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第2部 第2章 1 品川奈々菜 

虹色のサカナが羽ばたいた。

サカナかと思ったけど、カラスのようだった。


いや、違うハチ?

それも違う。


飛行機――そう、飛行機だ。

よく見ればジェットエンジンやウイングレットまでハッキリ見える。


何故もサカナに見えたのか。


移り行く虹色の光景に「なんですか、これは」とつぶやいてしまう。

心地よい羽ばたきが、鮮烈な光の先に消え、不快な羽音に変わる。


やっぱりハエじゃん。


こんなにハッキリとした輪郭なのに。

どうして見間違えたんだろう。


やがて、そんなことはどうでもよくなる。

強烈なまどろみに似た、愉悦に満ちていくのが分かる。


運命が、扉を叩く音がする。

あぁ、このまま眠りにつけますように。


「姉貴、しっかりしろ!」


光。

まず、光が目に入った。


明るすぎて目を閉じる。

光あれ、だ。


革ソファのギュウと唸る低反発な感触。

眉を寄せたジュウの顔。リビングの天井。


どうやらマイホームらしい。

世界が急にグラリと傾き、私は胃の中をぶちまけた。


ジュウがため息をこぼした。

細かく切られたニンジンとピーマンが、革のソファを華やかに彩る。


「もうドラッグは止めてくれよ……」


絞り出すような声が寝起きの頭にガンガン響く。

アルコールとドラッグで壊れた脳が、少しずつ開かれていく。


「……うるさいですね」


差し出された水で喉を潤し、ジュウの大きな体を払いのける。

かけてくれたのであろう、タオルケットが目の端に映る。


ジュウは日本に残った母親に似ている。

アーモンド形の瞳や真っ黒な髪、顔の特徴だけでない。


過剰なまでに心配性なところがソックリだ。

ぶっきらぼうという意味では、親父にそっくりなのかもしれない。


私たち姉弟が、この地に降り立ったあの日を思い出す。

製薬会社のオーナーである父親の事業に巻き込まれたのだ。


よくも悪くも、このアメリカの地で、私は「真理」に気づいた。

私は――。


ずっと、周囲になじめなかった。

小学、中学と日本の学校でイジめられ、渡米した高校でもイジめられた。


話が通じないのだ。

私は、私の理論に自信があった。


だから、間違いは正す。

その理論は間違っている。


そう伝え、言い合いになる。

頑固者、変り者、変人、プライドが高い。


隣の部屋で、母親が泣いてた。

どうやら、父親に私の話をしているようだ。


聞こえていないとでも思っているのだろうか。

薄壁の向こうの話など、丸聞こえもいいところだ。


私は間違っていない。

世界が間違っている。


私は普通ではない。その自覚はあった。

でも、それは特別なことで、むしろ心地よかった。


変わって見られるようにしていたのかもしれない。

その根幹にどんな感情が潜んでいるのかなど知らず。


アメリカでは、また違う種類の排他と直面した。

ニューヨークのよくある治安の悪い高校だ。


入学直後に消しゴムを投げられ、教科書を目の前で破かれた。

あからさまな人種差別。


誰かが「チャイニーズ」と嗤った。


勉強にも興味が持てず、最下位付近をウロウロ。

話をすれば「変人」と思われるのは、アメリカでも変わらない。


風呂場で白粉を塗った父親に首を絞められて殺される夢を見る。

恐ろしく広い建造物の中で誰かに追われる夢を見る。

白黒の風景、海の中に奇妙な巨大魚が口を開けてカタカタと近づいてくる夢を見る。


空を飛ぶ夢。

奇妙で悪い夢ばかり見た。


ストレスによる暴飲暴食で、瞬間的な幸福度と体重だけが増えていった。

そんな中、アリを潰しているときだけが、心休まる瞬間だった。


高校生にもなってアリを潰しているとか笑えるでしょう?

でも、本当に、それくらいしかやることがなかったんだ。


いや、違う。そうじゃない。

この頃から「死に対する憧れ」があったんだ。


そんなに憧れているのであれば――。

マンションの屋上からダイブトゥーブルーすればよかったって?


でも、そうはいかない。

マンションの屋上は施錠されて入れない。


それに――憧れるからこそ、取っておきたいんだ。


私はショートケーキのイチゴを最後に食べる派なのだ。

だけれど、死ぬ瞬間への興味は尽きない。


だから、鮮烈に生きるし、誰かの死を見て妄想する。

甘美な死は、ある種の救いであり、生きるとは、牢獄なのだと。


それはアリだけで事足りた。

私は猫も、犬も殺さない。


必要なのは、死に至る瞬間の「目撃」だ。

その一瞬の変化に、生から死への移ろいに、1から0の刹那に、魅惑されていた。

種類や個体差は関係ない。現象への興味。


だからこそというべきか。

ある日、私はアリを殺していて気づいた。


簡単な真理だ。


何故、こんなとに気づかなかったんだ。

己を恥じた。


そう、もっと鮮烈に生きて、生と死のハザマに飛び込んだほうが、死は濃くなる。

それは、アリだけではない。


私自身も適応されるのだ、と。


生を謳歌することこそが、激しい生こそが、爆発的なエネルギーの膨張が、限界までチキンレースした先にある臨界点こそが、憧憬たる死の瞬間、深淵に溶け込む瞬間、ゼロに至る瞬間を色濃く彩り、より巨大なホワイトホールに転換する。


どう生きるのか。

そう、どう生きるのか。


キミたちは、どう生きるのか。

そここそが、大事なのだ。


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