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第081話 下駄箱

 9月の下旬、まだまだ残暑が厳しい今日この頃。

 この日はいつになく早くに目が覚め、折角だからいつもより早くに登校してみたくなった。

 同じ学校の生徒を通学路でほとんど見かけない中を登校して下駄箱へ向かうと、そこに見慣れない女子がいた。


 その女子はそこで靴を履き替えるわけでもなく、下駄箱の方に体を向けたまま、手紙と思しきものを手に掴んでそれをじっと見つめていた。

 どちら様でしょうか。彼女の足元に見える内履きの装飾の色が現在の二年生指定の青色なので、俺のいる一年二組所属でないことは確かだ。

 彼女は今俺の内履きが入っている近くに屯っており、内履きを取り出す際の邪魔になっている。

 何とかしてどいてもらおうと思ったが、ここであることに気が付いた。


 今彼女のいる下駄箱は、王子の内履きが入っている場所の近くでもある。

 そして彼女の手には手紙……なんてもう丸っきりベタなものしか心当たりがない。

 そう、彼女は王子宛のラブレターを王子の下駄箱に投函しようとしているのだ。

 そしていざ入れようとしたときに、まだ踏ん切りがつかずここで考え直しているのかもしれない。

 他人の恋愛事情に興味がある人達が見ればさぞニヤニヤするような光景だ。そういう人達にとってはいつまでもそんなヤキモキしている彼女の様子を見守っていたいだろうが、俺としてはこのままだといつまで経っても靴が履き替えられないので、

「あのー、すいませんが少し避けてもらえないでしょうか」

 そう断ってどいてもらうことにした。

 迷惑ではあるが相手は曲がりなりにも二年生の、俺にとっては先輩に当たる人だ。当然敬語ぐらいは使う。


「へ⁉」

 彼女は俺の存在に全く気付かなかったようで、妙な声を上げて俺のいる所へ勢い良く振り向いた。

「え、あ、ご、ゴメンね」

 何とか意味のある言葉を紡ぎ出した彼女はにわかに下駄箱から離れ、早歩きに去ってしまった。

 それまでじーっと見つめていた当の手紙は彼女の手に握られたまま、どこにも置くことなく持ち去っていった。

 あれ、王子に手紙を渡すのが目的じゃないんですか。

 直接手渡せないからわざわざ下級生のクラスの下駄箱までやって来てそこに置いてこうとしたのではないんですか。

 そんなツッコミを心の中で入れていたら、彼女はその手紙を制服のポケットにしまおうとした。

 ところが手元が狂ったのかその手紙はポケットへ入っていかず、彼女の手から離れたままヒラヒラと優雅に舞いつつ廊下の床まで落ちていってしまった。

 彼女はそのことに全く気付かないままその場を離れた。

 ふむ、勇気を振り絞ろうとしたときに見知らぬ下級生から突然話しかけられて相当に焦ったのか。でもあのまま屯してれば、俺じゃなくても他の一年二組の生徒がやって来てたと思うんですが。例えば安達とか。


 さて、俺の目の前には今廊下にポツンと置かれた寂しそうなお手紙がある。これどうしようか。

 まずは手紙の持ち主である彼女に届けるのが一番いいのだが、彼女については所属するクラスを知らない。名札の方もよくは確認してないので名前もわからない。となれば一から調べなければ届けられないが、そこまで俺がする義理はない。

 次の案は王子の下駄箱にぶっ込むこと。こちらについてはどうにも余計なお世話な気がするし、それに手紙の宛先が予想から外れて王子以外の人物だったら頗るややこしい事態になる。

 次にいいのはこのまま放置すること。今繰り広げられた光景も、今目の前に落ちている手紙も全部見なかったことにして靴を履き替えに下駄箱へ戻る選択肢だ。触らぬ神に祟りなしと言うしね。実に俺好みの方針だね。

 結論。このまま手紙を放置する!

 彼女の運が良ければ優しい人に手紙を拾われてすぐに手元に戻るだろうさ。

 拾った人によっては勝手に手紙の中身を読まれて学校の皆に曝されて一生物の思い出を彼女に作ることになるだろうけど、そのときはまあ、お気の毒様ということで。


 方針も決まったところでさあ下駄箱へ踵を返そうとする直前、

「ヤバいヤバい……!」

 小声で「ヤバい」を連呼しながら先程の彼女が戻ってきた。うん、確かにヤバいね。あなたが。

 顔をさっきよりも少し青白くしながら床の方に目を落としつつ足早にしている辺り、さっきの手紙の不在に気付いたんだね。気付いてもらえてよかったね、お手紙君。

 面白いぐらいにテンパっている彼女の様子が面白くてついつい眺めていると、やがて彼女が手紙の落ちているのを発見して「あ!」と叫んだ。

「よかったー」

 そんな独り言を呟きつつ手紙を拾う。彼女の顔色は表情ともども見る見る明るくなっていった。


 ……ひょっとして彼女は俺の存在にまだ気付いてない?

 さっきから自分一人しかこの空間にいないかのように独り言を好き放題言いまくっているし、俺のいる方へは目もくれていない。

 そうか、ここでもいつものように俺の薄い存在感が発揮されているのか。

 モブを目指す俺にはありがたい能力が今まさにここでも活きているということか。やっぱモブっていいな。面倒事に付き合わされる心配がないから。


 そうとなればモブの俺はモブらしく背景の一部として、彼女に気付かれないまま静かに立ち去ろう。

 なんて思ってた矢先に

「ん……あ、あなたさっきの……」

 彼女が遅ればせながら俺の存在に気付いた模様。

 彼女は手紙を拾う際に膝を曲げて屈み、そのポーズのまま。

 すぐ近くに立っている俺を見上げてまたさっきの「ヤバい」状態と同じく「え……え……⁉」と周章狼狽し始めた。感情豊かなお人ですね。


 そんな彼女を見て思う。

 何でこんなときに限って気付かれるんだろう。

 彼女本人も俺の存在に気付かない方が幸せだったろうに。

 それと気付くにしてもタイミング悪くないですか。

 どうせ気付くならお手紙を探しに来てすぐくらいにしてくれればさっきのテンパった様子や独り言も見たり聞いたりすることもなかったんですが。


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