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第64話 三姉妹の希望に満ちた未来に向かって──。

****


「──本日は私どもの質問に答えていただき、誠にありがとうございます」

「いえいえ恐縮です。これも私のお仕事ですので」


 ──季節は3月。

 街外れにある喫茶店ヴァンベールで、二人のお客が向かい合わせに、四角い木のテーブルに座り、温かいコーヒーを嗜むために小休止をとる。

 お互いに小綺麗な正装をした二人の男女は、仲の良さそうな関係を保ち、男性はよく磨かれたノートパソコン、女性は古びたメモ帳を見ていた。


「しかし、大変興味深いお話ですね。催眠術という、近年あまり触れることのなかった部分について、お詳しく教えて下さって」

「まあ、知人にそういう真似事をしている方がいまして。ちょっとした昔話になりましたけど」


 男性が眼鏡を指で支えながら、女性に感謝を述べると、女性がメモ帳から目を離し、ふと物思いにふける。


「へえー、日頃から魔女っ子などのファンタジー系を描いてるわりには、リアリティがありますね」

「そうでしょうか」

「はい。その系統を武器にすれば、今以上に素晴らしいものができるかもしれませんのに……」


 何らかの物語を創作してる女性に、男性がある提案をするが、女性の方は乗り気ではないようだ。


「なるべくなら私は自身の作品に、実話などは織り交ぜたくないのです」

「……と言いますと?」


 ──甘党な私は、ガムシロとミルクを入れたコーヒーを軽く口に含んで渇きをいやし、男性に想いを告げる。


「世間では色々な人が、私の本を手に取っているではないですか」

「ええ、今では樹節きせつ様のシリーズは大人気で、続編や新作が出るたびに、毎回重版がかかるほどですよね」

「はい、ありがとうございます」


 私こと、樹節が描いてきたシリーズは、投稿当初は評判はなかったが、ファンのSNSなどの拡散により、徐々に作品に人気が出て、その勢いで人気作家へと上りつめた。


 今では百万部も作品が売れ、売れっ子作家の仲間入りといった所だけど、現状は厳しく、このようなメディアなどの支えがないと、まだ作家一本では食べていけない感じだ。


「本来、漫画というものは、読む人に夢や希望など、前向きで頑張れるイメージを与えるものです」

「なるほど。心の清涼飲料水のようなものですね」


 漫画家というものは言葉に加え、絵柄で読者を惹き付けるために、常に色んな努力をしている。

 多少、文章構成が上手くなくても、イラストや面白い誘い文句で、読者の心を掴めば良いのだ。


「例えば、その飲み物に、もしも毒が混入されていたとします」

「はははっ、今度はミステリーのジャンルでも思い付きましたか。では小耳に挟んだつもりで……」

「あいたたた!?」


 私は男性の悪ふざけに腹を立てて、テーブル下で対象者の泣き所を思いっきりつねる。


「往生際が悪い男ですね。人の話は最後まできちんと聞くものですよ。それがマスコミの仕事でしょう?」

「イタタ……会話を録音してるのも関わらず、これですよ。本当にあなたといると、飽きがこないで……オイタタタ!?」

「余程、地獄の宣告を受けたいようですね」


 私の漫画をテーマに取材している記者に、先制攻撃を仕掛ける。

 私は何者にも指図されない、自由な漫画を作りたいんだ。

 録音など知ったことか。


「つっ、つねった後で言わないで下さいよ」

「悪いね、私の悪い癖でさ、生前の旦那のように本心をぶつけてしまうのよ」

「はい、定職にはついていませんでしたが、常に真っ直ぐなお方でしたね」


 素敵な旦那像を語る、記者のセンスも悪くはないが……。


「私どもとしては、今後もより良い交流を含めまして、是非とも我が社の……んっ?」


 窓の外で一人の黒いハットを被った年配と目が合い、その男性が走り去る姿を目の当たりにした私。

 最早もはや、逃げた男性の方が気になり、店内で落ち着いて、取材を受ける集中さは無くなっていた。


「あ、アイツ!?」

「えっ、どうかしましたか、春子はるこさん?」

「何でもありません。ちょっと懐かしい友人が通りすがったもので。今日の取材はこの辺で」

「はい、ご近所付き合いも大切ですよね」

「ご会計、私が払っておきますので、記者さんはごゆっくり」

「ありがとうございます。ごちそうさまでした」


 春子と呼ばれた女性は、赤いブランドものの手提げバッグを肩にかけて、急いで会計を済ませる。


 外に店を出た頃には、例の男性は豆粒ほどの大きさとなっており、彼女は見失わないようにハット頭の尾行を始めた──。


****


「──フフッ、いつ吸ってもシャバの空気はいいもんだ。すうー……」


 ──黒いトレンチコートのキツい襟もとを緩め、ビルの屋上からの空に手を上げ、大きく息をする一人の男性。

 元が厳つい顔のせいか、ハットを脱いだ坊主頭もさまになっている。


『バアーン!』


 男性が煙草を一服し、風の流れに身を任せていると、突然、屋上の赤さびた扉が豪快に開く。

 現れたのは、赤髪のショートな髪型をした樹節春子であった。


「見つけたわよ、神楽坂秋蘭かぐらざかあきら!」

「あははっ。これは春子さん、お早い登場で」

「夫の志貴野しきのを自殺に見せかけて、殺したのは貴方なんでしょ! もう逃げ場はないわよ!」


 乱れた髪のまま、サイズがブカブカなカーキ色のミリタリージャケットを着た春子が、屋上の端の部分へと神楽坂を追いつめる。

 ジャケットのサイズからして、旦那が着ていた男物か。

 神楽坂は唇を僅かに曲げて、すかさず春子との距離を縮める。


「ヒュー、名推理もいいとこだね。それで僕をどうしようと?」

『カチャリ……』

「逃げられないのは、春子さんも一緒じゃないかなあ?」


 神楽坂はポケットから、手の平サイズの白い銃を出して、春子に近寄り、緑のフェンスへと徐々に追いつめる。


「くっ、卑怯者!」

「フフッ。卑怯、秘境、大オッケー。あははははっ!!」

「何がおかしいのよ。このエセ催眠術士」

「いやはや、大いに結構、結構w」


 神楽坂が自慢の経歴を褒められた気がしたのか、面白みのないジョークを交えながら、一人してゲラゲラと下品に笑う。


「誠に遺憾だな。夫のように僕を追いつめても、結局は、こちらから消してしまう運命だとはね」

「くっ、やっぱりそうだったのね……」


 ──私の思い立ては間違っていなかった。

 あの日、私が出張で留守なのを理由にして、何も知らない志貴野を拉致して……。


「じゃあな、これで邪魔立ては完全に消える。今度こそ、秋星あきほは僕のものだ」


 そう、秋星は私と結婚した志貴野に好意を寄せていた。

 ネトラレとまではいかないが、彼の前では一人の女の子として見られたかったのだ。

 この男はそれを見抜いた上で、私の旦那を高速道路で事故死という、亡きものにして……。


「あの世で仲良く暮らせよな、オバサン!」

「し、志貴野……」

「ひゃはははっ、いい顔するじゃねーか。そのままの顔で存分にイケよ。あはははっー!」


 私の頭の中で、志貴野の優しい笑顔が思い浮かぶ。 

 どんな時でも彼は逃げなかった、どんな時でも彼は諦めなかった。

 だったら、残された答えは一つ……。


「しきの……助けてぇぇぇっ!」

「ひゃはははー!」


 神様でも仏様でも、ここらを行き交う通行人でもいい。

 私のこの想いを救ってよ!


『パアーン!!』


 銃口の音と共に風向きが変わった。

 春先なのに、冷たい風が一瞬だけ吹いたのだ。


「あはははは……はっ?」

「……えっ!?」


 床におびただしい量の生きた証が、傍の排水口に流れ込む。


「なっ、何だよコレ……」 

「僕の自慢の胸板が……すうすう……するじゃねーか……ゴホゴホ!」

「か、神楽坂!?」


 神楽坂が驚くのも無理はない。

 彼の左胸に大きな穴が、ぽっかりと開いていたからだ。


 周りに怪しい人影はない。

 遠くからによる、狙撃手の仕業だろうか。

 だったら何のために、この男を……。


「畜生……完璧な……計画だったのに……」

「悔しいな……僕、こんな味気ねえ……廃ビルで死んじまうのか……」

「どうせなら……秋星のひざまくらで……」


 神楽坂が床にうつ伏せとなり、私に汚れた手を伸ばす。

 視線がかすみ、私を秋星と勘違いしているのか。


「……死ぬならキミと一緒が……いいよ、たす……けて……あき……ほ……」

「……」


 そのまま目を開けたままで呼吸が止まり、ムクロとなる神楽坂。


「秋蘭……」


 私は神楽坂の目から流れ出た感情を捉えながらも、彼の前で黙祷を捧げた──。


****


 ──令和5年、3月。


 二月に刑務所から出所し、都内の工場で一ヶ月休むことなく働き、給料日と同時に姿を消した男、神楽坂秋蘭。


 3月13日。

 傍にいた女性の通報で、胸に握り拳ほどの穴を開けた男の変死体が廃ビルの屋上で見つかり、犯行現場を捜査。

 同じく屋上にいた女性は身柄を拘束されたが、DNA鑑定などの結果、直接、男とは関わっていないと判明し、後日、女性は書類送検となった。


 それから男が間借りしていたマンションにて、二つの紙袋の小包が発見された。

 中身は開けた形跡がなく、指紋の採取から、神楽坂秋蘭本人と身元不明の外国人男性のものと一致。


 外国人男性の方は近年まで日本で露店を経営していたようだが、不景気のため、店を畳んでおり、神楽坂秋蘭に関してのめぼしい情報は得られなかった。


 また、神楽坂秋蘭という名前も偽名と分かり、事件の手がかりとなる殺害道具も見つからず、証拠品なども少ないせいか、捜査は難航……。


 早くもこの事件は、令和至上初の迷宮入りの殺害事件と化した──。


****


「──秋星、またここにいたんだ」


 ──簡素な作りの墓石に、彼の好きだった焼酎のカップとおはぎのお供えをしていると、背中越しに声が届く。


美冬みふゆか。もうそんな時間?」

「そうだよ。夏希なつきも、賢司けんじもお腹空かせて待ってるよ」


 軽く墓石に手を合わせ、美冬の元に駆けつけた私は、いつもの質問をしてみることにした。


「今日の晩ご飯はなに?」

「グラタンだよ。秋星好きでしょ」

「うん。チーズはたっぷり入れた?」

「そう言うと思って、業務用のチーズ買ってある」

「うんうん、美冬も中々分かってるじゃない。よしよしw」


 私は人目もはばからず、お利口さんな次女の頭を優しくさする。


「どうかした?」

「……むう、この歳にもなって、頭なでなでは止めてよ」

「あははっ、女の子はいつまで経っても子供のようなものよw」

「初老にもなって何を言ってるんだか……イデデデ!?」


 このサイドテールなおばあちゃんの台詞を借りちゃって悪いけど、一度シメないといけないみたいね。

 もうほっぺた、つねってるけど。


「美冬ちゃん? 後で私のお部屋でじっくりとお説教ね?」

「あひっ……わっ、わはったわよお……」


 仲の良い姉妹が、夜桜が舞い散る公園を歩き出す。

 家路に戻る二人の表情は、初めて出会う樹節家の姉妹と何ら変わらなかった。


 これからも二人は姉妹は、何があろうと、迷わずに歩いていけるだろう。


 三姉妹の希望に満ちた未来に向かって──。


 fin……。

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