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第2部 第1章 4

近寄ってモニタを見ると、そこには――。

目隠しされた全裸の中年オヤジが「開花」と書かれた桃尻に花火を突っ込まれている画像が表示されていた。


「うぎゃああああああ! 何これ?」


ロクが指をさしたテキストを読み上げる。

どうやら、都内にある風俗店のSNSアカウントらしい。


「ナナナのやつ、連日夜の店に行きまくっているぜ。毛深い屈強な男を蹴ったり殴ったりするドギツい性癖なご様子で。今月だけで二十六件もアクセスしてる!」

「うわぁ。きっついなー。で、その情報でどうするの? そういう店を張るとか?」


ロクは器用に手の中でシャーペンを回しながら答えた。

様になってて憎たらしい。


「毎日、違う街に行っているし、山のようにある店すべてで待ち伏せするのは不可能でしょ」

「めんどくさいね。何か手があるの?」


シャーペンを机の上に置き、顎に手を置く。

しばらく考えていたロクが、何かを思いついたのか立ち上がった。


「ナナナの性癖にブッ刺さる店を開店させる」

「は?」


ロクは一呼吸置いて椅子に座りなおす。


「別に本当に開く必要はない。ホームページとSNSアカウントがあればいい。つまり、罠を張って来店させる。こっちはやつの履歴を全部見てるんだ。ナナナだけに照準を合わせた最強の風俗店の看板を用意すればいい」

「ほーん」


俺は素直に感心した。

ウサワに違わぬ天才だ。


――が、その名推理は一本の電話でケチがつく。

電話を終えた僕は、ロクのほうを向いた。


「渋谷ロク。キミのバイトはここまでらしい。お疲れ様」

「は?」

「本国から捜査打ち切りの通達だよ。何かの圧力でもかかったんでしょう」

「ふざけんな!」


鬼の形相で立ち上がるロクが喚く。

ま、想定の流れだから準備はしてある。


僕は懐から茶封筒を取り出した。

中身は百万円。


それをチラと見たロクが低い声で唸る。


「金で解決しようなんざ、最低だな!」


抗議するロクに、僕はもう一本取り出した。

合計二百万円。


「……これ以上はもう出ない?」


ロクの質問に呆れながらも頷く。


「ああ」

「よし、手を打とう」


ロクはパンパンの茶封筒二つを受け取り、ルンルン帰っていった。


「……」


金に弱いというのは、事前につかんだ情報通りであり、想定の流れだけれど……。

それを差し引いても、中々に図太いヤツだな。


ブラインドを指でズラし、窓の外を見る。

去っていくロクの背中はスキップで揺れている。


僕はイライラと頭痛を抑えるため、ポケットから出した錠剤を噛んだ。

しばらくして、快感の波が全身を包み込む。


「きくぅ……」


ふらふらと、気持ちよくなりながら……感じる。

世界を感じる。


周囲の物がハッキリ見える。

ふわふわだけどハッキリ見える。


オフィスの棚の傷や、照明のチカチカ。

コーヒーの湯気、机に転がるシャープペンシル。


その細部が、視なくても理解できる。

景色や物体は歪んでいるのに、全部が把握できる。

感覚が研ぎ澄まされ、全能感で叫びだしたい衝動を抑える。


暴れだしたい、踊り狂いたい、むしろ留まりたい。

ただこの感情に、感覚に、憧憬に、無に、浸りたい。


朝は低気圧、昼晩はクスリでふらふらと。


僕の人生はいつもふらふらだ。

どこにたどり着けばいいのか分からない。


漂う船のように。

漂う枯れ葉のように。


でも、ひとつ分かることがある。

僕は、渋谷ロクが嫌いだ。


子悪党のくせに、ちょっと触発されて正義面して。

結局、金になびく少女。


本質は悪人のくせ、体裁だけ取り繕いやがって。

あの少女が心の底から嫌いだ。


嫌いだ、嫌いだ、嫌いだ。

あー、ムカついてきた。


ゴミ箱を蹴飛ばして、か細い変な声が出てしまう。

床に倒れこみ、咳き込んで、何だか泣けてきた。


涙が出てきて止まらない。

情緒不安定。


こんなこと、今までなかったのに。

すべてあの女のせいだ。


嗚呼。

明瞭な思考だからか、ふと、その理由に気づいてしまう。


そうか、僕はもしかしたら――。

渋谷ロクが「姉貴」に似ているから、嫌いなんだ。


僕は姉貴が好きで、大好きで、そして――。


嫌いなんだ。


あぁ、何でこんな単純なことに気づかなかったんだ。


美しくて、何でもできて、それなのに、僕がいないとダメな姉貴。

そんな姉貴が好きだった。大好きだった。


僕はこの世にいていいんだと思えた。

黒い感情。分かっている。


それでも、僕にとって、変わる前の姉貴は眩しすぎた。


太陽は濃い影を落とす。

僕は振り返って、その影を見てうずくまるほど弱くはなかった。


目を閉ざしてでも、立ち向かう勇気はあった。

でも、瞼を透けて見える光が、僕の眼球を焼き続けた。


苦しみ続けた僕が、姉貴の不幸を喜んで何が悪い?

いや、悪い。分かっている。他責することじゃない。


いつしか、弱い姉貴は、どこかにいってしまった。

僕が手を引かないといけない姉貴は、いなくなっていた。


これまでの、強靭で、天才で。

完全無欠で、輝かしい太陽たる「姉貴」が、そこにいた。


大切な人の幸せを願えない濁った僕の目は、やはり影に飲まれていたんだ。

ドラッグの錠剤を噛んだ時の苦みに似たそれは、意識しなければ気づけない。


確かに苦いが、些細なことなのだ。

その屈折、苦みの累積が、渋谷ロクとの出会いによって暴かれた。


他人であり、姉貴に似たキミに出会って、己を自覚してしまった。

そうだ。気づけば単純だ。



僕は僕が嫌いなんだ。



渋谷ロクという「太陽」を嫌悪することで、自分を守ろうとする自分が嫌いだ。


僕は姉貴に置いていかれた。

迷子の子供のように、指をくわえて呆然としている。


そこから一歩も動けない。

そんな情けない「汚物」が僕だ。


キミの目を、行動を、見ていれば分かるよ。

キミは善悪の区別を知った。


まだ歪であっても、まだツボミであっても、目指すべき生きる意味、自己実現を知った。


僕より頭がよくて、僕より運動ができて、僕より顔がよくて、僕より何でもできて、僕より人気者で、僕より料理がうまくて、僕より誰かに優しくて、僕より信念があって、僕より長生きできる。




じゃあ、僕の存在は何なんだ。

ただ真面目なだけの僕は、何の為に息してる?




そんな完全無欠で、完璧なキミに、僕は必要ない。

そんな完全無欠で、完璧な姉貴に、僕は必要ない。


この悲しみも、憂いも、不安も、怒りも、劣等感も。

全部を飲み下せれば、どんなに楽になれるのか。


人間はそうはできていない。

喉元につっかえる尖った骨とともに、生きなければならない。


バタリと、尻餅をついたのを引き金に、現実に引き戻される。

症状が、世界が収束していく。


そうだ、連絡しなきゃ。

僕はスマートフォンを取り出してフラフラと立ち上がる。


クスリはもう切れた。

スマートフォンを肩と頬で挟み、丁寧にゴミを片付け、コールを待つ。


渋谷ロク――。

もう二度と会わないんだから、これ以上、あの少女について考えるのはよそう。


大丈夫、今の僕はフラットだ。

正常で、正しくて、真面目。


仕事に戻れる。

僕は十回目のコールにようやく応えた声の主に言葉を返す。


「姉貴。見事な作戦だったよ。アイツの居場所を割り出せそうだ」


久々の電話の相手は、ナナナ。

そう、紹介しよう。


品川 奈々菜(ナナナ)。

僕の「姉貴」だ。


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