落とした視線の先には——手。

 前足じゃない、白い手だった。

 そして肩からさらりと落ちたのは長い銀の髪。


「え…………っ?!」


 とっさに口を押さえた。

 悲鳴が出ないように、両手でぎゅうとふさぐ。


 な、な、なんで?!


 さらに恐ろしいことに、ぼろぼろの服を着ている。

 服といえるかどうかきびしい。服だったものというのが正しい。汚れた灰色の一部に、大聖女の藍色の線が入っている。

 これ、わたしが、死んだ時の服では…………?!


 体はなんの傷もなくすべすべと白く綺麗なのに、服だけが無惨で理解が追いつかない。

 目の前を魔物が群れなして横切っていく様子を思い出した。

 うそでしょ……倒れそう。


 と、とにかくこんな姿でいたらいけない。

 寄付するのに持ってきた中に、大きめの質素なワンピースがあった。ここの子たちが着るには大きいやつ。

 メイドのひとりが太って着れなくなったからって持ってきていたのを見たよ。

 あれ、使わせてもらおう。


 しばらく人の姿になっていなかったせいか、上手く動かない体でよろよろと立ち上がって、さっき見かけた服置き場へ。

 季節外れの服や、大きさが合う子がいなくて出番を待っている服に混ざって、あのワンピースもあった。

 子どもたちの寝室の近くでよかった。ガクガクと上手く動かせないまま、かろうじてまとっていた布を取払い、メイドのお下がりのワンピースを着る。


「ごめんなさい、お借りします!」


 着てから無意識に鏡を探し、近くにあったそれを覗いて絶句した。

 わたしだ……。

 本当にわたしだった。

 大聖女チカ。

 銀色の長い髪、金色の大きな目、小さい鼻、小さい口。

 死ぬ前に全身にあった傷がどこにもない。帝都で陛下に付き従っていた時のようだ。

 でも、少し違うような……。

 驚いて止まっていた息を、ゆっくり吐き出した。


 その時。

 視線がみるみる間に下がった。竜巻の風がほどけるように、満たされていた気が抜けるように、小さくなって————。


「ニャ……?」


 わたしはまた猫に戻っていたのだった。






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