僕たちは徒歩で公安に向かっていた。
硬いアスファルトの感触は嫌いだ。
ちなみに渋谷という街も嫌いだ。
人が多いから常に意識を集中させなければならない。
まるでシューティングゲーム。
銃弾を放てないシューティングなんておもしろくないだろ?
だからこうして裏道を歩く。
そして、少し離れた後ろを渋谷ロクも嫌いだ。
理由は分からない。
渋谷という苗字つながりだろうか。
見透かしたような目だろうか。
自分だけが不幸だと思っていそうな態度だろうか。
猫背だろうか。服装だろうか。白い肌?
切りそろえられたボブな黒髪だろうか。
分からないけれど、生理的に嫌いだ。
「ねぇ、車ないの? 歩きたくないんだけど」
けだるい声で問うてくるロク。
僕は後ろも見ずに答えた。
「運転なんて無理。リスクしかないよ。一日に何件事故あるか知ってんの?」
「タクシーとは言わないけど、せめてバス……」
「バスだからと言って油断しちゃいけないよ。死亡事故は……」
歩いている途中、視界がぼやけてきた。
これは……低血圧だからじゃない。
動機が激しくなり、首から肩にかけて痛みが襲う。
苦しい。息ができない。バリバリとしたノイズが頭の中を襲う。
こんなに苦しいのに、僕は今、何故ここにいるんだ?
僕は誰だ? 一瞬で、水の底まで落ちたような感覚だ。
「はぁはぁ」
「息切れ? つか、汗すごいけど」
心配そうな声音が背中にかかる。
電柱が見える。青い空の切れ端が見える。
葉のない枝が落ちている。小さな石が落ちている。
ゴツゴツとしたアスファルトに視線が落ち、僕の汗が一滴、落ちた。
秋の朝だ。
暑さにやられた訳じゃない。
そう、僕はこれのせいで車の運転ができない。
公共機関もなるべく避けたい。
「ここで……待ってて」
僕は冷や汗をぬぐって路地裏に入った。
まず、フルフェイスのヘルメットを脱ぐ。
錠剤を取り出し、少量の水で喉に流し込む。
叩くように壁に手をつき、倒れそうになるのを必死に堪える。
渋谷の汚い空気を吸い込み、長い時間をかけてゆっくりと息を吐く。
ヒーヒーフー。ヒーヒーフー。
これは出産の呼吸だ。
手の震えもおさまった。
ようやく、ノイズが晴れて、静寂が耳に入ってくる。
飲み下したのは、かなり強い麻薬だ。
突発痛が、わずか数分で消えていく。
一息つき、路地裏から出た瞬間。
お迎えしてくれたのは――。
ロクの鉄拳だった。
セコンドも絶賛するであろう素晴らしいストレートパンチは――。
僕の鼻から赤い花を咲かせた。