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第45話 ◆惑いの魔法伯


 ベイルラル辺境伯であるレイルースは、机に頬づえをつきながら報告書を眺めた。


 魔獣と魔物の因果関係ははっきりしていないのだが、魔物が増えると魔獣も増えるといわれている。必ずしもそうとは限らないのだが、そういうことが多い。

 魔物がまとう魔の気が、魔獣を活性化させているのではないかと考えられているのだ。

 だから、魔獣が増えたというのはその奥に魔物がいるのではないかと疑うのは当然のことだった。


「——魔物は減ってきたと思っていたのだがな……」


 魔物と違い、魔獣は触れた部分が腐るということがない。

 魔法こそ使ってくるが、生き物だし倒せる。食べることができるものも多い。そう恐れることはない。やはりやっかいなのは魔物である。


 魔獣の報告が多いのは、やはり国の境である東の谷だった。

 町には頑丈な町壁があるから、民家や畑までは守られている。

 ただ大事な産業である山林までは壁で囲めないから、魔物が出るようならその仕事はしばらく休みになるだろう。


 昔、東の谷のあたりは魔物の数が本当にひどかったのだ。レイルースはそのころのことをよく覚えている。それはとても辛い時期だった。

 それに比べたら今は、平和すぎるほどなのだが。


「————一度確認しに行った方がいいかもしれないな」


 報告書を机に置き、レイルースはため息をひとつついた。





 予定通り、町の視察と養護院の慰問へ出た。お供はエドモンドである。

 冒険者ギルドや商工ギルドで、魔物が増えているので気を付けるようにという話と、気がついたことがあれば急ぎで知らせてほしいと伝えておいた。


 自警団には、見回りに行く時は必ず複数人で、無理はしないことと念を押した。

 養護院のとなりでは、学校周りが出来上がり、今はパン工房が建てられている。


「建つのが早いな」


 ネコを抱いて、職人たちが木材を担ぎ込んでいるところを眺めた。

 となりで同じように眺めていたエドモンドが、呆れたように言う。


「それはレイルース様がじゃんじゃんとお金をかけているからでしょう」

「早くパンが欲しかったからな」

「ニャン!」


 ネコは絶対にパンと言っている。

 こんな様子を見せられては、金をどんどん注ぎ込むしかない。


「料理長が言うには、猫にパンはあまりよくないらしいぞ」


 レイルースがそう言うと、ネコはこの世の終わりみたいな顔をして胸元から見上げた。

 かわいそうだが、大変かわいい。

 背中を撫でてやる。


「少しなら食べてもいいらしいが、猫にいいパンを作るからな。待っててくれ」

「ニャ〜」


 安心したように、またまったりとするネコ。

 普通じゃないネコなら、食べ物も普通じゃなくてもいいのかもしれないとは思っているのだが、レイルースは口にしなかった。


 それから養護院の方へ移動する。

 時間が午後だったからか、子どもたちの数が少ない。

 小さい子たちは昼寝をしているのだと、その中では年長そうな子が説明してくれた。


「いつもありがとうございます。ごりょうしゅさま」

「……おゆずりしないごりょーしゅさまだ……」

「……猫ちゃんだっこしてはなさないね……」


 何やらひそひそと言われている気がするが、レイルースは気にせず子どもたちの頭を撫でた。


「しっかり食事をして、病気にならないようにな」

「はーい」


 それから少し院長と話をする。

 学校の話と、魔獣が増えているので気をつけてほしいという話である。


「すぐとなりの学校に兵士が駐在するから、いざという時は頼るように」

「細やかな配慮をありがとうございます」

「なかなかこちらに人手を回せず、任せっぱなしになっていてすまないな」

「とんでもないことです。ご領主様が変わってから、とてもよくしていただいております。よき治世者に恵まれてこの領の者は幸せですよ」


院長がおっとりと笑った。

なかなかこんな風に言われることのないレイルースは少しだけ照れて「しっかり努めよう」と答えた。





 そして、あちこち見て歩く。

 足りないものはないか。

 壊れている場所はないか。

 人手は足りているのか。


「——前に来た時よりも、清潔になっている気がする」

「ああ、そうですね。町の者が手伝いに来ているから、隅々まで手が回るようになったのかもしれません」

「そうか。ありがたい話だ。そういう者にもパンを配れるといいかもしれないな」

「とてもいいと思います。喜ぶでしょう」


 エドモンドが珍しく素直にうれしそうな顔をするので、レイルースもつられて笑ってしまった。


「魔石は足りているのか?」

「大丈夫かと思いますが」


 レイルースはふと、魔石の確認のために水場にある魔導具の魔石投入口を開けてみた。


 ————ふわりと清浄な気が辺りに流れた。


 !?

 二人と一匹がびくりとした。

 レイルースにははっきりと魔法が使われたことがわかったし、エドモンドも目を見開いていた。

 腕の中のネコも固まっている。


「……隊長が魔法を使った……んですよね……?」

「いや、私ではない」


 開けた魔石投入口を覗き込む。

 別段、おかしなものは見当たらない。ごく普通の水を出す魔導具の魔石投入口に見えた。

 しかしよくよく見ると、広げた手のひら大ふたの部分に何が描かれていることに気づく。


 まさか……!


 レイルースは見逃すまいと真剣に傷のような線を見た。

 それは、この国ではほとんど見ることのない、魔法図だった。

 ヴェルニア王国の魔導具にはあるはずの、スイッチの類がない。だというのに、作動した。

 ということは、使用する魔力は魔石ではないということ。

 レイルースが触れて作動したのだから、この身にある魔力を使ったのだろう。

 そして清々しい気が辺りを包んだ。


「——エドモンド、この魔導具を作った者を探せ」

「はっ、承知しました——しかし……」

「どうした?」

「僕はここに何度も来ていますが、こんなことが起こったことは……」

「いつもこの魔石投入口を確認していたのか?」

「いえ、毎回はないですよ。けれども、過去に確認はしています」

「では、これはいつ……」


 レイルースが手元のふたに目を落とすと、エドモンドも見た。

 そして小さくぽつりとつぶやいた。


「黒い汚れ……? ————まさかチカ…………」


 レイルースの胸が音を立てた。


「……今、なんと?」

「……いえ、なんでもありません」


 しかし——と口から出そうになった。

 領主命令を下せる事柄ではないのは、十分承知している。

 しつこく聞き出してしまおうかと思ったのに、ひるんでしまった。

 一度立ち止まってしまうともう動き出せず、時間が経てば経つほど言い出せなくなってしまう。


 一度さざ波のように揺れ始めた気持ちは、出口もなく大きくなっていく。

 自分を落ち着かせるかのように、無意識のうちにレイルースは胸元のふわふわとした銀色の生き物を抱きしめた。


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